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書庫のクラウド移行について #burningthepage

本は死なない』第12章「わが蔵書はクラウドへ」より。

クラウドの普及により、いずれ各家庭にある大きな本棚が空になり、個人の書庫がウェブ上に移動することになるだろう。

Kindleで本を買いそろえている人は増えつつあるので、こうした「書棚移行」はすでに行われていると考えてよいでしょう。そして、その利便性を体感されていることと思います。

また、紙の本を「自炊」して、それをクラウドサービスにアップしている人も同じです。

もし、今の私が引っ越しすることになれば、段ボールに頭がクラクラするぐらいの量の本を詰め込み、それを運び、さらに箱から出して本棚につっこみ直さなければいけません。

でも、書庫がクラウド上にあるならば、端末を持っていき、ネット環境を構築すれば、それだけで完了です。

物理的な媒体による制約を受けないことのメリットは、数が多くなりがちな「本」というメディアにおいて、すばらしい効果を発揮してくれます。

ひとたびその利便性に触れれば、人はそこに向けて歩み出すのを止めないでしょう。だからこそ、電子書籍は普及していくと予想できます。

でも、本当にそれで良いのでしょうか。

費用対効果や、安全性など、クラウド書庫にも何かしらのデメリットがあります。

でも、そうした問題は時間によって___それによってもたらされる技術的進歩によって__解決されるはずです。少なくとも、そう期待することができます。

でも、その逆は存在しないでしょうか。

つまり、失った時点はまったく気がつかないが、時間が経つにつれ、じわりじわり表面に浮き出てくるような問題です。そういうものが、クラウドへの「書庫移行」によって引き起こされないでしょうか。

もし、そうした問題が存在し、しかもその問題が私たちの人間性に影響を与えるものであれば、単純にトレードオフで判断してはいけないでしょう。

逆に、そこまでコアに影響がないのならば、得られるメリットと比較して判断すればよいだけです。

街場のメディア論』の中で、著者の内田氏は書棚を一種の「理想我」として捉えています。自分自身に対して、「私は、こういう本を読むような人だ」と宣言する。そんなイメージです。

この言説がどこまで正しいのかは別として、家にある書棚が私たちを取り囲む「環境」の一部をなしていることは間違いありません。

人は「環境」に影響を受けるものです。壁一面が青に塗られた部屋と、赤に塗られた部屋では、人の心は微妙にであれ変わってくるようです。

どんな情報に取り囲まれているのか、つまり日常的にどんな情報に触れているのかは、長期的にみて、人の意識に何かしらの影響を与えることが考えられます。

書棚というのは、実に面白いもので、ある人に関する「過去と未来」が一箇所に陳列されていきます。つまり、「これまで読んだ本」と「これから読もうとする本」が一緒に並んでいるのです。

未読のまま放置されている本ですら、「私は昔、この本を読もうとした」という情報を発しています。

その人の精神性の一部が、書棚という空間において表現されている、と言ってもよいでしょう。

もしかしたらそのような書棚では、アイデンティティに関するフィードバックが発生しているかもしれません。

それが良いことなのか、悪いことなのかはわかりません。過去に固執する、見栄に拘る、といった傾向を生み出している可能性もあります。でも、何かしら違った良い効果を生み出している可能性もあります。あるいは、両方ありえるかもしれません。

もちろんクラウド書棚でも、「これまで読んだ本」「これから読もうとする本」の情報は得られるわけですが、それは今のところ私たちの「日常」には属していません。書棚は部屋に入れば自然と目に入りますが、クラウド書棚は見ようとしない限り目に入らないからです。

これについての詳しい話はメルマガで書きましたので、今回は割愛します。

とりあえず、書棚がリアルの空間にある生活と、そうでない生活は、同じであるとは言えないと私は思います。

しかしながら、本を買っている人が全て書棚を持っているわけではありません。買って読んだらすぐ売る、という人もいるでしょう。

そういう人にとっては、クラウド書庫への移行など、興味のない話かもしれません。そもそも、その人はもとから書棚からの影響を受けていないですから、どっちだってよいわけです。

それを踏まえて大胆に言えば、クラウドへの「書庫移行」は、要するに「移行」というのがポイントなのでしょう。

つまり、もともとAにいた人がBの状態に変化する、という点が問題なのです。

私が家に置いてある本を全て処分し、それをKindleで買い直せば、すばらしい利便性が得られるでしょう。多くのスペースを占有している書棚も粗大ゴミに出せます。すばらしい開放感です。でも、それと同時に強い喪失感もまた覚えるはずです。

そして、無意識下で私に影響を与えていたインプット___本棚という情報__も失われます。もしかしたら、それ以降の私が書く文章は、それ以前の私が書いていた文章とは異なってくるかもしれません。より進化するかもしないし、今まで以上にくだらないことを書くかもしれない。

どういう結果になるかは、事前に見通すことは不可能ですが、変化が起きる可能性はゼロではありません。そして、失ってしまった本棚を再現するのは、恐ろしく難しい作業であり、さらに言えば、まったく同じメンタルな状況に復帰できるのかも不明です。

総じてみると、この問題は二つの異なるレイヤーで捉えられそうです。

一つは、「家の本棚がある人」の電子書籍移行。もし、家の本棚に愛着を感じているのならば、__つまり、邪魔で邪魔で仕方ないと思っていないのならば__、利便性が手に入るという理由だけで、家の本棚を即座に空っぽにするのは少し待った方がよいかもしれません。

その本棚の存在は、あなたの心理に微妙な影響を与えている可能性があります。スッキリ感を得る代わりに、何かを失ってしまう可能性を判断して、クラウド書庫移行への移行を検討した方がよいでしょう。

もう一つは、「自分の過去の情報によるフィードバック」のメリット。こちらはある種のライフログ的なお話です。

もし「自分が過去に読んだ本」の情報が、アイデンティティーにプラスの影響をもたらすのならば、クラウド書庫は積極的にその情報を出すようにした方がよいでしょう。

きっと、その方が「たくさん利用」されるようにもなるはずです。

私自身、家に本が並んでいるのが病的に好きなので、この問題について冷静に考えられている自信はありません。相当に強いバイアスがかかっている可能性があります。

とりあえず、気をつけたいのは「目に見えない」「測定できない」「短期間ではわからない」効能をまるっと無視してしまうことです。そういうものほど、大切だったりしますので。

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