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面白い本との出会い #burningthepage

本は死なない』第11章ブックマーク「書店」より。

真に面白い本は、往々にして誰の目にも止まらないような場所に隠れているものだからだ。

著者は、町から個人経営の書店が姿を消しつつあることを懸念して上の文章を書いています。

個人経営の書店で、店主からすすめられた本。あるいはそのお店の常連客との会話で名前があがった本。決してベストセラーランキングには名前が載らないような、そんな本が「真に面白い本」であるという可能性。

別にベストセラー本が面白くないわけではありません。よく売れた本にも、「真に面白い本」は見つけられるでしょう。しかし、傾向としてたくさん売れる本はマス向けに書かれている場合がほとんどです。汎用性を高める代わりに、何かが損なわれていることもあり得るでしょう。

ニッチな本は、ときとして「私のために書かれたのではないか」と錯覚するようなものがあります。そういう本との出会いは、素晴らしいを飛び越えて、奇蹟のような感覚すら覚えます。

ハイブリッド読書術』でも書きましたが、ベストセラーランキングや、新刊コーナー、あるいは新聞の書評欄からしか本の情報を得ていないのなら、ニッチな本との可能性はずいぶん低いものになります。

それはメディアとしての性質上どうしようもない問題です。

日本において、個人経営の書店がどれくらい新しい__つまり、他のメディアでは名前を見かけない__本との出会いを提供してきたのかはわかりません。アメリカと日本の事情は異なるでしょう。

でも、著者が指摘する次の点はまったく正しいものです。

自分にとって素晴らしい本を見つけるためには、気の合う仲間が必要になる。これまでは個人経営の書店にいるような常連客や店主がその役目を担っていたように思う。

「気の合う」というのは、それぞれの好みや趣味を理解している間柄のことを指すのでしょう。そういう間柄であれば、「これ読むと、面白いよ」と適切なオススメをすることができます。

このオススメは、Amazonではほぼ代替できません。なぜならば、そうした人間同士の関係性で提示される本は、「その人は、このままだとこの本は読まないだろうけども、きっと読めば面白いと思うに違いない」という推測が働いているからです。つまり、現時点でのその人の「文脈」を飛び越えた本を提示してくれるのです。

データによるレコメンドは、あくまで相関関係を背景にした「当てずっぽう」です。もちろん、その精度は十分に高いと言えるでしょう(データさえ集まれば)。

でも、相互理解に基づくオススメ本は、それとはまったく異なります。提示される本の種類も違うでしょうし、きっと、すすめられた人が感じる「信頼度」も変わってきます。

この二つを同じものとして扱うことは私にはできません。

しかし、個人書店が消えつつある中でも、実はブログやソーシャルメディアがその役割を代替している部分はあります。

特に、Twitterである程度交流(リプライのやりとり)をして、かつお互いにブログを読み合っているならば、「気の合う仲間」感覚で、本をオススメすることができます。

これはもう、実体験から言えることです。

単にお互いの存在を知っているだけではだめなのです。その人が、どういう思考を好むのか。どういう情報を、どのように摂取する傾向があるのか。何を知っていて、何を知らないのか。ということが、完璧ではなくとも推測できなければ、「よし、この一冊」とオススメすることはできません(少なくとも責任感のある人であれば)。

今、SNSやブログでバラバラに行われているこうした「オススメ」ですが、それを何らかのプラットフォーム+コミュニティの形に落とし込むことができるかもしれません。

もしそういう仕組みができて、しかもそこにAmazonのアフィリエイトが絡んだりしてくると、それぞれの人がある意味では個人書店主になる、という風にも捉えられます。まあ、アフィリエイトの有無は、いろいろ難しいことがあるので、ここでは除外してもよいでしょう。

ともかく、単純にデータに基づくオススメ以外の、新しい本との出会いのルートがないと、昨今のブログのようにPV主義的なものが生まれてしまい、ニッチな本がどんどん息をしにくくなってしまう可能性もあります。

こうしたものの設計は、長期的な視点でみれば、(ビュアーの設計などよりも)電子書籍の普及において影響があるかもしれません。

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