文章の手直しプロセス
※本稿は、メールマガジン「Weekly R-style Magazine -2014/12/01 第216号-」号からの転載です。
とある原稿を書いていたときのお話。
次のような一文が最初に口をついて(手をついて)出てきました。
「文章は著者だけでは完成しません。それを受け取り、読んだ読者がいてはじめて完成します」
やや微妙な文です。
しかし、最初から完璧な一文が紡がれることはありません。とりあえず思っていることを書き出し、それを何度も読み返しながら修正を重ね、完璧な一文に__もちろん、そんなものがあれば、ということですが__近づけていきます。
その際は、以下のような問いが脳内で発生します。
・自分の考えが過不足無く表現できているのか
・それをきちんと読み取れる形になっているか
・読み違えをさせてしまう恐れはないだろうか
こうした問いを意識しながら、より良い文へと近づけていきます。
今回は、その修正プロセスを紹介してみましょう。
?1. 「完成」という表現でよいだろうか。すこし飛躍がすぎないか。
文章をプロダクトとしてみれば、著者が書き上げた段階でそれは完成したと言えます。書籍の場合であれば、印刷され、製本されというプロセスが残っているものの、どちらかといえばそれは著者側に属する行為です。つまり、読者は関係ありません。
しかし、文章をメディア(媒体)として捉えた場合、読者の存在は不可欠になります。メディアは、AとBの中間に位置するものであり、片方が存在しなければメディアはメディアたりえません。読み手がいて、はじめて文章は意義を持つのです。
というような説明を省略して「完成」という言葉を使いました。わかる人にはわかるでしょうが、説明不足感があります。
説明を書き足しても良いのですが、もう少し別の表現を探してみましょう。
?2. 何か別の表現はないか。意義や目的といったものはどうか。
「目的」はなかなか良さそうです。前半の部分を目的で書き換えてみましょう。
「文章の目的は著者だけでは達成できません」
→長くなったので、「、」を入れたい。
「文章の目的は、著者だけでは達成できません」
?3. 何か読みづらくはないか。
この位置に読点があると、「文章の目的は、〜〜です」という文章のような予感が生まれるが、実際の文はそうなっていない。それが違和感のようなものを生んでいるのかも。
→構造を変えてみる。
「著者だけでは、文章の目的は達成できません」
→合わせて、うしろの文も表現を変える。
「著者だけでは、文章の目的は達成できません。それを読む人がいて、はじめて達成できるものです」
?4. 「達成できる」で良いだろうか。
「達成される」という言い方もできる。二つの違いはなんだろうか。
1)目標が達成できる
2)目標が達成される
1)は、自発的な感触がする。つまり、著者自らがそれをなし遂げた、という語感だ。対して2)は著者の手を離れている感触がある。著者は、読者の行動をコントロールできない以上、「できる」という表現は違うかもしれない。
「著者だけでは、文章の目的は達成されません。それを読む人がいて、はじめて達成されるものです」
?5 著者の方は「できる」で良いかもしれない。
「著者だけでは、文章の目的は達成できません。それを読む人がいて、はじめて達成されるものです」
前の文と、後ろの文で言葉遣いが揃ってはいないが、むしろその方がメディアの感覚を表現できているかもしれない。著者は「伝えよう」と努めるが、読者に「伝わるか」は最終的には読者次第、という感じで。
ただ違和感はある。両方を「される」で揃えた方がスッキリする。もう少し検討してみよう。
____というような感じで、文章の手直しが行われます。
こうやって自分で意識的に書き出してみると、おおよそ三つ要素があることに気がつきました。
第一に、「その文に、自分の言いたいことが乗っているかどうか」です。それがなければ始まりません。
第二に、「その文が、他の意味にとられる心配はないだろうか」を気にします。自分の言いたいことがAだとして、書いた文が「AにもBにも読める」であれば、第一の条件はクリアしますが、それだけでは十分ではありません。多義性を完璧に排することが可能なのかどうかは別として、できるかぎり減らそうとする努力は必要でしょう。
最後の要素は、読みやすさです。読みやすさは、リズムや漢字の密度といったこともありますし、読者が予測するであろう文とマッチしているかどうかもあります。今あえて「第一に、第二に、」という表現を外して三つ目の要素を書きましたが、たぶん違和感があったのではないでしょうか。こういうのを避ける、ということです。
※小説の場合は、印象を強くするために違和感を利用することがありえます。
こうした手直しは、時間がかかるものですが、やるだけの価値はあります。というか、それに価値を感じるからこそ物書きをやっているのかもしれませんが。
ちなみに、こうした「手直し」作業を行う場合、一文が長いと厄介です。全体の意味を把握するのに時間がかかりますし、少し構造を変えると他にも影響が出てきます。そういう意味で、「文は短く」というアドバイスは、作文初心者には非常に有効です。
もちろん、文は短くなければダメだ、という話ではありませんのであしからず。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?