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Weekly R-style Magazine 「読む・書く・考えるの探求」 2018/10/15 第418号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

Mac OSをMojavaに上げたので、ダークモードを使っています。

なんとなく目に優しそうですが、どれくらい効果があるのかはまだちょっとわかりません。でも、ちょっとかっこいいことは確かですね。とりあえず、しばらくはダークモードでいってみようと思います。

〜〜〜ブクログへの移行〜〜〜

メディアマーカーが終了するとのことで、ブクログに移行する作業を行っていました。


まだ完全な体制というわけではありませんが、とりあえず本棚だけは移行できました。一安心です。

それはそれとして、Google+も終了し、Evernoteの人気にも陰りが出始めています。

盛者必衰ではありませんが、無限に続くものなどありません。いろいろなものが、さまざまなサイクルで変化していきます。そして、この2018年〜2010年の期間が、少し大きめな移行サイクルになるのではないかと予想します。

はたして、次のサイクルではどのような情報環境になっているのか今から楽しみではありますが、それと共に「いつでも移行できる体制」を意識しておくのも大切そうです。

〜〜〜○○さまは神様です〜〜〜

単純に考えて人間はミスするものです。どれだけ習熟を重ねていても、ミスをゼロにすることは叶いません。

だとすれば、店員さんがちょっとミスしてしまったときに、堪忍袋ゲージが振り切れたみたいに激怒する人は、相手を「ミスを絶対にしない存在」だと捉えていることになり、それはつまり相手を人あらざるものとして扱っていることになります。何一つミスをおかさず、完全完璧にお客さんの意を汲み取り、それをスムーズに満たしてくれるパーフェクトな存在。

それはもう、どう考えても神様でしょう。お客様は神様です、ではなくむしろ店員さんが神様だったわけです。

もちろんそれは、ずいぶん滑稽な認識ではあるわけですが(相手に甘えている態度だとも言えそうです)。

〜〜〜顧客はもっと早い馬を求める〜〜〜

「こういう状態になりたい」という希望があり、「それを満たすためには○○が必要だ」と考えていたとして、問題は後者が真であるかどうかは確定的ではない、という点にあります。

たとえば、「幸せになりたい」という希望があり、「幸せになるためには大金が必要だ」と考えていたとして、その人が大金を得たら本当に幸せになるかどうかはわかりません。

それと同じでユーザーが「こういう機能が欲しい」と要望を出したときに、ストレートにそれを実装しても、それが本当にユーザーの求めている状態にいたるのかは確定的ではありません。

だからこそ、ユーザーアンケートとか要望とかの取り扱いには注意が必要なのでしょう。最悪、言われたことを実装したのに、むしろそれで使われなくなってしまった、ということが起こりかねません。たいへんです。

〜〜〜時間の○○化〜〜〜

『知的生産の技術』にこんな表現が出てきます。

 >>
 カード法は、歴史を現在化する技術であり時間を物質化する方法である。
 <<

なんかもう、すげーかっこいいですよね。こういうことがバシッと言えると文筆家として引き締まる気がします。

で、それはそれとして、最近のIT技術は、時間を何化しているのかが気になりました。物質化はしていない気がします。

〜〜〜おおきすぎて書けないこと〜〜〜

今期のアニメで『ソードアート・オンライン』の新シリーズがスタートしました。展開されるのは「アリシゼーション・シリーズ」です。

で、このシリーズは、私がこれまでに読んだライトノベルのシリーズの中で、飛び抜けて優れた作品だと個人的には思っています。なので、Honkureなどにそのことについて書いておきたいのですが、それを書こうとすると、まず1巻から8巻までの流れについて考察しなければなりませんし、また同じ作者の『アクセル・ワールド』シリーズとの重ねあわせについても言及しなければ画竜点睛を欠くことになってしまいます。

ということを考えているとどんどん構想が大きくなって、反比例して書こうという気持ちがしぼんでしまいます。

でもって、こういうことはよくあるのです。書こう書こうと思うあまり、対象が広がりすぎて結局手をつけられない、ということが。

こういう対象については、やはりScrapboxで少しずつ部品を書いていくのがよいかなと思います。最終的に大きな文章を構成できなくても、書き出しておけば、誰かが価値を見出してくれるかもしれませんし。

〜〜〜スタンスは続く〜〜〜

ある人がいて、その人が自分の利益を守るためにコロコロと意見を変える人だとしましょう。別段そのことは法律的にも倫理的にも批判はされないでしょう。意見を変えることは、悪いことはないからです。

しかし、そうしてコロコロと意見を変える人を信じ、その人の後についていったらどうなるでしょうか。当然、その人は自分の利益が損なわれそうになれば、自分の後ろについているものをすべてあっさり切り捨ててしまうでしょう。少なくとも、そう推論するのはそれほど無理筋ではありません。

これは別に、「自分の利益を守るためにコロコロと意見を変える人についていってはいけない」という警句ではありませんし、「自分の利益を守るためにコロコロと意見を変えてはいけない」という警句でもありません。それをしたらどういうことになるかをイマジネートしてみよう、という話です。

〜〜〜「本」と「話」〜〜〜

一昨日の晩、はっと気がついたんですが、書いている「本」について考えているときと、そこで展開される「話」について考えているときでは、どうも発露される脳の思考が異なるようなのです。

最近気がついただけなので、まだうまく言語化はできないのですが、「本」について考えているときにはストラクチャーが焦点になっていて、「話」について考えているときにはストーリーが焦点になっています。

いや、もう、まったくわかりませんね。

近似的に表現すれば、「本」のときは俯瞰的、「話」については実況的な感じです。

うん、これもぜんぜんわかりませんね。

もうちょっと整理しておきます。

〜〜〜崩しにくさ〜〜〜

建設されたピラミッドはなかなか崩せません。「ちょっと100mくらい南に移動しましょうか?」とか言われても、「は?」となってしまうでしょう。

大きな建造物(構築物)は、安定性がある代わりに、安易な変化を拒むものです。それは、ある場面ではメリットになり、別の場面ではデメリットになるでしょう。

でもって、作られた(紡がれた)本というのは、どちらかと言えば大きな建造物にあたります。で、やはりそれはメリットもあり、デメリットもあるのでしょう。その辺を踏まえたうえで、コンテンツ/メディア論は論じたいものです。

〜〜〜名は体を表したい〜〜〜

『アウトライナー実践入門』に「シェイク」という用語が出てきます。ボトムアップ・アプローチとトップダウン・アプローチを行ったり来たりしてアウトラインを整えていくメソッドのことです。

で、そのようなメソッド自体は、アウトライナー以前からずっと行われていたものだと思いますが、秀逸なのがこの「シェイク」というネーミングです。

上下の、つまりベクトルが逆の行為を交互に行うという雰囲気がはっきり伝わってきますし、また、その中にあるものが、完全に固定されていない感じ(半固定な感じ)がイメージされます。まさにアウトライナーの雰囲気にぴったりです。

こういうピタリとはまる言葉を見つけるのは至難の業で、なかなか狙ってやれるものではありません。むしろ、巫女の神託に似ているところがあるでしょう。つまり、ちょっとした奇跡がそこにあるのです。

それはもう、全力の拍手を送るしかありません。

〜〜〜電子書籍というオールマイティー・プレイヤー〜〜〜

電子書籍という媒体は、それ自身には重さはなく、また長さによって製造コストが激変することもありません。

だから、一方でこれまで本にできなかったような短い内容のものを「本」化するのに向いています。短編の一本売りなんてことも可能です。そうした短編は、移動時間のちょっとした隙間に読むのに最適な媒体でしょう。

しかし、もう一方で重さも長さも気にしなくていいので、紙の本なら「どう考えても一冊にしたら持てませんよね?」みたいな大長編も本にできます。

そうなのです。両端に適性があるのです。

だとしたら、もしかしたら、今の紙の本でちょうどいいくらいの本の長さ、というのは将来的に廃れていくのかもしれません。

あるいは短い話が延々と続くサザエさんとかドラえもんとかのフォーマットが再フォーカスされることも想像できます。

その場合は、ひとりの作者がずっとコミットメントする必要がなくなります。フォーマットに沿った話であれば、誰でもその「脚本」を書くことができます(長寿のシリーズはそうなっているでしょう)。つまり、プロダクション的なものが継続的にその「短い話」を出し続けることが可能なのです。

とまあ、妄想は膨らみますが、とりあえず紙の本と電子書籍は将来的にぜんぜん違うメディアになっていくでしょう。重なっている現状は、たぶん過渡期的な出来事なのだと思います。

〜〜〜文具エッセイ〜〜〜

最近、昔のノートの使い方についていろいろ書いているので、それについて掘り下げたいなと考えることが増えました。文房具エッセイとでも言うのでしょうか。もうタイトルも決まっています。

「ノートがある日常」

ノート術・ノウハウという方向でもなく、文房具マニアという視点でもなく、ノートと共に生活することに関するエッセイです。

どうです。おもしろそうじゃありませんか。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、脳のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. Twitterは、時間を何化していると言えるでしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週は、一つめの連載がちょっと(ちょっとです)長くなったので、三つの連載でお送りします。目次は以下の通り。

――――――――――――――――
2018/10/15 第418号の目次
――――――――――――――――

○「デイリータスクリストなしの一週間」 #BizArts 3rd
 Scrapboxにおけるタスク管理のお話を。

○「紙の手帳にはあって、送信アプリではなかった生活」 #新しい知的生産の技術
 昔の知的生産生活にあったもの、今はなくなりつつあるものについて。

○「ノートで問題を掘り下げる」 #ノート道の歩き方
 ノートを使った問題解決法を解説しています。

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

――――――――――――――――――――――――
○「デイリータスクリストなしの一週間」 #BizArts 3rd

普段の作業には、デイリータスクリストを使っています。一日分の作業を管理するためのタスクリストです。

やり方は簡単で、一枚の紙を取り出し、そこに「その日やるタスクだけ」を書き込んでいきます。実行し終えたら消して、もし追加のタスクが発生したら追記する(でも、明日以降にできるものはリストには書かずにメモ欄に書く)。そういうやり方です。

このやり方を、長年続けてきました。思い返せば、コンビニエンスストアでアルバイトをしていた時代から、現在のシステムに似たやり方(ただしもっと簡素なもの)を用いています。

1枚のレシートから始まり、ノート、手帳、リーガルパッド、各種タスク管理ツール、Evernote、7wriner、そしてScrapbox。ツールは変われど、やっていることの骨子は同じです。一日1ページに、その日のタスクを書き出して、処理していく。私の基本動作とも言えます。

しかし、最近使っているScrapboxがそこに揺らぎを与えました。Scrapboxの使い方を考えれば考えるほど、デイリータスクリストが本当に必要なのかがわからなくなってくるのです。

なぜでしょうか。

■そのページは何ページ?

Scrapboxでデイリータスクリストを実行する場合、一日1つのページを作ることになります。

10月15日なら「10/15」というタイトルのページを作り、その中にやるべきことを書き込みます。Evernoteでも、まったく同じように運用していました。というよりむしろ、Evernoteでやっていたやり方を、そのままScrapboxに持ち込んだといった方が正確でしょう。

しかしです。

Scrapboxにおいて、1つのページはひとまとまりの情報を持っています。そしてその情報の見出し(表札)が、そのページのタイトルです。

では、「10/15」といページはどうでしょうか。

もし厳密に考えるならば、「10/15」というページは、以下のようなことが書かれているべきです。

 >>
 10月15日(じゅうがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から288日目(閏年では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。
 <<

上記は、ウィキペディアからの引用ですが、ページが情報を持つというのはまさにこういうことでしょう。

それに比べれば、「10/15」というページにタスクを書き込むことは、あまりScrapbox的ではありません。ページのタイトルと内容が合致していないのです。

仮にそのScrapbox的な使い方をするならば、ページのタイトルは「10/15」ではなく「2018/10/15」にするべきでしょうし、さらに言えば「2018/10/15のタスクリスト」の方がもっと良いでしょう。そして、そのページに「10/15」や「2018/10/15」というページへのリンクを付け加えておく。こういうやり方が良さそうです。

しかしそうなると、「2018/10/15のタスクリスト」というページには、その日考えたことなどはメモできなくなります。別に不可能というわけではないのですが、情報的にややこしくなります。その場合はたとえば、「2018/10/15の日記」というページを作り、そこにも「10/15」や「2018/10/15」といったページへのリンクを付け加えておき、二つのページを関係性でつないでおくことになるでしょう。

上記のように、Scrapbox的に運用すると、ごちゃごちゃ混ぜたものをページにしておくのはあまりよろしくなく、一つの内容でまとめてそれを表す言葉をページタイトルにするのが良いことになります。その方が、個々の情報に対してリンクを貼りやすくなるからです。

■バレットジャーナル的転回

いったん、「一日のページを作り、そこにいろいろ書き込んでいく」という方式について疑いの目が向くと、いろいろな可能性が頭に浮かんでくるようになります。「別のやり方もできるのではないか? その方がもっとScrapboxをうまく使えるのではないか?」

そんなことを考えながら、バレットジャーナルの解説ページを読んでいたら、ふとした閃きが降ってきました。毎日1つの日付ページを作らないタスク管理法です。

パレットジャーナルにおいても、一日ごとの区切りは作るのですが、それがページには対応していません。1ページに複数の(たとえば月曜と火曜と水曜の)タスクが入ることが、十分ありうるのです。もちろん、見開きの2ページで5営業日のタスクを書き込むこともありえます。

これと同じ方式でScrapboxで運用すればいいのではないか。そんなことを思いつきました。具体的にはこうです。

まず、「一週間分のページ」を作ります。作ります、というか、デイリータスクリスト方式でやっていたときも、一週間の情報を管理するページは作っていました。週次レビューの際に、来週分のページを作り、そこで(Googleカレンダーを横目に見ながら)月曜日から日曜日までの大雑把な作業の割り振りを考えることやっていたのです。

たいてい毎週同じなのですが、「火曜日に姪っ子の運動会があるから、作業が水曜日にずれ込むな」といったことを考えて調整することもたまにあります。その一週間分の段取りを考えるためのページを、むしろ毎日のタスク管理に使おうというのがこの発想です。

その「一週間ページ」には、以下のような項目が並びます。

[10/15]
[10/16]
[10/17]
[10/18]
[10/19]
[10/20]
[10/21]

これまではこれがページのリンクになっており、それぞれの日の具体的なタスクはそのページに書いていたのですが、そうするのではなく、直接ここに書き込んでいくのです。

[10/15]
 ブログ更新
 メルマガ
 原稿送信
[10/16]
[10/17]
[10/18]
[10/19]
[10/20]
[10/21]

このやり方の最大のメリットは、タスクの先送りが非常に楽チンだ、な点にあります。Scrapboxでは、control + ↑ ↓ で行操作が行えるので、もし月曜日に書き込んだタスクを火曜日に送りたければ、何度かショートカットキーを押すだけで完了します。逆に、別のところに書いておいた作業をその日に持ってくるときも、タタタとショートカットキーを連打するだけで済みます。画面移動がまったくいらないのです。

Scrapboxの場合、この先送りの処理が簡単ではありません。あるページの中身を、別のページに「送り込む」には手間がかかります。

New page機能を使えば一応は可能なのですが、ここにはややこしい問題があります。というのも、デイリータスクリストとして使うページは、UserScriptを使ってテンプレート的に作るのですが、そのScriptは「実体持たないページ」(※)にしか適応できません。
※新規作成した直後の、背景色が若干薄いページの状態。

よって、New page機能で予定を「先送り」してしまうと(その時点でページが実体化するので)、テンプレートが使えなくなるのです。

それを避けるためには、そのタスク名のページを作り、そのページの中に先送りしたい日付へのページリンクを作っておくしかありません。たとえば、以下のようなページです。

task hogehoge
[10/17]

こうしておけば、「10/17」のページを開いたときに、関連ページの「Links」欄にtask hogehogeが表示されてばっちりなのですが、先送りをするためだけに、個別のタスクページを作らなければならない問題が残ります。他のページとの粒度が合わないのです。
※粒度が合わないのは気にしない、という手はあります。

この辺のスマートな解決方法が見つかっていなかったのですが、「一週間ページ」方式ならば軽々とクリアできます。その週内への先送りならショートカットキーだけで済みますし、週を超えるならば新規ページの作成時にでもコピペすればいいでしょう。たいした手間ではありません。

■まとめておいてから切り出す

そのように一週間分を一つのページに書き込んでいき、仮にそこに大量のタスクやメモが書き込まれるならば、一日の終了時にそれをNew pageとして切り出せばOKでしょう。それこそ、「2018/10/15のタスクリスト」や「2018/10/15の日記」というページを作ればいいのです。たいした量が書き込まれないならば、そのままにしておき、膨れあがったときだけ切り出す。そういうやり方ができます。

つまり、まず「一週間ページ」に総合的に書き込んでおき、大きくなったものに関しては、日ごと・用途ごと・プロジェクトごとに情報を切り出していく。そういう運用スタイルです。

このやり方は、Scrapbox的であると言えそうな気がします。

ただし、本当にうまくいくのかはわかりません。想像もしないようなデメリットがあることも考えられます。が、そればかりはやってみて確かめるしかありません。

というわけで、一週間だけ実際にこのやり方でタスク管理をやってみました。

で、どうなったか。

■いきなりの挫折

結果的に、二日目でもうイヤになりました。

もう少し言うと、非常にむずがゆい感じがするのです。

初日はほとんど問題なく過ごせました。タスクの行が長くなると見づらくなりそうなので、終了済みの短タスクは一行にまとめてしまう、というテクニックも考案しました。

text:sample

 済 朝棚,R-style,コンビニBlog,メール返信
 メルマガ
 TM本

(終わったものは上に移動していき、半角スペースを削除して「済」行に混合させ「,」を入力する)

こういうちょっとしたオリジナルテクニックを開発すると、そのメソッドは続けやすくなります。試してみたくなるからでしょう。

が、日が変わって二日目で違和感にぶつかりました。簡単に言うと、作業に取りかかる気分が湧いてこないのです。

これは一体何なのだろうと思いました。注意深く観察してみると、どうも「新しい一日が始まった」という感触が湧いてこないのだという仮説に思い至りました。

ノートや手帳ならば顕著ですが、新しい一日が始まると新しいページになります。めくられるのを待っている真っ白なページが、新しい一日の存在を象徴してくれるのです。それを目にすることで、私は「一日が切り替わり、違う日がやってきた」という感触を得られます。気分がスイッチするのです。

7wrinerでも、Evernoteでも、同様でした。7wrinerはいったんラインをクリアにしてから新規タスクを書き込んでいきますし、Evernoteでは別のノートにリンクでジャンプします。「古いもの」から「新しいもの」へ切り替える操作があるのです。その操作が、私の認知のトリガーを引いていたのでしょう。

一週間ページ方式は、初日は新しいページであるものの、二日目からは同じページを使うことになります。そのことが日付の切り替えの感覚を発生させなかったのでしょう。
※周りの風景が自分と一緒に動いていると、「移動している」という感覚を得にくい、というのと同じです。

言い換えれば、これまでの私の中で、「新しページを開く」というのは、一種の儀式的行為だったわけです(あるいは、そうだったのだという推論が立てられます)。その儀式の欠乏が、タスク着手へのモチベーションに影響してきました。

とは言え、逆に言えば、これは儀式的なものでしかありません。一週間方式を続けていけば、やがてはそちらに慣れていくことは十分に考えられます。

それでも、一週間やってみた感想としては、やはり一日ページを作ってもよいかもな、というところに落ち着きました。

■保守のいらない情報

そもそもなぜ、Scrapbox的運用では、一つのページに要素をごちゃまぜにしてはいけないのでしょうか。

極めて簡単に言えば、そうすれば保守性が上がるからです。これはコーディング的な(プログラミング的な)考え方です。

プログラミングコードに手を加える場合、ある関数(あるいはオブジェクト)がさまざまな機能を持っていると、非常にややこしさが増します。まず「それぞれの部分が何を行っており、その相互作用はどうなっているのか?」を読み解かなければならないからです。

逆に言うと、その点がシンプルになっていれば、コードへの手入れはずっと楽になります。目の前にある小さな関数(あるいはオブジェクト)のことだけに集中すればいいからです。

そのように考えてみたときに、じゃあデイリータスクリストはどうだろうか、という疑問が立ち上がりました。

結論は簡単です。デイリータスクリストは保守されないし、保守される必要もありません。

デイリータスクリストは、その当日はアクティブに動いている情報ですが、一日経てばそれはログとなります。言わば情報として「死ぬ」のです。

もちろん、次の日になって書き忘れていたことを思い出すようなことはあるでしょう。しかしそれは、情報的に新規要素が追加されるというのは違います。新しい思想が加わり、概念が再定義されるのとは異なるのです。

だとすれば、デイリータスクリストにおいて保守性を堅持するような要件を求めるのはあまり意味がないことになります。死んだ文章は、そのまま死に続けさせればいいのです。

図書館でたとえれば、デイリータスクリストは閉架側の情報です。いわばEvernoteが保存を得意とする情報です。情報の性質的に言ってそうなのです。

一週間前のタスクリストが参照されることはあっても、それはその中身を参照して別の記述が生まれてくる、といったものではありません。別のページとのリンクが生まれて、その情報が活性化されるということもありません。ログは、ただログなのです。

デイリータスクリストの後からの利用方法と言えば、たとえば「一週間分のタスクリストを集めてみて、タスクの平均実行時間を求める」とか「毎週火曜日の先送りタスクの量を見る」などになるでしょう。ログは、解析され、分析されますが、基本的にはそれだけです。

ログは並べてみることで新しい情報の発見材料になりますが、それは活きた情報の活用法とはまったく異なるものです(この辺は多少『Scrapbox情報整理術』でも触れました)。

だから、「デイリータスクリストをScrapboxの哲学に沿って活用する」というのは、そもそもが矛盾した行いなのです。デイリータスクリストは死んだ情報であり、Scrapboxの哲学は「死んだテキストを置いておく倉庫にしない」(※)です。根本的にマッチしていません。

よって、Scrapboxの哲学に沿ってタスクを管理するならば、そもそもその「タスクリスト」という概念を放棄するとこからスタートする必要があるでしょう。今の私にとっては、かなりラディカルな思想です。

あるいは、Scrapboxの哲学に特に沿うことなく、いままで通りデイリータスクリストを運用していってもいいでしょう。タスク管理に関しては、「べつに死んだテキストの置き場でもいいじゃん」と割り切ってしまうのです。そう割り切ったとしても、Scrapboxは十分に便利に使えるツールであることは間違いありません。

■さいごに

今回はタスクリストのScrapbox的運用にチャレンジしてみたわけですが、結果として「活きた情報」と「死んだ情報」の差異を実感的に掴まえることができました。

両方とも、カテゴリとしては「情報」には違いありません。しかし、その適切な運用方法と環境はきっと違っています。それがはっきりわかったことは大きな収穫でした。

あとは、その話を前提としつつ、どうやってScrapboxでタスクの運用を行うかですが、それについてはまた別の回で検討してみましょう。

(つづく)

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