#花火

花火について、良い思い出は特にない。ぼんやり思い返してみても、ウキウキする話やキャピキャピする話なんかは別に浮かんでこない。

そもそも、私は昔の記憶をどんどん忘れていっている。小学生や中学生のころの記憶が曖昧、といったレベルではない。3年前すら少々怪しいのだ。妻から、「ちょっと、大丈夫なの?」とわりかし真剣に心配されるレベルである。そういうときは「いつも本を読んでいて、新しい情報がどんどん入ってくるから、古い記憶が次々と押し出されていくんだ」と説明している。まあ、脳はそんなに単純な仕組みではないだろうが、私にとって過去は常に色あせた存在なので、その相対的な重要性が下がってしまっていることはあるように思う。脳は、そういうものに注意を払わず、週末のゴミ回収でまとめて処分してしまっているのかもしれない。

となると、花火についての思い出は、ごく最近のことになろう。

コンビニ店長として勤めていたときは、花火大会などのイベント時に仕事を休めたことは一度もない。かきいれどきであり、アルバイトが最も休みたがるタイミングでもある。その気持ちはよくわかる。そこで、店長の出番だ。よって、店長時代は花火を見に行ったことがない。

では、フリーランサーとなってからはどうだろうか。

時間の自由度は最大限に上がったのだが、その代わり時間の価値も大幅に上昇してしまった。2時間あれば、原稿一つ書けるな、という(いささか浅ましい)計算が脳内で発生してしまう。そもそも、人混みが大嫌いなのだ。行列に並んで美味しいラーメンを食べるくらいなら、さっと食べられる立ち食いそばで十分、という生活を送ってきたし、今後も送っていくだろう。

よって、フリーランスになってからも、花火大会に出かけたことがない。むしろ、近所で花火大会をやっているときは、他の娯楽施設(たとえばゲームセンター)などがガラガラになるので、遊びに行くのは最適、みたいに考えてしまう。あるいは、家で仕事をする。

しかしながら、私の家は、わりと川の近くにあり、必然的に花火大会の近くにもなる。当日はすさまじいありさまだ。人が行き交い、車が渋滞し、路上駐車が我がもの顔で道路の路肩を占拠する。そんな時間帯にうっかりコンビニでも出かけようものなら、神に呪いの言葉を吐きたくなる自体に陥ってしまう。

だから家にいるのが安全だ。

しかし、近場であがる花火は、とてもうるさい。冗談抜きで、戦車120mm砲でもぶっ放したのか、という音がする。若干壁が揺れている気すらする。イヤフォンなど何の役にも立たない。

しかたなく、外に出て、空を眺める。どっちにしたって仕事にならないし、どうせ30分もしたら打ち上げは終わる。その後、帰宅ラッシュがさらなる地獄絵図を描くのだろうが、私は玄関の扉を開けて、空調の効いた室内に帰るだけだ。

ひゅ〜〜ぅ  どーん
ひゅ〜〜ぅ  どどーん

花火が上がる。それを眺める。Twitterに投稿しようと思ってiPhoneをかざすが、光量がまったく足りていないので、暗闇の空しか映らない。まあ、いい。どちらにせよ、花火は一瞬で消える芸術なのだ。

そうこうしているうちに、どんどんと花火が上がっていく。どれだけ私がひねくれていても、やはりそれは綺麗だ。自然現象としては不自然に違いないが、やっぱりそれは美しい。大きな花火の玉は100万円ぐらいすると効く。えらいお金かかっているな、と計算も湧いてくるが、どんどんとそんなものは消え去り、こうした花火を作った人々の苦労が頭をよぎり始める。

私は文章を書く。長く残るために、大胆に構成し、繊細に文章を手直しする。花火は、「プレビュー」できない。火薬の玉の物理的シミュレーションは可能だろうが、あくまでそれは演算であって、演習ではない。実際は、打ち上がってみないとどうなるかはわからないのだ。

それでも、花火はきちんと売り上げられ、暗い夜空にその花びらをまき散らす。文章も、人の心に作用してしまう危険なものだが、火薬はもっと直接的に危険なものだ。そうしたものを操り、空に立体的なデザインを描く。たいした仕事である。それに、どのような順番で打ち上げるのかの構成もあるだろう。一種の演劇だ。

そんな感心をしている間に、花火は佳境に入っていった。連続で打ち上がり続ける花火。音はさらに大きさを増し、空の色は一時的に太陽が復権したかのように明るさを取り戻す。いくつものものが、そこではじけ飛んでいく。

おそらく本日で一番大きいであろう花火が上がると、やがて噴水が縮むように花火もその規模を縮小していく。祭りの終わりだ。計算され尽くしたなごりを味わいながら、花火大会は終わりを告げた。きっと会場ではアナウンサーが〆の言葉をつげているころだろう。もちろん、ここではその声は聞こえない。

私は玄関を開け、空調の効いた室内に戻る。しばらくは、壁を振るわせたあの音の余韻が私の耳にこだましていた。

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