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マニュアルでもなく、放任でもなく

話の内容はまったく同意できますが、一点だけ気になる部分があります。

例えば、ブレイン・ストーミングは、とくにその必要性を指摘されなくても、多くの人が普通にやっています。

僕の身の回りを見渡してみると、あまり「多くの人は、普通に」やっていません。建設的な議論をするのは相当に絶望的、という状況が結構あります。

さすがに「優れた知的エリートだけができる行為である」とまでは言いませんが、一定の訓練が必要なのではないかとは感じます。

だから、会議などで批判ばかりを口にして建設的なことを何も言わない人が、その会議の実りを著しく落としているという状況は、きっとあるのでしょう。

ブレストのルールとは、そういう状況に対抗することが役割の一つなのだと思います。

とは言え、です。

仮にブレストのルールを会議に設定したところで、批判fullパーソンが、急に建設的な議論に参加できるようになるかというと、これも難しいでしょう。もし、そのルールが遵守されるなら、批判fullパーソンがずっと無言でいるだけのような気もしますし、それは意見の多様性という点から考えても望ましいものではなさそうです。

だから、ルールさえ設定すればOK、という結論も安直なのだと思います。

個人的には、ある程度訓練を積んでいる人──たとえば、まともな議論が展開されている本をいくつも読んでいる人や、そういう議論に日常的に触れている人──であれば自然に(≒当たり前に)できることを、練習するための場というのが、「普通の人」には必要だと感じます。

でもって、ソーシャルメディア時代では、その必要性がますます上がっているのではないかとも感じます。

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