カドカワとドワンゴ

角川・ドワンゴ経営統合 アニメなど「ニコ動」で海外へ(日本経済新聞)

上記のニュースに関連して書かれた記事をいくつか読んだ。なるほどな〜と思う記事がいくつかあったわけだが、謎がないわけではない。

経営統合に、それぞれのメリットがあるのは理解できる。その意味で、合理的な経営判断とジャッジメントすることもできるだろう。が、合理的であれば、人間素直に行動が取れるのかというと、なかなかうまくはいかない、

いくら合理的であっても(ときには、合理的であるがゆえに)、その行動を取れないことがある。人間であっても、組織であっても同じだろう。組織だって、複数の人間が集まった存在なのだ。

経営統合がいかに合理的であろうと、それに踏み切れるかどうかは別の話ではないだろうか。いろいろな人間、あるいは企業の行動を見ていて、強くそう感じる。

つまり、私の目には「なぜ経営統合したのか?」ではなく「なぜ経営統合できたのか?」ということが気になってくるわけだ。

きっと、両者は「かくあるべし」という観念に縛られていなかったのだろうな、という気がする。あくまで気がするだけだ。

カドカワは、電子書籍に意欲的な会社(出版社)だ。うまくいっているかどうかは別として、前のめりな姿勢で電子書籍に取り組もうとしている。もちろん、紙の本を捨てたわけではない。しかし、きたるべき時代を見据えて、いまら動いている印象を受ける。

ありふれた(そして特に意味のない)言い方をすれば、アナログに軸足を置きながらも、デジタルにもう一つの足を伸ばしている。「紙の本を作る」という命題に縛られていない、と言い換えても良い。

一方ドワンゴも、ネットからニコニコ超会議のようにリアルの場でのアクションを積極的に行っている。「ネットサービス会社はかくあるべし」という思考には縛られていない。

言い換えれば、両者も実際的な考え方をしている。理念は理念としてあるのだろうが、手段と目的を取り違えたりはしていない。

この統合が結果的にどのような評価を与えられるのかは私にはわからないし、さほど興味もない。

しかし、「かくあるべし」に縛られすぎず、必要なタイミングで必要な変化を起こし、真に目指すべき理念を見失わないようにするのは大切なことだな、ということは感じる。

もちろんそれは大切であり、大変なことなのであろうが。

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