メモ入力の場所 / どこまで脱Evernoteできたのか / アルファ型とベータ型 / ミニ作品批評001
はじめに
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百四十九回:Tak.さんとタスク管理とノートについて 作成者:うちあわせCast
◇BC087 『音楽の人類史:発展と伝播の8億年の物語』 | by goryugo | ブックカタリスト
うちあわせCastでは、タスク管理という営みにおいてメモ・ノート的なものが必要だよね、というお話をしました。私がテキストエディタやアウトライナーでそういうマネージをやっているのは概ねこれが理由だと思います。
ブックカタリストでは、ごりゅごさんが『音楽の人類史』の一部を紹介してくださりました。今私は、AirPodでiPhoneに保存してある音楽ファイルを聞いているわけですが、そんな風に「人が演奏した曲を聴く」というのが実は特殊なことなんだ、という指摘はたいへん興味深いものです。
よろしければ、お聞きください。
〜〜〜まず何に注目するか〜〜〜
書店に行ったとしましょう。新刊コーナーをチェックします。
そのとき、まず表紙とタイトルをザッピングします。人間の脳の情報処理とはすごいもので、それだけでだいたい「あたり」がつけられます。これはよさそうという本を見つけられるのです。
次に、見つけた本を手に取ります。そのときに著者名を確認します。場合によっては出版社も確認。この段階で、「まあいいか」と棚に戻すことも少なくありません。グレーリスト(ブラックリストほどではないけれども)の著者だと一気に関心が薄れてしまうのです。
その関門をクリアすると、最初の数ページをぱらぱらとめくります。目次ないしは「はじめに」に相当する部分を読みます。
目次は本当にざっと見ます。単語を拾い読みするレベルです。でも、それだけでだいたい「あたり」がつけられます。単語の選び方や文の作り方で、作り手の価値観・世界観がうっすらと(あくまでうっすらと)感じられるからです。
「はじめに」も、冒頭の数行を読む程度です。ワインの試飲くらい。それで何がわかるかと言えば、文体です。文章のスタイル。
文章のスタイルって、テキトーなものではありません。しかるべき選択がなされています。だから文体もその本のエッセンスを表象するものである、というのが私の考えです。
で、文体が合わない本はその時点でさようならです。別段その本の質が悪いというわけではありません。単に私には合わないというだけの話です。
どれだけその本のテーマに興味があろうとも、文体が合わない場合はそこで別れを告げます。原稿で引用するために必要という場合ならば、「読む」必要はないので文体のフィット感は無視できますが、これから読もうとしている本が合わない文体だと地獄だからです。
というわけで、自分が文章を書く場合も──内容は内容で大切として──、文体のことを強く意識しています。
そういう人がどれくらい多くいるのかは、ちょっとわかりませんが。
〜〜〜うるさくなるツール〜〜〜
先週号で「しずかなツールを使いたい」と書きました。執筆や考え事に集中するためには必須な要件です。
しかし、気がついたのです。自分が開発しているTextboxというツールが、時間と共に「うるさくなっている」ことに。
新しい機能を思いついて実装するたびに、ボタンやらなんやらが増えざるを得ません。徐々にうるさくなってきているわけです。
さいわいTextboxでは、新機能の実装を本体ではなく、それぞれのページが担っているので(つまり機能が各ページに分担されているので)、「うるささ大爆発!」みたいなことにはなりにくいのですが、それでも本体に実装される機能もいくらかはあるので、少しずつ「うるささ」が増えてきています。
そう考えると、長く続いているツールで、「うるさくなっていない」いくつかのツールは本当にすごいと思います。実にうまく抑制が効いています。あるいは、抑制を生み出す哲学がその背後にある、ということなのでしょう。
皆さんはいかがでしょうか。最初使っていたときは良い感じだったのだけども、時間と共に合わなくなってきたツールは何かありますか。よろしければ、倉下までお知らせください。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、メモ論の続き・脱Evernote・二種類の読み方・ちょっとした作品批評をお送りします。
メモ入力の場所
前回、メモの「処理」に移ると宣言しておいたが、少しだけ回り道をしたい。メモを書きとめる「場所」の検討を先に広げておく。
■ポケット一つ原則
野口悠紀雄は、情報整理の考え方としてポケット一つ原則を提唱した。
情報を保存する場合は、「一つの場所」にまとめておくべし。さすれば、保存するときに悩まなくても済むし、情報を探すときにもあっちこっち飛び回る必要がなくなる。
特に後者が重要で、一個所に保存しておくと「ここを探して見つからなかったら、それは保存していなかったのだ」とはっきりわかるメリットがある。
探し物をしたことがある人ならばわかるだろうが、「あの場所もかもしれないし、この場所かもしれないし」と探し回っているときはかなりストレスがかかる。探すだけ探して、なかったらはっきり諦められるほうが精神衛生上は間違いなく良い。
■inbox
その野口の影響を受けたわけではないだろうが、GTDでは「inbox」という考え方が提案されている。メールの受信箱の意味だが、役割は野口のポケット一つ原則と同じである。
なんであれ、気になったことはその「inbox」に集めておく。でもって、その後処理する。
たとえば私がEvernoteを使っていたときは、inboxという名前のノートブックを作り、そこを情報の最初の着地点としていた。走り書きメモでも、タスクでも、Webクリップでも、買った本の書誌情報でも、とにかくそのノートブックに入る。
その後、それぞれのノートに合わせた「処理」をしていく。そういう流れだ。
ポケット一つ原則にせよ、GTDのinboxにせよ、基本的な精神は同じだ。一つの箱を準備しておき、そこにとりあえず保存しておく。これは雑多なものが混じる(つまりコンテキストフリーな)メモの扱いにおいても有用である。
ただし注意しておきたいのは、ポケット一つ原則もGTDもどちらも「アナログ時代」に提案されたノウハウだ、という点である。デジタル時代ではまた違った考え方ができる。
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