「いいね」満ちる世界

自分でもちょっと驚いたのだが、上の記事を読んで「うんうん、良い記事だ」と思ったので、noteの「スキ」(ようするに「いいね!」ボタンだ)を押そうと思ったのだが、瞬時に躊躇が湧いて出た。それってまさにこの記事が否定している行為なのではないか?

いや「いいね!」と「スキ」は違う、という意見はあり得る。単に表現が異なるということではなく──そもそも両方ハートマークである──、それがSNSかブログメディアであるかという違いだ。

しかし、noteは、純粋なブログメディアというよりも、半分くらいはSNSに足を突っ込んでいる。その意味で遠心分離器でも持ってこないときっちりした峻別は難しいだろう。


上の記事にこうある。

個人的な実感としては、いいねを押すのをやめると依存度がぐっと下がる気がする。いいねはブックマークとコミュニケーションという二つの性質を持つが、後者の性質は中毒性が高い

noteの「スキ」だって同じだ。後から気に入った記事を探すために「スキ」する場合もあるし、ある種のメッセージを送信するために「スキ」する場合もある。自分はこの記事を読みましたよ、気に入りましたよ、と。

私が、「それってまさにこの記事が否定している行為なのではないか?」とスキボタンを押すのを躊躇したのも、まさにそれだろう。つまり、著者に「コイツなんもわかってねーな」と思われるのが、イヤだったのだ。それは完全に他者の目を気にしているし、それはもう自己内の行為というよりはコミュニケーション行為だろう。

でもって、その行為が何らかの効果を発揮してしまったとき、人はそれに嵌り込んでいく。

その何が悪いのか?

たぶん何も悪くない。それが悪いというのならば、私たちの感情はだいたい悪いことになってしまう。あるいは、世間話や無駄口や儀礼的な挨拶も否定されてしまう。だから別にいいのだ。「いいね!」を(あるいはスキボタンを)押して押して押しまくればいいのだ。

そのようにして人はどんどん空虚になり、同調的になっていく。それが最大限に高まるとき、『ハーモニー』(伊藤計劃)の世界がやってくる。これは、加速主義だろうか。あるいはそうなのかもしれない。


こうして長々と文章を書くことは、反乱ではあるだろう。だって、こんな文章はもう誰も読んでいないから。長い文章はただそれだけで人を遠ざける効果を持つ。特に、ある種の傾向を持つ人々を。

長い文章? たった1000文字が? 

そう。これはもう長い文章なのだ。ありとあらゆる意味において。端的でも、簡単でも、具体的でも、添えられた漫画もない文章。あなたが、あなた自身の心の奥に入り込むための装置。私たちがある文化の段階で手に入れ、これから捨てようとしているものがそこにはある。

だからなんだ? と言われたら答える術を僕は持たないわけだが。


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