メモの使われ方 / タスク管理について / 見出しを地味にする
はじめに
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百五十回:Tak.さんとデジタルツールにおけるカードについて 作成者:うちあわせCast
今回は、デジタルツールにおいてなぜ「カード」を使いたくなるのか。それについて現時点の倉下の考えをお話しました。
この内容については、またメルマガで記事としてまとめようと思います。
〜〜〜リマインダー〜〜〜
ここ数回、メルマガのnote版にepubファイルを添付するのを忘れているというポカをやらかしておりました(すいませんでした)。
もちろん、「次からは気をつけよう」と思うだけでは問題解決にならないのは目に見えています。その「思い」を実現させるための「仕組み」が必要です。
というわけで、リマインダーを表示させるようにしました。
このメルマガの原稿は、セクションごとに別ファイルになっており、すべてを書き終えたらターミナルでコマンドを走らせてひとまとまりにするようにしています。で、その際に「自動的」にepubファイルも作られるのですが、自動的であるがゆえに自分がファイルを作ったという実感がなく、注意に上りません。
これまでは、noteの投稿画面でセクションの行を「見出し」に変更するという作業(手作業)を行っており、その作業で上から下まで確認していくと、そうだそうだepubファイルを添付しないとと思い出せていたのですが、少し前に「見出し」としてペーストできるようにしたおかげで、投稿画面上の操作が激減してしまったのです。結果、epubファイルの添付も忘れられるというポカにつながりました。
epubファイルの添付も自動的に行えたら問題はないのですが、現状のnoteの仕様ではそれができません。ファイルを添付するのではなく、ダウンロード用のURLを書いておくだけなら問題ないのですが、できるだけnote版はnoteで完結できるようにしたいと考えています。
そこでターミナルのコマンドでepubファイルを作り終えたら、そのターミナル上に「epubファイルの添付忘れに注意」と表示させるように変更しました。
もちろん、これだけで完全にミスを防げるわけではありません。この注意書きを読んでなお忘れるかもしれませんし、そもそもこの注意書きが注意に止まらないということもありえます。しかし、何もやらないよりははるかにマシでしょう。
でもって、将来的にはターミナル上ではなく、Macの「通知欄」などにリマインドを送るようにしようかとも考えています。そこまでいけば、否が応でも注意に止まるでしょう。
なんであれ、方策はいろいろ考えられます。でもって、こうやって考えていると──カンペ作りが試験勉強になるように──、案外そもそものepubファイル添付も忘れないものです。
〜〜〜本での集い〜〜〜
アメリカのZ世代で読書会が流行っているという記事を見かけました。
◇アメリカのZ世代女子の間で今、流行っているのは「読書会」 | Business Insider Japan
ここでいう「読書会」は、リアルで集まって本を読んだり、読んだ本について語ったりする会を指しています。
背景には、コロナ禍で「リアル」での集まりの価値が再確認されたこともあるでしょう。各種SNSの「見栄っ張り競争」への疲れということもあるかもしれません。
その上で考えたいのが、「ただ集まる」というのではなく、「本」をキーにして集まるということの意味です。
なぜ「本」をキーにして、集まるのか。
記事にはこうあります。
妙な話ですが、人と人が直接相対するよりも、「本」というオブジェクトを経由して語り合うことでよりお互いのことが知れるようになる。たしかにそういうことがあります。
なぜそんなことが起こるのかと言えば、人とは独立的なものではなく、関係的なものだからです。思考が現象であるのと同じ意味で、「あなた」というのも存在であると共に、現象でもあるのです。
その意味で、ここでの「本」には別のものを代入できるでしょう。逆に、代入するとうまくいかなくなるオブジェクトもあるはずです。
そうした見極めが、案外現代における「生活の技術」と言えるのかもしれません。
〜〜〜オノマトペ感〜〜〜
さて、質問です。以下の二つの魔法は、どちらが「攻撃力を上げる」もので、どちらが「防御力を下げる」ものでしょうか。
・バイキルト
・ルカニ
ドラクエシリーズをやっている方なら簡単すぎて問題にもならないでしょう。気になるのは、ドラクエシリーズをやっていない方の正答率です。
おそらくですが、五割(適当に答えたとき)よりもかなり高い正答率になるのではないかと思います。
そんな感じで、ドラクエシリーズの魔法名は、その中身が音の響きだけでなんとなくわかるように設定されています。これってかなりすごいことだなぁ〜とゲームをやるたびに思います。
〜〜〜『構造と力』〜〜〜
最近、佐々木敦さんの『ニッポンの思想 増補新版』を読んでいるのですが、浅田彰さんの『構造と力』がすごく売れてニューアカブームを作った、という話が出てきます。
その時代は僕は2〜3歳くらいなので現実的な感覚としてまったくわかりません。ただ、調べてみると『構造と力』は累計15万部とあります。かなりの部数です。
最近『構造と力』が文庫化されたので、私も読んでみたのですが、ある程度フランス現代思想に親しんでなお本書は決して「わかりやすい」とは言えません。たしかに図式的に説明してくれていて、なんとなくの雰囲気が掴める感触はあるのですが、あまりにもキレキレで理路が老い切れないのです。
たとえていうならば、BPM200くらいの速度でさまざまな概念を叩きつけられる、そんなテクノミュージックに爆音で晒されているような感覚すらあります。
そういう本が、15万部も売れた時代がたしかにあった、というのは注目に値するでしょう。
もちろん、買ったすべての人が読んでいたかどうかはわかりません。ある種のファッションとして買われていたのは間違いないでしょう。しかし、ファッションの対象に「本」が選ばれていた時期がたしかにあったのです。
その点を考えると、現代はどうでしょうか。
資本主義・消費社会に加え、インターネット的な情報消費がもたらす、超高速の差異化競争において、そもそも文化的に統一的なファッションが規定できない、ということにすらなっているかもしれません。
一方で、『独学大全』や『現代思想入門』がかなりの数売れているという事実もあります。これらの本は、『構造と力』に比べると、ずっと「わかりやすい」文章で書かれていながらも、射程の広さを失ってはいません。
その違いに注目したいのです。
なんにせよ、時代と共に本と私たちの関係は変わっていきます。その視点だけは失わないようにしたいものです。
皆さんはいかがでしょうか。「本」は何のために、どのように買い、また読むでしょうか。よろしければ、倉下までお知らせください。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、メモ論の続き・タスク管理について・Workflowyのちょっとした変更話をお送りします。
メモの使われ方
前回は、デジタル環境におけるメモの入り口を検討した。今回は、そうした入り口で何が書かれうるのかを考えてみる。
まず、さまざまな著作を辿り、実際にどういうものが書かれているのかの観察からはじめよう。
■三冊ノート術
『「結果を出す人」はノートに何を書いているのか』では、三冊のノートを使い合わせるメソッドが提案されている。
三種のノートとは、メモノート、母艦ノート、スケジュールノートを指す。
メモノートは「上司の指示や、外出先や移動中、出張先などで思い付いたアイデアや気付いたこと、忘れたくないキーワードなど」を書きつけるもので、のちのち母艦ノートへの転記を意識して、ちぎり取れるタイプのメモ帳を使うことが推奨されている。
◇学生時代の情報整理術は卒業! デキる社会人の“三冊ノート術” | まいにちdoda | はたらくヒントをお届け
メモノートは一時的な情報の置き場所であり、あえてまとめれば、
・タスク
・アイデア
・キーワード
の三種類が書きとめられることになる。
ただし、このまとめかたは乱暴であることは注意しておこう。たとえば「上司の指示」は「タスク」とイコールなのか、ということを考える必要がある。
その問題を考えるヒントは、メモノートは情報の保管場所ではなくそこに置いた後「処理」されるという点にある。それを加味すれば、
・タスク予備軍
・アイデアの萌芽
・キーワードの覚え書き
あたりが正確だろう。しかし、現段階でここまで詳しい記述をすると煩雑なので、一旦は先ほどのような簡素な記述で続けていく。
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