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メモの入力環境 / Workflowyをリンクベースで使う / 一緒に手帳を書く

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2024/04/01 第703号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC086『体育館の殺人』から考える新しい読書について | ブックカタリスト

今回は少し変わった試みで、「推理小説を読むときに読書メモを取ることで、読書メモの練習になるのではないか」というお話をしております。練習は目的がはっきりしているほどやりやすいので、何をすればいいのか(=犯人を当てる)がはっきりしている推理小説はピッタリではないか、というお話。

よろしければ、お聞きください。

〜〜〜ミニマムな知的生産〜〜〜

毎日少しずつ本を読み、それについてノートを書く。考えうる最少の「知的生活」とはそういうものでしょう。

そんなに大げさなことをする必要はありません。論文を100本も読まなくてもいいし、大理論を提唱しなくてもいい。自分の「外」にある知識に触れ、それについて何かしらを考える。それを日常的に行うのが知的生活です。

「知的生産」を行うなら、その活動は知的生活の上に乗っかるものであって欲しい。そう願います。いろいろなツールを使えば、知的生活を送っていなくても知的生産を行うことは可能です(生成AIの登場でさらにそれは簡単になりました)。でも、そうした知的生産をどれだけ大規模に繰り広げている人がいても、そこに憧れみたいな気持ちは生まれません。たんに「作業」をしているだけだからです。

まず一階に知的生活があり、その上の階に知的生産がある。そういう構図を維持しておきたいものです。

〜〜〜間の読書〜〜〜

ところで、本の読み方には速読と精読があるかと思うのですが、毎日少しずつ本を読み、それについてノートを書くという行為は、その間くらいに位置づけられそうです。

たとえば30分読書して、その内容を3分くらいでまとめる。その「まとめ」は正確無比なものである必要はありません。自分がその日読んだ部分の輪郭線を大雑把にスケッチする感覚でOK。私はTwitterでよくそういうまとめのツイートをしています。

たったその3分のまとめ、つまり本格的な精読に比べれば貧弱なまとめでしかないものも、ただざっと読んで終わりにするだけに比べればかなり強力な「知的生産的効果」があります。これはもう保証できます。やるとやらないとでは、ゴリラとキングコングくらいの違いがあります(当社比)。

ただまっすぐ進んでいくのではなく、定期的に立ち止まり、振り返りながら進んでいく。そういうコイル型の読書もいいものです。

〜〜〜仕事術は単純〜〜〜

すごく乱暴に言うと、仕事術は単純な話で済みます。

「仕事」は、成果で測定され、その成果も「こうすれば成果ですよ」と規定されていることがほとんどだからです。言い換えれば、何が価値あることなのかが自明、ということです(あくまでそういうタテマエがあるという話で、現実の複雑さを捨象している点にはご注意ください)。

簡単に言えば、そういうゲームがあって、そのゲームをいかに効率的にプレイするのかという観点が「仕事術」として規定されます。

たとえばサッカーの戦術を考えるときに、「野球とサッカーのどちらが優れているのか?」とか「発展途上国における国民的競技の役割とは何か?」みたいなことは考えません。その内側でどれだけ複雑な思考が繰り広げられていても、その外側にある多様な価値観を考慮する必要はないわけです。

作業は早く終わった方がいいし、売り上げは1円でも高いほうがいい。その上でどうするのが「いい」のかを考える。それが狭義の仕事術です。

そうした限定化・有限化は、思考を進めていくためにまさに必要なのですが、そこで行われているのが「ゲーム」であることを忘れ、生きることすべてに敷延してしまうと「もともと価値とは多様なものである」という当たり前の話が見えなくなってしまいます。

単純な話は単純な話としてあっていい。一方で複雑な話もしておきたい。

そういう気持ちが私にはあります。

〜〜〜カーネマン〜〜〜

ダニエル・カーネマンが亡くなったそうです。

Daniel Kahneman, Nobel laureate who upended economics, dies at 90 | The Washington Post

https://www.washingtonpost.com/obituaries/2024/03/27/daniel-kahneman-dead/

カーネマンとダン・アリエリーが、私を行動経済学に導いてくれました。自分の中ではかなりエポックメイキングだったと思います。追悼の意と、感謝を捧げます。

〜〜〜タスク管理の基本のき〜〜〜

ふと思いました。16ページくらいで「タスク管理の基本のき」まとめられている本があったら、需要はあるだろうか、と。

なにせタスク管理を必要としている人は、タスクに追われまくっている人であり、本を読む時間を確保するのも難しい可能性が高いです。タスク管理において重要な事柄をすべて学べる本があるにしても、その本が256ページもあり、そのすべてを読み切らないと実践できない、というのではスタートラインから躓いてしまうでしょう。

だから、『タスク管理概論』という本があるにしても、そのエッセンシャル版を作ることができれば、必要な人に必要な情報を届けられるのではないか。そんな風に考えたわけです。

もちろん、「いや、タスク管理の基礎を16ページでまとめるなんて、そもそも無理じゃね?」みたいな大きなツッコミがあるわけですが、たとえば後輩に「タスク管理って何したらいいんですか?」と尋ねられたら、手短に要点だけ伝えるでしょう。その感じで内容をまとめることができれば、16ページも達成不可能ではないかもしれません(あくまで希望的観測)。

皆さんはいかがでしょうか。がっつり書かれた『タスク管理概論』と、シンプルにまとめられた『エッセンシャル・タスク管理』。どちらを「実際に読む」可能性が高いでしょうか。よろしければ、倉下にお聞かせください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、メモ論の続き、Workflowyの使い方、一緒に手帳を書く、の3編をお送りします。

メモの入力環境

前回はメモの性質について検討した。記録(入力)と利用(出力)があり、それぞれに性質が異なっている。うまく調和している部分もあれば、そうでない部分もあり、後者がメモ環境の整備を難しくしている。

ここからはそのメモ環境について具体的にみていこう。まずは入力サイドから。

■メモの入力

復習しておこう。

メモの発生は、コンテキストレスだった。あらゆる文脈において、あらゆるメモが発生しうる。私たちの脳は、単一のタスクに専念するCPUではなく、物事を並行的・一括的に処理していくニューロン・ネットワークであり、そこにはさまざまな発火の「逸脱」が含まれる。メモは、そうして発火した火花を捉まえる所作である。

よって、メモの入力環境は以下のような特性を踏まえているのが望ましい

・共通的な入り口を持つこと
・さっと取り出せること
・ちゃちゃっと入力できること

メモはコンテキストレスなので、コンテキストごとに分けてメモすると面倒さが増える。もちろん、その面倒さを克服できるのであれば「コンテキストごとの入り口」を持つこと自体は構わない。ただし、そうした入り口を探すために時間がかかるなら話は別だ。これは次項にかかわっている。

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