「文章を書くときの、たったひとつの心がけ」

※WRM 2014/05/26 第189号 「知的生産エッセイ」より一部抜粋

メルマガに以下のようなコメントをいただきました。

「丁寧に書きさえすれば」は、確かにあの形だからこそグッとくるものがあると思う。試しに普通の記事っぽく書いてみてほしいな。どんなふうに見えるのか興味ある。 #WRM感想

丁寧に書きさえすれば」はR-styleの記事です。

この記事は、普段の文体とは違う詩的な形式を使って書きました。こういう書き方が適していると感じたからです。

では、その記事のメッセージを変えることなく、普段通りに書いたらどうなるのか。

やってみましょう。

文章を書くときに、心がけたいことがひとつあります。

それは「丁寧に書くこと」。

えっ、そんなことでいいの?と思われたかもしれません。

美しい文章とか、論理的な文章とか、勢いある文章とか、思わず頷いてしまう文章とか、そういうのを目指すべきじゃないのか。そう思うことは決して間違ってはいません。

でも、最初の一歩は「丁寧に書くこと」を心がけてください。

丁寧に書くとは?

「丁寧に書く」とは、どういうことでしょうか。

ゆっくりペンを走らせる?

そうではありません。別に乱暴に書き殴ってもよいのです。むしろ、その方が文章は書きやすいでしょう。そうして書いたものを、後から読みやすいように整えていくこと。それも、時間と手間をかけて整えていくこと。それが「丁寧に書く」ということです。

では、どんな風に整えていけばよいのでしょうか。主なチェック項目は4つあります。

・形式は整っているか
・表現は適切だろうか
・リズムは読みやすいか
・タイトルは内容を適切に表しているか?

こうしたことを逐一確認していくことが、「丁寧に書く」ということです。

丁寧に書く意義

なぜ、こうしたチェックが必要なのでしょうか。

それはもちろん文章がギフトだからです。書き手から、読み手に贈られるものなのです。

プレゼントは押し入れに眠ったままだと、意味が生まれません。誰かに手渡されて初めて「プレゼント」としての価値が生まれてきます。文章も同じで、「誰かに読まれてナンボ」なものです。

だから、文章に間違いはないか、読みにくくはないか、誰かをひどく傷つけるような表現が含まれていないかを、細かく確認していきます。そうしないと読んでもらえない__つまり、ギフトが届けられないからです。

内容がどれほど優れていても、形式が整っていなかったり、表現が不十分であれば読んでもらえません。あるいは余計なものを含めてしまって、読んだ人に心理的ダメージを与えることもあります。

ギフトを届けるつもりが、爆弾を届けることになってしまっているのです。

できれば、そうした事態は避けたいところです。なので、読み手のことを思いながら、文章を手直ししていきます。それが「丁寧に書く」ことの目的です

時を超えるセオリー

「丁寧に書くこと」は、愚直なアドバイスです。

読者のことを念頭に置き、何度も何度も読み返す必要があります。

本当に古くから、このアドバイスは繰り返されてきました。きっとこれが「原理原則」に属することだからでしょう。どのような時代でも言われつつづけているということは、それが時の風化によって古びないセオリーであることを示しています。

スピードが要求される時代に沿って、「いますぐ簡単にわかりやすい文章が書ける方法」などといったコンテンツが話題にあがることがあります。いかなる人間も、怠惰性を消し去ることはできません。だから、こうしたコンテンツに目を奪われることもあるでしょう。でも、そうしたコンテンツを発している人間のコンテンツが長く注目されていることはほとんどありません。

村上春樹さんは、第一稿を書き上げたあと、何度も何度も書き直しされると言っておられました。日本だけでなく、世界で読まれるような作品は、そのようにして生まれているのです。

もちろん私たちは歴史に残る小説を書いているわけではありません。しかし、読んでくれる人のために書いている、という点は同じでしょう。文章の存在意義に注目すれば、どのような文章であれ、原理原則は同じなはずです。

一瞬で消えてしまう花火ではなく、毎年綺麗な花を咲かせる木々に注目したいところです。

さいごに

「丁寧に書く」ように心がけましょう。最初の一歩はそれで十分です。

もちろん、技巧を凝らしたり、メッセージ性を強めたりと、文章力向上の山登りはいろいろな方向性があります。でも、一合目はいつだって、「丁寧に書くこと」なのです。

という感じになりました。

二つの記事を読み比べた印象はいかがでしょうか。

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