メモにある不整合 / ノウハウ研究家という在り方 / 六目式Workflowy / 知性をどう捉えるか
はじめに
Kindleで「新生活セール」が始まっております。
◇Amazon.co.jp: 【最大80%OFF】Kindle本新生活セール
で、拙著・共著もセール対象に選ばれました。
◇Re:vision: タスクリストとアウトライン | 倉下忠憲, Tak. | 経営情報システム | Kindleストア | Amazon
◇ライフハックの道具箱 2022年版 | 倉下忠憲, PADAone, ゆうびんや, こなゆき, Tak., Go Fujita, タカヒロト, 大橋悦夫 | 経営情報システム | Kindleストア | Amazon
それぞれ半額になっているので、よろしければこの機会に是非。
〜〜〜見栄えのしないリンク〜〜〜
上記のようなKindleセールをチェックし、よさげな本をピックアップすることを長らく続けております。今回のセールならこういう記事です。
◇"【最大80%OFF】Kindle本新生活セール"を漁る|倉下忠憲
で、現状noteの「リンク埋め込み機能」の挙動が以前と変わってしまい、サムネイル画像に書影ではなくAmazonのアイコンが設定されています。これが非常につらい。
ご覧いただければわかるように、全体的に見苦しいです。視覚的に同じものが目に入り続けるので苦痛ですし、表紙で雰囲気がわからないのでいちいちテキストを読まないといけない。閲覧性が著しく落ち込んでいます。
逆に言うと、この手のコンテンツの面白さは「並んでいる表紙をざっと眺められること」にあるのでしょう。ようは、本屋さんを散策しているのと似た感覚があるわけです。
Amazonの場合は、基本的「検索して目当ての本を見つける」という動線になることが多く、つらつらと表紙を眺めていくことが起きません。それが起きるとしたら表示している本の「関連する本」であり、ようは似た本ばかりになるのです。
一方でセールであれば、内容的に関連性が低い本が一列に並ぶことになります。そこに「本屋さんの散策感」が生まれてくるわけです。
ともあれ、noteのこの機能が今後も変わらないままであれば、セール記事は別の場所で書いたほうがよいということになりそうです。以前の状態に戻ってくれるのが一番嬉しいのですが。
〜〜〜ポッドキャスト〜〜〜
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百四十八回:Tak.さんとアウトライン折りたたみ問題について 作成者:うちあわせCast
今回は、アウトライナーを使っているときに下位項目を頻繁に閉じるかどうか、という激マニアックな話をしました。
しかしながら、話していて思うのがそういう日常的な操作が項目の作り方に影響を与えるのだ、という点です。なにせアウトラインは眺めるものではなく「使う」ものです。だからこそ、どう操作するのかは思っている以上に大切なのでしょう。
〜〜〜ここにもギャップ〜〜〜
前号の記事で、ある世代以上ではデジタルツールの教育が行われていないにもかかわらず、社会に出るとその技能がほとんど必須になってしまっている、という教育と実情のギャップがあるのではないか、という話をしました。
同じように考えたのが、金融です。現在の義務教育がどうなっているのかはわかりませんが、少なくとも私は金融に関する基本的な知識を教えてもらわないままに働きはじめました。で、私は独立志向が強かったので、金融資産を運用していたこともありますし、そのために勉強もしたのですが、そういう契機がなかったらほとんど何も知らないままだったでしょう。
一方で、現状はNISAに代表されるように一億総投資ブームのような状態です。社会生活における必須のスキルとまでは言えないまでも、それが必要とされている実情はありそうです。
思い返したいのは、デジタル的観点を得ないままにデジタルツールを触っていると、その真価がうまく発揮させられないということがある、ということです。同様に、投資的観点を得ないままに投資を行っていると、やっぱりその真価がうまく発揮させられない、ということが起こるのではないでしょうか。
具体的には、「儲かる株を買う」というのが投資ではない、ということがなかなかわからない、ということです。そうした状態では、「金融機関や著名人に勧められるままに買う」ことになるでしょうし、それはそのまま特殊詐欺に引っかかりやすい状態でもあります。
もちろん、「だから金融の授業を小学校でせよ」と主張したいわけではありません。それでも、実情と知識のギャップがある状態に注意を向けておくことは有用だと思います。
皆さんはいかがでしょうか。大人になってから必要になり、学校以外の場所で学んだ知識の分野をお持ちでしょうか。それはどういった分野の知識でしょうか。よろしければ、倉下までお寄せください。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、メモ論の続き、ノウハウ研究家について、最近の倉下のWorkflowy、知性についての4編をお送りします。
メモにある不整合
前回までで、メモの性質をいくつか明らかにした。
まずメモは、行為に付随して発生する。何かをやっているときにメモすることが頭に思い浮かぶので、それを書きとめる。
そうしたメモは、行為において利用される。何かをやっているその最中において、情報として参照される。
この発生と利用の関係から言えることが二つある。整合なことと、不整合なことだ。
まずは前者からみてみよう。
■断片的なメモ
何かをやっているときにぱっと思い浮かぶものを書きとめるのがメモであるならば、その記述に限界があることはすぐわかる。内容を詳細に記述することに全力を尽くすのは難しいだろう。言い換えれば、メモはつねに「ついで」に書かれる。
よって、メモの記述は完全な記述ではなく断片的なものに留まる。
一見すると、そうした記述は役に立たないように思われるが、実際は逆である。メモは、行為において利用されるので、その行為が文脈を保管する。よって、完全な記述は必要ない。断片的な記述で事足りる。
この点が、メモにおける整合性である。書くときは「ついで」だから断片的にならざるを得ないが、書きとめたものだけで情報を使うことはないので問題は生じない。
ここで調和的な構造が存在していることに目を向けておくことは重要である。なぜなら、「断片的なメモでは役に立たないから、もっと詳細に記録しよう」という提案に無理があることがすぐにわかるからだ。
たしかに詳細に記録しておけば、利用時に文脈の欠落で問題が生じることは減るだろう。一方で、詳細に記録できるならば、それは「メモ」ではなく、「ノート」なのだ。メモとは、「ついで」にしか書けないような状況で情報を捉えるための活動であり、その情報が不完全であることは避けがたい。言い換えれば、一つの要件である。
にもかかわらず、メモに詳細を求めるならば、それは「パンがなければケーキを食べればいい」と似たような構図になってしまう。
たしかに断片的な情報が文脈を欠落させてしまうことはあるにせよ、それはメモとしては必然である。もしその不具合をケアしたければ、対応するのはメモではなくノートの領分であることは理解しておいた方がいい。
■不整合
続いて不整合である。これがなかなか厄介だ。
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