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劣等感とヴィジョン

昨日、ある人と話していて、
自分の中で劣等感や惨めさ、恥を感じて、
「相手が自分を見下して動揺させている、
自分は無力で惨めな被害者だから
反撃しなきゃいけない」
という惨めさ・怒りのパターンが始まるのが
分かって、
BeebotAIで自分の中を見つめると、
「自分はその人から見下されている、
劣った存在、
パワーがない存在、
勉強会やグループに属していない孤独な
かわいそうな存在、
何か低いポジションにいる存在」
であるという信念、
捏造された概念である「勝ち負け/優劣」を
しっかり握っていたのがハッキリ感じられて、
それを相手に投影して、
自分が無力な被害者で、
相手に自分を動揺させる圧倒的な
パワーがあるかのように
知覚が歪曲されていたのが、
ハッキリわかった。
その人と話すのに
恐怖と緊張感があったけど、
それは自分が無意識のうちに信じた
劣等感や惨めさ、恥、無価値さを
自分に感じさせる強いパワーが
より高いポジションにいる相手/グループ所属者
にあると信じていたからだった。

これだけでもかなりスッキリ感があったけど、
風呂に入っている間、
思考が沸かないけど注意深いような
感じがあって、
その状態で、
大学でも、仕事でも、友人グループでも、
いくつもあるコースのグループでも、
「グループとか組織が実在しているって
すごくリアルに感じてきたけど、
あるグループがあって、
その外側に、
グループに属していない
一匹オオカミみたいな人たちが
バラバラにいる」
っていう感覚・印象が、
本当に単なる概念、
実体が全くない、
空っぽなイメージの捏造された
区分でしかない、
本当に、何の違いもない、
本当は対等でしかない
のがやたらにハッキリ見えた。
東大とか京大とか、
まるでそれらのグループが実体として存在して、
偏差値とかポジションの違いがあって、
競っているように思えていたけど、
阪神と巨人が戦っているのと同じで、
捏造された、
共有された合意/信念でしかない、
純粋な概念だけで作られたカラッポな
印象、イメージでしかなくて、
自分の信念で圧倒的にそれがリアルだと
感じて、
その何かのグループに属することで得られる
「経験とか知識とかつながりとか特別な恩恵、
ある種の仲間意識、絆、
グループのポジション、
格の高さみたいな、存在感」
があって、
その仮想の
グループ・パワーが自分を幸せにして
安心させて、
必要なものを補ってくれる、
幸せにしてくれる、
自分を価値のある存在にしてくれる、
グループが自分を庇護してくれる、
ってずっと信じてきた、
のが一目瞭然にはっきりと見えた。
それで、相手のバックには
そのグループ・パワーがあると信じて、

自分は下、とかあのグループは下、と
見ていた。

JACIMフォーラムや、
リビングミラクルズもそう。

それでいつもいつも、
「相手と自分の価値・ポジションの優劣比べ」
「グループ同士の優劣比べ」
をずっとやってきた、
のがあまりにも明白に見えた。

本当は、
グループに所属している人、
所属していない人、そして
その優劣/勝ち負けっていう区分が
全くないのに、
概念で、ずっとすごくそれを信じてきた、
単なる概念だったのが
ただ見えた。


最近のレッスンは
「奇跡は光の中で見える」
で、
奇跡はヴィジョンを伴う、
とか、
「わたしは存在しないものを見て動揺している」
ワークブックの
「奇跡は何もしない。
偽りを偽りとして見るだけである」
「救済とは概念からの解放である」
も、いまいちピンとこなかったけど、
たぶんこれか。

本当にありがたい機会だった。

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