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自動販売機


住宅街や人気のあまりない道を歩いていると、なんでこんなところにと思うような場所にポツンと自動販売機があったりする。

多分、そこには何にも使えないようなちょっとばかりの土地があって、でも、そこは自動販売機のひとつやふたつ置けるようなスペースではあって、ただ遊ばせておくより少しでも収入になればと、その土地の持ち主が自動販売機を置くのだろうか。

ペットボトルや缶入り飲料を買うときは、たいていみんなコンビニに行くだろう。東京だったらコンビニはどこにでもあるし。なのに、あまり売れそうもない場所に立つ自動販売機で買うのはなぜだろう。何か飲みたくなったとき、たまたま通りすがりにあったからだろうか。

それより、「なんとなくその自動販売機のちょっとうら寂しいたたずまいに惹かれて、ふと、その自動販売機に百円玉を入れたくなった」というほうが私にはなんだかわかるような気がする。

こんなところで誰が缶コーヒーやジュースを買うんだろうと思うが、たまに買っている人を見かける。その姿が、都会という小さな砂漠で自動販売機という小さなオアシスを見つけて小さく癒されているように見えた。

考えてみれば、自動販売機で飲み物を買っているのは外回りの営業マンやデリバリーのお兄さんなど、ほとんどが働き盛りの男性で、女性がこういうところで買っているのはあまり見たことがない。仕事に、もしかしたら人生にちょっと疲れた男たちが、無意識に、ふと目に留まった自動販売機という小さな都会のオアシスで小さく自分を癒しているのかもしれない。

ニューヨークでは自動販売機なんてほとんど見かけなかった。ジムのロビーでスポーツドリンクの自動販売機を見かけたくらい。こんなに自動販売機が多い国は他にないんじゃないだろうか。

私は時々バスで実家に日帰りの帰省をする。行きも帰りも2カ所ずつドライブインで休憩をとる。帰りのバスがドライブインに立ち寄る頃にはもう辺りは暗くなっている。ドライブインには両脇にずらりと自動販売機が並ぶセクションがあって、そこにはコーヒーを1杯ずつ抽出してくれる自動販売機がある。コーヒーは320円、カプチーノは1杯350円とスタバ並みの値段。

500円硬貨を投入し、コーヒーの種類を選び、ミルクや砂糖を入れるかどうか、入れるなら量はどうするかを選んでボタンを押すと、コーヒールンバの軽快な音楽が流れ出し、自動販売機にはコーヒーがいれられる過程がライブで映し出される。それが終わるとカップに蓋がかぶせられ、「お買い上げありがとうございます。蓋がしっかり装着されているかどうかお確かめください」という人工音声とともにコーヒーが出てくる。


音楽と映像の豪華エンタメ付きの自動販売機。あたりは真っ暗な人里離れたドライブインの、自動販売機コーナーの、パチンコ台みたいに妙に明るい”イルミネーション”と妙に明るいコーヒールンバ。この明るさがかえってうら寂しく、なのになぜかほっとさせられるような気もして、駆け落ちの逃避行の途中のような甘美ささえ感じる。人気のない場所で見つけたオアシス。私は帰省のたびにここでコーヒールンバを聞きながら温かいコーヒーが出てくるのを待つ。

深夜2時とか3時だったら、ここを訪れるのは長距離トラックのドライバーくらいだろう。眠気を覚ますために、自動販売機にお金を入れてコーヒーを買う。深夜の人気のないドライブインの自動販売機。コーヒールンバの音楽とコーヒーをいれるライブ映像。コーヒーが出てくるのを待つ間、長距離トラックドライバーは何を思い出しているだろう。私が映画監督なら、深夜のドライブインが出てくる映画にきっとこういうシーンを挿入するだろう。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。

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