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GUT【掌編小説/#ネムキリスペクト】

 俺はT郎とふたりで、しんと静かな夜道を歩いている。田舎道らしく街灯が極端に少なくて、たったひとつの懐中電灯の光だけでは、かなり心細い。
 俺は都会の端っこの地方都市で生まれ育ったので、住宅地の隣に田んぼや畑がある光景は見慣れていたけど、ここの夜の暗さと、さえぎるものがない空間の大きさは、あの街の比じゃない。酒で浮かれた気分はすっかり冷えて、なんで社員旅行に来て肝試しやってんのか、ぶっちゃけ自分でもよくわからない。

 夜空には星も月も見えない。時刻が遅いせいもあって人はいないし、車も一台も通らない。コンビニどころか自動販売機もない。広々とした畑の合間に時々、古風な瓦屋根の家を通り過ぎるけれど、灯りがついている家はひとつも無かった。雨戸の隙間から漏れる光すら皆無で門灯もついていない。どの家々も闇の中にどっぷり沈みきっていて、聞こえるのは虫の声と、俺とT郎の足音だけ。
 俺らが泊まっている旅館で働いている人たちってこの辺りに住んでるんじゃないのかな?もっと遠くから通勤してるんだろうか。この一帯はどう見ても無人だ。住んでいる人たちは、お盆だし皆、どこかに出かけているのかな。
 そこまで考えてハッとした。お盆ってことは、祖先の霊が帰ってくる時期ってことだ。もしかしたら、人はいないけど霊はたくさんいるのかもしれない。俺はまわりの圧倒的な暗闇に視線を走らせた。見えちゃったら怖いけど、探さずには居られない。もしかして……もしかしたら……

K介 GUT……
T郎 え?
K介 ゴースト(ghost)ウヨウヨ(uyouyo)タウン(town)
T郎 ゴーストとタウンは英語なのに、ウヨウヨだけ日本語?
K介 ウヨウヨ的な使い方する英語ってなによ
T郎 知らん。……やっぱいるんだ、幽霊
K介 なに、やっぱって
T郎 この辺、大昔に洪水があったらしいよ
K介 嘘お!?怖っ、何人ぐらい死んだの?
T郎 洪水で人は死んでない
K介 へっ
T郎 けど田んぼの米が全部ダメになった
K介 じゃ飢え死にかあ
T郎 それで、働いてる人が出稼ぎに行かなきゃならんくなった
K介 じゃあ出稼ぎ先で病気になったとか?
T郎 戻ってきて、学んだ知識で米の品種改良をした
K介 なのに、次の年も洪水が
T郎 改良した米はここらの名産になった。それがモモニシキのはじまりらしい
K介 ん?
T郎 夕食のご飯、美味かったよな。あれモモニシキだろ
K介 ……いや。……え、終わり?ぜんぜん人、死なないじゃん
T郎 お前ひどい奴だね。人が死んだ方がいいの?
K介 いやいや幽霊がたくさん居るって話どこいった
T郎 ウヨウヨっていったのはお前。俺は、やっぱいるんだ幽霊、っていっただけ
K介 幽霊いるの?
T郎 お前、見えたからウヨウヨっていったんじゃないの?
K介 見えねーよ!
T郎 なーんだ、ただの妄想か
K介 妄想じゃなくて想像だよ
T郎 妄想と想像ってなにが違うの?
K介 妄想はネガティブなイメージで、想像はポジティブなイメージ
T郎 それほんと?
K介 いや知らんけど
T郎 MNSP
K介 はい?
T郎 妄想(mousou)はNegative、想像(souzou)はPositive
K介 4文字……

 目的地が見えてきた。高台にある墓地だ。墓地の入り口に上がる石段の下で俺たちは立ち止まった。暗くてよく見えないけど、壁に挟まれた急な階段の頂きに門があるはずだった。墓地を囲むように黒々と木々が茂り、奥に寺があるはずだがこの位置からは見えない。門も寺も、この時刻は閉まっているんだろう。灯りはまったく見えなかった。
 門の柱にリボンを結んでスマホで写真を撮る。それでミッションクリアだ。俺はポケットから黄色いリボンを取り出した。リボンの端に小さく「K」「T」と書かれた文字は、暗さでよく見えない。T郎は俺に向かって頷いてみせた。

T郎 よしK介、ちょちょいと結んでこい。サクッと終わらせて帰ろうぜ
K介 ちょっと待て。なんで俺だけ行く前提?この暗さだぞ、灯りから離れたら足元見えねーだろが
T郎 じゃあコレ持っていけ。ほら懐中電灯
K介 バカお前、俺が懐中電灯持って行ったらお前は真っ暗な中ひとりで待つことになるじゃん
T郎 ……KNHだな
K介 あ?
T郎 暗闇の(kurayamino)なかで(nakade)ひとり(hitori)
K介 おもんないわ!自分だけ楽しようとすんな一緒に登れ
T郎 お前、怖いんだろ
K介 アホか俺が戻ったときお前が消えてたらマジで怖えーよ!リアルホラーとかぜったい嫌だっつうの!
T郎 やっぱ怖いんだー、RZIな。リアルホラー(real horror)絶対(zettai)嫌(iya)
K介 それを言うならRMKだろ!
T郎 その心は!?
K介 リアルホラー(real horror)マジで(majide)怖い(kowai)
T郎 ほぼ同じやないかい
K介 うるせー早よ行くぞオラ

 俺はT郎の手首を掴んで強引に引っ張り、石段を登り始めた。狭い石段の両側は壁になっていて、大人がふたり並べるギリギリの幅しかない。

T郎 狭っ
K介 ちゃんと足元照らせ
T郎 これさあ、映画とかだと階段の途中に指がいっぽん落ちてたりする場面じゃない?
K介 やなこと言うなよお!
T郎 うわああああ!!
K介 !?

 T郎の叫び声に俺もつられて叫んでその場にフリーズした。光の輪のなかを、黒い影がさあーっと横切った。T郎は俺の腕をきつく掴んでそれを照らした。懐中電灯の灯りが影を追って激しく行き来した。影は速やかに闇の中に消えた。

T郎 でたああああ!
K介 え、なん
T郎 見たよなぁアレはっ、じ、G
K介 G?
T郎 ゴから始まる4文字の虫だ
K介 ゴキ……

T郎は灯りを持っていない方の手で俺の口を塞いだ。

T郎 ばばばか言うなあ、その名すら悍ましい
K介 わかった、Gね、G。山にもいるんだなあゴ……G
T郎 やばい、ここ他にもいっぱい居るんじゃないか、どうしようっ
K介 大丈夫、もういないってほら、な?さっさとコレ結んで帰るぞ
T郎 嫌だよもう帰ろうよー肝試しとかどうでもいいよ帰る!帰ろう!
K介 ちょ、待てっここまで来てそりゃないだろ門はすぐそこ
T郎 いますぐ降りよう!
K介 暴れっ危な……

 パニックになったT郎は俺の腕を放り出して駆け降りはじめた。奴が後ろを向いた拍子に肘が当たり、俺はバランスを崩してよろめき、階段に膝をついた。「あっ」T郎の声。場を照らす光が弾かれたように吹き飛んで、宙にきれいな残像を描いた。懐中電灯が転がり落ちる硬い音が続いて、電灯が消えた。壊れたのかスイッチが切れたのか分からない。
 階段は真っ暗になった。まさに鼻を摘まれても分からないような、濃密な闇。「なにやってんだ」と、わめく寸前で言葉を飲み込む。落ち着け、落ち着くんだ。俺までパニクってる場合じゃない。波うつ心を抑えろ。

K介 おーいT郎、大丈夫かー?
T郎 お、おう。……俺は大丈夫だけど、やばい、電気落としちゃった……
K介 そーみたいね
T郎 K介、どこにいる?
K介 ここー。階段に座ってる
T郎 いま……行く……
K介 慎重にな。わあぜんぜんなんも見えないね。アレだぁKNHだな
T郎 ……その、心は……
K介 暗闇の(kurayamino)なかで(nakade)ふたり(hutari)
T郎 マジで……それな……
K介 もう一個考えた。KHB
T郎 うん……
K介 これが(korega)ほんとの(hontono)万事休す(banjikyusu)
T郎 ……はは……

 闇への恐怖が強まって動悸が激しくなる。俺は音を立てないように深呼吸し、しいておどけて、呑気な声を出そうとした。こんな足場の悪い所でT郎を慌てさせたくない。

K介 うひひ、なーんも見えねぇ。暗いよ〜狭いよ〜怖いよ〜
T郎 ……K(kuraiyo) S(semaiyo) K(kowaiyo)……
K介 わーお、これぞ肝試しって感じ。スリル満点じゃん。あっこれかあ吊り橋効果って、すげえドキドキしてるわ。いまお前に告られたら俺コロッと惚れちゃうかも。
T郎 …………
K介 おーい、どこにいんの。俺らそんなに離れてたっけ?
T郎 K介、それマジか?
K介 へ?
T郎 いま言ったこと
K介 は、えっと
T郎 だから吊り橋効果。マジでいま告ったらお前は俺に惚れるの?
K介 ……えっ……

 急にT郎の声の調子が変わって、いつもの間の抜けた感じがなくなった、気がした。
 T郎が動くたびに聞こえていた衣擦れの音が止んだ。動きを止めたらしい。俺もじっと動かずに耳を澄ました。急に周囲の虫の声が大きくなったような錯覚。

 コイツなに言う気なの……

 さっきまでの恐怖は跡形もなく吹き飛び、別の種類のドキドキが激しくなって唾を飲み込んだ。闇のなかで緊張が高まる。いかん、ヤバい、なんかヤバい。一刻も早く場を和ませて、張りつめた空気を撹拌しないと。

 そこで突然、スマホの存在を思い出した。慌てて尻ポケットに手をやる。固い手応えに安堵が押し寄せ、すがる思いで掴んで手に取った。画面の青い光が闇を照らした。スマホの壁紙の画像はエメラルドグリーンに輝く沖縄の海の写真で、もともと綺麗だから設定したんだけど、闇にくっきり浮かぶ海は泣きそうなくらい美しい。地獄に仏、墓地に南の海。
 時刻は23:58。旅館を出てから30分ちかく経っている。本当なら旅館に戻っている予定時刻だった。このままここに居れば、心配した同僚が探しに来てくれるかも。いや違う、今すぐ電話すりゃいいじゃん。俺は大きな安堵とともに、スマホを外側に向けてあたりを照らそうとした。石段の様子が青い光の中に浮かび上がった。

 見える範囲にT郎の姿はなかった。
 あれ、どこいった?さっきまで喋ってたよな?
「T郎!おーいT郎ぉ、どこだ?……くそマジどこいった。えーとT郎さん……?」
「K介」
 俺は声の方にスマホを向けた。誰もいない。いないはずなのに、T郎の声がまた聞こえた。


「O・O・S」

 俺はキョロキョロ見回しながら「その心はぁ?」と尋ねた。

 返事は、なかった。

「T郎、てめこの野郎、隠れてんじゃねえぞ。どこだ!?返事しろ、マジで怒るぞ」

 俺の声だけがむなしく闇の中に吸い込まれてゆく。

「T郎!なんだよOOSって!……おおい、T郎ほんとさあぁーなんなんだよー……─O─O─S─ってー…ええええええ!!」





「オーエスってなに?綱引き?」
 俺は目を開けた。T郎が、立ったまま俺を指でつついている。俺は何度かまばたきすると、ソファの上で上体を起こした。休日の昼下がりの、いつもの自宅だ。脇に立ったT郎は、俺を見下ろしたまま「オーエスってなによ」とまた聞いた。俺は欠伸をした。
「……俺が聞きたい……」
「あん?」
「オーエスじゃない、O・O・Sだよ。お前が俺に言ったんだ、OOSって」
「なにそれ、どういう夢?」
「ええっと……」
 俺はあの台詞に繋がる夢の情景を辿ろうとした。けれどいつものように、急速に干上がって乾いてゆく渚みたいに、夢の残滓がみるみるうちに蒸発していく。俺は残りをかき集めながら
「なんか、暗い場所で……お前と一緒にいるんだけど、お前がいなくなって……姿が見えないのに、声だけが聞こえる、みたいな……」
「ふうん、いまいち分かんないな」
「……なんでか……焦ってた気がする……あー思い出せんなあ。夜の山だった気もするし、沖縄の海だった気もする」
「アウトドア繋がり」
「はあ、ダメだ」俺はため息をついた。そしてふと、あることに気がついた。「そういや最近、お前って休みはいつも俺んトコ来るけど。R美はなんも言わねえの?」
「別れた」
 夢の残滓の最後の一滴が、音を立てて蒸発した。まだ幾らかぼんやりしていた頭が言葉の意味を理解して覚醒し、俺はT郎の顔をまじまじと見た。奴の顔にこちらの様子を伺うような、わずかに面白がるような表情がみえる。
「マジで?」
「おお」
「知らんかった」
「言ってないしな」
「巨乳好きのお前が。せっかく社内一の巨乳と付き合ってたのに」
「べつに……今でもR美の事わりと好きだし、巨乳も好きだけど。巨乳より好きなもんがあるって最近、気がついた感じなんだよね」
「へえ、なんだそれ」
「さーてなんでしょーかね」
 俺は姿勢をずらしてソファに座ると背もたれに寄りかかった。T郎は隣の空いたスペースに腰を下ろして、スマホを弄りはじめた。しばらく無言の時間が流れた。
「OOS、か……」
 T郎がほそりと呟いた。俺とT郎の目があった。T郎は手元のスマホに視線を落としながら口を開いた。
「俺なら、消える前にお前になんていうか、考えてみたんだけどさ。もしかしたら」
「なになに」
「最初のOは『俺は』じゃないかな」
「ほう。次は?」
「『お前が』……かも」
「『俺は、お前が』か、なるほど。で、最後のSは?」

「最後は……」
 T郎は意味深な目でこちらをみて、すこし笑った。
 それを目にした途端に、心臓の強い一拍が俺のあたまの中にこだました。強烈な既視感。いつだ?さっきの夢か?
 突然、台詞が鮮明に蘇った。

(だから吊り橋効果。マジでいま告ったらお前は俺に惚れるの?)

──いやあれは夢。夢だ。 ……で、いまは
 夢?
 現実?



(完)


ネムキリスペクト。
今回のお題は……「ゴーストタウン
でした!
よっしゃ、今回は間に合ったっ


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