8月31日の夜と9月1日の朝。


わたしは8月31日という日付に強い思い入れがあります。今年は全国的に夏休みが始まるのも終わるのも早かったらしいですが、少し前まで8月31日が最終日の学校が殆どでしたよね。
わたしが不登校だった時の話をさせてください。
色々あって学校に行きたくなかった訳ですが、親は「夏休み明けから行け」というのです。
そして最終日の夜、泣きながら指定の通学鞄に荷物を詰めるわたし。
行けないなんて言ったら何されるか分からないし、何よりも「何事も無かったかのように夏休み明けから行って、また生活を取り戻そう」という僅かな希望がわたしの中にあったのです。
もちろん眠れずに9月1日の朝、案の定お腹が痛い、吐き気がする、動悸がする。
分かっていたけどやっぱりしんどい。
でも行くしかない。
自転車で1人、通学路を進みました。
だんだん学校に近づくに連れて足が重くなってペダルが漕ぎにくくなったあの感覚は鮮明に覚えています。ていうか行きたくないのに自分で漕いでる。何してるんだろう。
もうむり引き返そうと思ったけれど、工事現場のおじさん達に見られてる気がして進むしか無かった。
通学路には踏切があります。
踏切を渡ると学校はもう目と鼻の先。
他の生徒や先生もいるから、この線路を超えたらわたしはもう学校に行くしかないんだ。
帰りたい。でも親になんて言われるか。
行けるかもしれないと思ったのに、悔しい。
もういいや。死ねば行かなくて済む。
行けないわたしに悩むこともない。
死のう。
自転車をとめて踏切の前に立った。
電車が来るのを待つ。
どのくらい待ったか、電車が来た。
だけど、っていうか当たり前か一歩踏み込めない。わたしは弱かった。
その日は結局学校に行きました。
ぐちゃぐちゃになるまで泣いてたのに、下駄箱に来たら涙が引っ込んで先生に挨拶をしている自分がなんだか怖くなりました。

でもその次の日から中学校には行きませんでした。
あの時踏切の前に立って、ここで死ぬという気持ちで電車が目の前を通り過ぎるのを見た時。
やっぱりわたしの中の何かが変わって。
あの時のことは忘れない。
あの時の音、匂い、暑さ。
8月31日と9月1日はわたしにとって特別な日です。
ですが今のわたしは夏の焦燥もノスタルジーもあまり感じなくなってしまいました。
人は変わるということは最近強く実感しているけれど、見える世界、聞こえる音まで変わるんですね。
つらかった時のあの感覚ですら
わたしは忘れなくないです。
何が言いたいんだか。
まだまだ暑いですが、やっぱり8月が終わると夏の終わりって感じがしますよね。
もう夏のせいにもできませんね。
わたしは金木犀が大好きなので、ベランダの金木犀の花が咲くのを楽しみに、また生きてみます。
読んでくれてありがとう。
おやすみ





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