なんで本質は無だとわかっているのにそうするの? 現実の共同創造の仕方 2
上の続きです。
ノンデュアリティ目線だと創造できるということに疑問符を抱くと思いますが、その意味を教えてくれた時のメッセージです。
なったようになる、在るように在るだけ、というのは仕組み的に顕在意識(小さなセルフ)にはわからないことだらけで、そのコントロールをしていない(できない)ということがあります。できているかのような錯覚を持つというのはまた別の話です。
それでもなお、引き寄せだとか、現実創造だとかいうことがはやっていてそのことに疑問を抱くことがあったのですが、その一つの目線を教えてもらいました。それが上のチャネリングです。
存在が存在としてただあるだけ、という層とは別に創造をする、できるという層があり、そのお話だということみたいです。
(神意識、神の焦点というチャネリングは昔のチャネリングなので、どこかで発表した気もしますがまた書いておきます。)
大元(ホーム)の願いは単に在ることだけで、それがすでにかなっているからすべての感情を一度に味わっているのだと思います。
それとは違い、個別化した意識であるぼくたちは、そのすべての感情の内のその時々で意識にちりばめられたものを感じますので、一つ一つを感じているのだと思います。
層が違っていますので、レイヤー毎に棲む現実が異なるのだと思います。
大規模レイヤー(ベース/場所貸し)
中規模レイヤー(ハブ/基地局/駅)
小規模レイヤー(個人/個別化した意識)
と分けるとすれば、
ホームが大(すべての大元)で、
神(クリエイター層)が中(宙/現象界/場)で、
人(個人的世界観)は小(章/節/話/エゴイスト)だと思います。
海、陸、人と読み替えてもいいかもしれませんね。
又は、宇宙、星、そこで生きる生き物等々。
それで、現実の共同創造という観点から見れば、多くは神と人族の間のやり取りのような気がします。ホームは一切関与しないと言いますか、ホームはそもそもからして存在を在らしめているだけで、それ以外をしないのだと思います。だから、ホームと人族みたいな構図にはならないんじゃないかなと個人的には感じます。
が、しかし、ノンデュアリティを学んで、そもそもからしてホームとか神とかそういう区切りが意味をなさなくなって、自分イコール即ホームであって、神でもある、つまり、そういう分離など元からしていなくて、焦点の違いだけがあっただけだとわかると、そこで話は終了し、創造が終わります。ノンデュアリティの限界だと思います。ただあるがままの生命の流れにゆだねるところに終着するということになります。(そこがゴールならそれで構わないと感じます。)
現実の共同創造という観点に話を戻しますと、ノンデュアリティからもう一歩進む必要が生まれ(トリニティ意識の顕現)、それが潜在意識系とか引き寄せの流れを汲んで受け入れて、さらに発展させると、集合意識的な共同創造の眼が生まれえます。それがぼくが今伝えたいことになります。(ユニティ意識への気づき)
現実の共同創造という意味をもう2段階ぐらい引きあげませんか?と言うことです。もちろんできる人、惹かれる人だけで構わないので。
整理して書きますと、
ぼくの個人的な意見
チャネリング情報は上記までです。ここから先は個人的な意見なので読んでも読まないでもいいです。
あなたが地球に残すことができた価値とは何ですか?
100年、200年、300年と、もっと長いスパンでも、子、孫、ひ孫世代のその先に向けて、あなたが意図したことは何ですか?
あなたは
破壊者ですか?創造者ですか?
汚染者ですか?浄化者ですか?
立場を明確にして下さい。
ぼく個人的には、エンタメ系で才能を発揮したいなあという印象があります。つまり、地球でもっと遊びたいという欲があります。
普通は社会貢献などマネー経済の指標にのっとった選択基準で評価するのが通例かなと思いますが、その指標だと、低所得者(子供やお年寄り、(ありとあらゆる様々な)ハンディキャップ)、他の生命などが範疇に無くてその指標は無限の多様性を内包できないと感じていますのでぼくは用いません。
かなり現実的な処々の問題を含めてみた時に、一番大事なのはやはり、単純な喜び(存在する、風を感じる、太陽の日を浴びる、朝気持ちよく目が覚める、などなど)そういう低レベル帯の感謝と喜びが主の人生の方がいいなと思います。御飯がおいしく感じられるだとか、時間に余裕があって心にゆとりが生まれるだとか、当たり前の極一般的な日常の豊かさの方が大事だと思います。
それ+人っぽいイベントが定期的にあればなお楽しいと感じますね。つまり、今現実世界で行われていることのほぼすべてのイベントのことなのですが。
立場を明確にすると言いましても、(ぼくの一例をあげましたが)なにも深刻さは無くて、どうしたいのか?を問うて正直に考えればいいだけだと思います。
どのレイヤーに対しても、「上にあるがごとく下もかくあり」なので、つまりはそういうことだと思います。上の階にエンタメの神がいるとすれば、下の階に(たとえばここでは例として)ぼくがいてもおかしくは無いように、太陽の光とか熱、水とか雨、風とか資源、そういうものにコミットする存在が低レベル層にいてもいいのと、みんながみんなそれを目指した方がいいということではなくて、それぞれに個性があってもいいということになると感じています。
例えばですけど、地上の神としてあなたは何を選びますか?
ぼくのようなエンタメ系でしょうか?美容系ですか?建築関連でしょうか?デザイン系ですか?
はたまた争う戦争関連ですしょうか?対立する意思をお持ちですか?
何が良くて何がいけないことだというのは、そう折り目付けられた思考の範疇の事かなと感じています。より大きな世界線で見た時、あなたの望みはすでにかなっていて、それを再現(体現)することが(あなたの)神の喜びかなと感じています。それは存在の数だけ多岐にわたってもいいと思います。
ちなみに、無限の宇宙と一口に言いましても、時間軸の上で(周期的に)展開させている都合から、今すべての無限が一度にドンと展開されているわけでもなくて、タイムラインに沿って、出やすいものが出たそばから出てきているだけ、関連ごとに、関連部署ごとに生まれてきているだけに見えますので、まだ無い(情報としてはある)、まだ実現化、受肉化していないものも多くあって待機していると言いましょうか。秩序があってその秩序に従い自然な形として出てきます。
既知の成分よりも、未知の未開の部分の方がはるかに多くて比べ物になりえませんので、現状が最善で合って、とても貴重な経験であって、、と言えるとおもいます。
小さな目線で見ることをやめてみるというのも一つの目安にはなると感じます。
さてさて、自分が無限の存在だとわかってしまったならその先、あなたは何をこの世に残したいのですか?何を実現しましょう?心の底から本当にしたいこととは何ですか?
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