数年ぶりの大きな理解が来た!自分向けメモ
今なんかわかった!1年もすれば忘れちゃうからここに書いておこう。(自分のためのメモ)ついでにシェアもしとこう。
あらまし
今朝、目が覚めてボーとしながら「すべて受け取ります」と勝手に口が動いて言い、頭の中に早送りでいろいろな会話が流れ込んできた(インストール作業)。
それで、それを忘れていて起きて活動して休憩してたらいろいろ腑に落ちてきて涙が出てきていろいろ分かった!(解凍作業)。
何が分かったのかを書こう。
何が分かったのか?
昔願っていた(当時の)本願が今叶っていたことに気づいたこと
今ある現実はずっと想い続けていた暮らしだったことに気づいた。のと、無限だから今のこの暮らしは2度とないとてもとてもとても貴重な体験だったということ。これに泣いた。
エゴ意識が不満を言おうが何しようが、お構いない。(魂意識にとってみれば、本願がかなっている状況なので)
それと、これをただ満喫しきっていればよくて、この現状もまた変化するからそういう意味で本当に安心しきっていていいということが分かった。
(無限だから固定していない。これもまた変わる。だから今がとても貴重。なぜなら、準備してうまく整えてようやくうまく行きだしたから。現実を作る、というのはある時一瞬にして作られるものではない、プランニングして調整して行動開始して、調整して微調整して、ようやく軌道に乗らして進めてそれで崩壊する。安定と崩壊を繰り返してその間に感じたいこと学びたいこと経験したいことをできるという流れがあって、だから準備してきたから貴重だという話。)
:ウグイスの例
ぼくはウグイスの鳴くところで暮らしてみたいとずっと思っていた。それは今叶っていて、とても好きなんだけど、それ以外のところで不満があった。つまり、ウグイスは自然に近いところに生息している都合から、ぼくがそこになじめないこともある、例えば、虫が多すぎ、ヘリがうるさすぎ、道路が遠いところにあるけど太いから大型トラックとかバイクがうるさすぎ、田舎だから田舎すぎとかとかとか、つまり、本願であったウグイスが鳴くところに住みたいはかなっているけど、他の要素で不満があり、純粋に楽しめないでいた。
ついでに言うと、研究をずっとしたいと思っていて、今それができているけどしている対象が「土とか微生物」でそれはいいんだけど、上に書いたように虫が多すぎだとか、土で汚れるとか思っていない自分にとってのデメリット(挙げればきりがない)を抱えていて、そのほかの本願とも合わさって今の現実にちゃんとプランニングされて全部含まれていた。1つ1つもかなっていたけど、複数合わさった願いもかなっていてそこには例えばウグイス以外のカラスが鳴くだとか別にほしくもないものも含まれていたということ。ウグイスにはその自然な生態系があるので、都会人が思うほど自分に都合のいい範囲だけがあるわけではなかったということ。
ちゃんと書くと、
1つ目の願い、2つ目の願い、3つ目の願い、4つ目の願い、5つ目の願い、とそれらすべてをちゃんと含めたプランニングで実施され、今現実に確かにその中にいて確かにそれがちゃんとできている。んだけど、エゴ意識はあれがダメ、ここが気に入らないと思ってどうにかこうにか変更しようとして変更できる部分とそうじゃない部分があり、変更できないとすねたり自己嫌悪したり、やっぱり自分はダメなんだと確認したりしています。だけど、そもそも魂からすれば、ちゃんとしたいことができている状況なので変える必要が生まれていない。というここがようやくわかった落としどころです。
ここまでのまとめ
追記:(もっと言えば、計画を記憶していてそれの断片を思い出して「これしたい」と思って夢として持つけど、実はそれは一部で「その状況自体」が欲しかった経験つまり計画。もう少しちゃんと書けば、願い1、願い2、願い3…..とあるというよりかは、計画がちゃんとあり、その計画につなぐために分岐しているところでちゃんと選べるかのように願う願いが1,2,3…とあってその願い通りに乗るとその願いが果たされた現実を生きているという感じ。
:計画書のhttps://www.youtube.com/watch?v=_n1oVajrbSw)
3Dソフトの話から物理的現実と言うものの構成が分かった
話は変わり、
「既にある」が分かった話。
3Dでフォトリアルを作っていたことがあるので、それを例に出して、
1,この現状が「実は何でもいい」ということが分かって納得した。結構深く納得した。
2,場所とか空間とかいうものが無いということが分かった。でもすぐ認識から外れそう。
:3Dのソフトでの例
3Dソフト(Blender)では、点があり、点と点をつなげて線になり、線と線をつなげて面ができ、面と面をつなげて立体ができます。で、その立体は中が空洞で実際には点の集合でしかない。
3Dをそもそもデフォルメとして扱う分野を省いて、フォトリアルとして制作する分野だけに限って言うと、テクスチャを張るのは点を削減するためで、そうしないと解像度の高いメッシュの細かいスカルプトなデータにすると数テラとか数十ペタとかギガをはるかに超えたデータになってしまうからそれを省くためにデフォルメしています。
つまり、量子の点がこの現実世界の3Dでとらえ方が同じで、それはつまり、点の集合に見たい意味を見ているだけで、それと同時にそこにすべてがある。
量子(点)だけを見ると細やかさのスケールが違うというだけで、Blenderも点を扱っています。
3次元世界と言う現実世界に「既にある」というのはそういう意味で、量子的にすでにすべてがあるというのは言葉で聞くと、意味が解らなくてホログラム的なイメージとしてあるのかと思っていたけど、ホログラム的なイメージとしてもない。
チャネリング
上のチャネリングは昨日聞いたことだけど、なるほどと腑に落ちた。
潜在意識の書き換えと願望実現のYouTubeを聞きまくった
また話は変わって、
ここのところ、ノンデュアリティではなくて現実創造の方法論(潜在意識の書き換えと願望実現)みたいな話をYouTubeで見あさっていてなるほどなあと感じていました。
ノンデュアリティのエッセンスとは違い、「既にある」「現実創造」「創造主」っていう切り口で現象を眺めてみるということがぼくにはできていなくてなんとなくわかるけどよくわかっていませんでした。だけどようやくわかった。腑に落ち着いた。今はまだわかったばかりだから、ちゃんと説明できるところまではいかないけど、なるほどなあと思っています。
ちょっと書いておくと、「変える必要が無い」これはマスト!
エゴ視点、エゴの立場からすると、不快な現状かもしれない。という理解。これもマスト!
エゴは本当の立場ではなくて、この地球ゲームに参加するためのアバターだから、エゴを気持ちよくさせるためにエゴの望んでいることを望んだそばから叶える場所であるというゲームをしたいならすればいいけど、そうじゃないならちょっとほかっといても別に構わない。そこに罪悪感が無い。エゴと取引ゲームをしない。
創造主ゲームをして行きたいよ、っていうならすればいいだけのことで、それ以外もある。
たとえば、ぼくのしているような、エゴが全くないか、合っても僅か(他の方と比べて)か、そもそもエゴが降参をして、真我で生きることに同意をしたのかどうか?ということもあって、そういう場面では、エゴとのパートナーシップを結び、共同創造するのも悪くない選択となる。
現実創造、または自分が創造主だという認識にも深さ、層があり、望みをかなえたい=確認したいという層があって、その層を超えると確認が不要なので、別に確認もしないから自分が創造主であるかどうかに興味がわかず、だって無限じゃん、だって全部が自分じゃんという発想。
思い通りに好きに引き寄せたいとするその根拠は、そうできるかもしれないという淡い期待であって、確実にすることが分かり切ったならば、そうすればそうするだけのことなので、何の深い確認作業もしなくなってしまう。だから、確認するということが必要かつ重要なり。なるほど。
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