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9次元的な世界視

前置き

ぼくは個人的にはいつも疑問を持ちながら次元の違いを意識体験してきたので感覚的な各次元間の差異を少し説明できます。頭の引き出しの整理のためにまとめてついでにシェアもしようと思います。

補足
何次元と言うのは概要であり、説明の手段なので、実際にそういうベクトルがあるかと言うと無いんじゃないかと思います。じゃあ何でそういう指標を使うのかと言いますと、テストをして結果を見た時に明らかな違い、線引きができますので、それをもって次元として分けて使っているとぼくは思います。ブレイクスルーしたかしてないのかの線引きです。
その方が説明に都合がいいからなのと、聞く方も納得しやすいかもしれませんので意識の話を次元で説明していきます。

それではスタート!


概要

占有時間が違う

当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、一日を通して思考と態度の次元がそれぞれで異なります。上図をご覧ください。例として一日当たりの思考と態度の占有する時間を書いたものです。それぞれメインの態度がその人の持つ平常運転時の世界観です。

実際には人間は多次元的なので、3次元に固定されているわけでもなくて、よく使う次元(メインの次元)と言いますか、居心地のいい視座と言いますか、学習のための体験の焦点が固定されていて、たまに(お風呂に入ったときとかにリラックスして)、自分の高次元の面が顔をだしてきたりします。瞑想が良いというのはつまりそういうことで、意識的に自分の高次元を体験してみようとしていると言えます。

また、生まれた時からすべてのジャンルで成績優秀ALL5みたいな方はいないと思われますので(それだと生まれてくる理由がない)、メインの焦点が5次元的で所々5次元的な発想ができても残った3次元的な発想のところもあったり、あるいは7次元的な発想がごくまれにできたりする分野もあったりします。つまり、平均的周期的に5次元発想が標準なら5次元的な人と言えると思います。上図の通り高次元(例えば9次元人間)といえども部分的に3次元さが残っています。

自分が5次元の発想が標準になりますと、3次元的に生きていらっしゃる方々に共感できなくなって一言言いたくなるかもしれませんけど、そういう時には自分の3次元的な発想の部分のトリガーが引かれて活性化され、同じレベルになり一緒にワークし合っています。(共鳴)

例えるなら高校2年生に進級したからと言い、全員が高校1年のテストで満点取れるかと言えばそうではないみたいなことです。部分的に理解が進んだところがあり、まだこれからなところもあります。しかし、年齢的に高2だということです。もし、大学生に上がったり社会人になったからと言って、高1のテストのすべてが満点かと問われればそうではないと思います。逆に小学生にその問題はまだ早すぎて手が付けられません。

意識が進化するというのは個人的には無いんじゃないかなと思います。意識が進化するのではなくてフォーカスがずれて、もともと使用可能だった意識の焦点が使用不可になりつつ、別の新しい次元の視点のフォーカスが使えるようになっただけという気持ちです。トレードオフです。なので、3次元にこだわっている状態にあると、そこにフォーカスが向きやすくて(アンカリングして)便利で、だけど、他の次元にはほぼ目が向かない状態でもある、と言えます。

つまるところ、個人の目標とか努力で意識を進化させていってるのではありません。大きな流れの中で、今したいことができうる次元に意識を固定していたいがために、その周波数を選択してその次元から見える世界を体感しています。地球イベントに物理的に参加したいから、今その次元の見え方が必要なので身に付けているということですね。

各次元に優劣はありません。特徴があります。高次元が良くて低次元が良くないとかいう決めつけはもともとありません。しかし、その差別を利用して挑戦したい人々(チャレンジャー達)がいます。

まとめ
多次元的なので全部の次元があるけど、メインの次元で活動する。
メインの次元の占有時間が一番長い。
その自分の見え方で経験したいから選んだその次元になんとか張り付いていたい。(てこでも動かないマン)
各次元に優劣はありません


見える範囲が違う

こちらも当たり前かもしれませんが、意識は低次元よりも高次元の方が単純に見える範囲が広くなると思います。

一人の推しを推しているのか、箱推しか、界隈推しか、複数またがる関連した界隈群を推しているのか、一見何の関連もないすべての界隈を(つまり関連銘柄あますところなくすべて)包含して推しているのか?ぐらいの違いがあると思います。

視野の広さ的に言えば、アルバイトか、バイトリーダーか、社員か、部長か、社長か、提携グループ各社トップ会議か、株主総会か?と言えるかもしれません。

見える範囲、深さが異なることによって、テーマとか対象によるので一概に言えませんけど、そこからわかる気づきの種類か深度かシンプルさなのか、いろいろ変わってくると思います。

視野が広い方が、なにか出来事があったときの解釈の幅が広くてより正解に近い答えを早く出せる気がします。また、囚われがほぼないか少ないことで窓に頭をぶつけ続けるトンボみたいな思考のループを素早く切り上げ、リソースを別のことに回せやすい気もします。

縦:さまざまなレイヤーを予測する包括さの精度
横:さまざまなバリエーションを予測する包括さの精度
関連:さまざまな関連付けを予測する包括さの精度
時間軸:次どうなりそうかを予測する包括さの精度
流れ:(このままいくとどうなるか)大局的な流れを予測する包括さの精度

普通、こんな難しい話聞いてもわからないと思います。これはぼくの切り口になります。3次元的な生き方を一口に言えないように5,7,9次元の在り方も一口には言いにくくてなおかつ個性があると感じますので、この説明がすべてではなく、ぼくの個人的な解釈によるものですので、それぞれ個人個人のの見え方で良いと思います。

別の観点でいえば、
1つの事柄から気づきを得て理解に発展する速度と言うか上昇幅が広いのが高次元の特徴です。応用力とでも言いますか。そして3次元よりも5次元の方が理解度が上に感じています。5より7、7より9という具合です。

理解度が高いという話は、逆を言えば否定とか拒絶とか否認とか理解をシャットダウンするような癇癪が無いかほぼなくなってくるということだと思います。不理解による勝手な思い違いとか、答えありきの期待感による誘導が無いかほぼなくなっているということだと感じています。

それは具体的な事柄しか扱えなかった次元から移行して抽象的な可能性まで扱えるかのようです。それは物質的にシンボルとして目の前に提示されて、所有者としての責任を問われないと責任転嫁するような意識ではなくてそこから一歩進化して、非物質的な事柄にも自分のこととしてちゃんと向き合えるようになったかのような出来事だと感じます。けじめの範囲のことです。

まとめ
求めと次元により見えているものが違うので意見交流すると楽しい。
高次元はおのずと理解度高めでそれはつまり、否定がどんどん薄れてしまっている。


精神性がより高い

アピールしないから知られていないだけで、スピリチュアルを一度も学んだことが無い、9次元的な発想で暮らしているいつも幸せなおばさんとか普通にいらっしゃると思います。

精神性の高まりと言うのは実際には他人を測る目的ではなくて自分の現在地を知る必要があるために、どうしてもちゃんと眺めてみる必要がある事柄と言いますか、勉強してできるようになりたいものなので、人と比べてどうこうではないですよね。閾値を超えているのかをテストして確認するだけのことなのだろうと感じます。

他の人が何次元なのか?ではなく、自分が何次元なのか?を素直さと正直さと純粋な興味として素朴な疑問として持ち続ければ、この精神面から見ることのできる次元の便利さとありがたみが分かると思います。

分からなくなったら、単純に聞けばいいと言うことになるだけだからです。(わからないことがあればBingAIやGoogleBardに聞けばいいだけと同じ感じです)

「ただその次元で経験をしたいからその次元を経験する」のですね。驚くほどシンプルな動機です。

3次元の方は5次元の方と意見交流をすると、(占有時間のところでも触れましたが)それぞれのメリットになると思います。お互いに研磨し合うことで角が取れやすくなるということですね。5なら7、7なら9と言う具合です。

3次元の方が背伸びして9次元の方に聞くのは迷惑ではないかもしれませんが、それまでの前提知識をすっ飛ばして次に進めないので小→中→高→大という風に本人のために順番通りに進むカリキュラムがあると思います。

精神性の尺度を次元でいうことを例えるならば、大工のプロには大工のプロ御用達の工具類が必要でそれを使うから工期を守って施工精度よく匠の仕事ができるかのように、精神性がより高いという意味は、精神面の補助ツール(プロ御用達ツール)を使ってちゃんと結果に変えていきたいという思いがあるからで、自己研磨、自己研鑽の意図があると感じます。それに答える形で他の先輩方や、後輩方がお手伝いを名乗り出てくれている、そんな図式です。

まとめ
精神面の尺度はとても便利です。
高次元ほど精神性が高めなのでわからないところを聞いても大丈夫。


各次元の特徴の違い

自分が今何次元的なのかは、占有時間のところでも書きましたが、多次元的なのでブレンドしていて、グラデーションのように音楽のようにいつも変化していると思います。

長所を発揮しているときには高次元(うれしさ楽しさ)で、苦手に向き合っているとき低次元(悲しさ苦しさ怒り)に一時的になるという風にとらえています。友達としゃべって楽しい時は上がって、お風呂に入ってリラックスした時は上がってと言う具合です。

がしかし、実は変動しまくっているというのはそれだとわかりにくいかもしれませんので、メインの次元の時の大体の傾向を書きます。なお、サンプルが少ない7,9次元はぼく個人の経験談になります。

3次元から5次元へのアセンションというテーマは地球の物語のはずです。
スターシードと言う人々は、地球よりも高次元の惑星から転生してきた人々で、地球に転生することが今回が初めてか2回目かとか数回未満の方々で、地球の価値観に慣れていません。だから、いろいろな学びを得られたり、低い周波数帯の経験値を得たいがために来ています。

つまり何が言いたいのかと言うと、来た惑星の周波数帯で生きて良いよと言うことです。もともと7次元だったのならばその7次元的な特性を駆使して生きてもいいんですよ。元から5次元なら5次元で構わないのですよ。

3から5次元へ移行と言うのは地球と元地球人向けの設定であり、テーマであって、ぼくたちスターシード達はそれを補佐する形で生まれてきていると思います。補佐です。それは元地球人の代わりに生きてあげるということじゃなくて、自分(地球に来る前のもともとの次元)を生きていればそれにつられて周りの人も「あ、そうか。あんな風に生きていいんだ!」と気が付くお手伝いができるよということです。自分本来の在り方を隠す必要はないです。

小学校のテストを自分でやんなくちゃいけないお子さんの代わりに自分が解いてあげて答えを書き写してあげてテストクリアに見せかけてあげて、自分が小学校を(また2度目)クリアするのではないです。元中学生とか元高校生ならそのレベルでいて良いんですということになります。

何度も何度も3次元的な発想に躓く必要はないと思っています。ぼく個人的には今3,5,7,9次元とたどってきて結局行きついた答えが結局のところ自分自身を生きた方がいいという結論なので、個人的にはもう3次元的な負のスパイラルに時間を割く必要が無く、そんなことしません。だからいつもハッピーです。

また、個人的求めで、上昇しても良いと感じます。今いるところがすべてじゃありあせんので、常に上には上がいることを喜びながら切磋琢磨しても楽しめると思います。意識は様々にありますので、だれがどの次元にいようがお構いなしですが、自分がどうしたいのかだけに着目して何ができるのか?どうあれるのか?をよく吟味してハイアーセルフと一緒になって学ばさせていただくというご縁もあります。

それでは3~9次元のそれぞれ個別の特長をおさらいしましょう。


3次元的な見え方

〇 3次元の概要
3次元に近いほどテレビに顔を突っ込んで見てるかのような焦点の狭さがあると感じます。目先の現物支配感です。

3次元的な発想は、自分または自分の所有物(家族人物金財産)、所属、等々のアイデンティティーを投影したものを範囲としてその中でのみの拡充を条件にしていそうな雰囲気があります。

つまり、自分に関連すると認めるところを大事にして自分に関連すると認めていないところには気が付けない。視野が狭いというのはそういう所に表れています。その代わりに、自分と認めるところの手入れは全部自分で行ってくれるので手伝う必要が薄く、放っておけます。

個人個人の相互作用が薄く、ガラパゴスがいくつもあるようなことに見えます。いろんな見方ができるのでこれはほんの一例です。

悪く言うつもりはありませんのでそれをどう見るのかの話です。ぼく個人的にはオールウェイズ三丁目の夕日という映画を見た時の気持ちを思い出します。原風景ですね。

今の日本では当たり前にあるものでも戦後まもなくは無くてこれから日本が経済成長していくことを喜んだり一生懸命に生きている人たちの話です。美化しないで書くと暴力、態度の暴力があり、だんだん見る気が薄れるかもしれませんが、この映画でしかわからない大事なことも含んでいると思います。3部作を一度見てみてください。

〇 3次元の仕組みの解明手段
個人的に仕事や日々の暮らしとスピ系の本、動画(YouTube主にバシャール)で3次元の流れや仕組みを学び終えました。

YouTube上には今も普通に3次元から5次元に目を向かせるためのあの手この手の動画があふれています。特に、お尻を蹴り上げる系のちょっと脅かすような微妙に焦らせる内容が多い印象があります。期日を定め、その期日に向かって変化させようとちょっと駆り立てるみたいなことです。

実務的な都合からお尻の一つや二つ蹴り上げたくなる気持ちはわかります。といいますかむしろ、蹴り上げられたい人が差し出しにくると言った方が正しいかもしれません。YouTubeはお店を構えておいて来てもらうスタイルだからです。

あとは、死後の世界に興味を抱かせる系とかもありますね。

〇 3次元の精神性
正誤判断ではなくて、自分の信じていたいことを信じていたいため、その状態にとどまる傾向が強いと思います。それは今向き合っていることに向き合い続けるという意味で有意義だと感じます。自由さの無さ、制限のある思考、かたくなさと言えなくもないですが、その方にとって必要なことだろうと思います。

あと、感情のバランスが自分一人でとれていないことが多く見受けられると思います。頑固であったり怒りでかたくなな態度をとるというのは、その背後に自分の言葉にまだうまく変換できない大切に思っている気持ちがあるということの表れなのかもしれません。正直に自分の気持ちを出すということを自分のペースで学んでいる最中です。未熟さの中にもご本人にしかわからない大切にしまってあるものがあるのかもしれません。

〇 3次元のクリア報酬
よく言われているのは自分が肉体以上の存在だと理解できることが3次元(物質次元)での学びの終わりです。死んだらどうなるのか?死んだらおしまいではなくて、死んでも場所が変わってそのまま生き続けるという「死んだ時と気絶してる時と寝てる時に行く場所は同じ」です。

肉体の寿命が来ても意識は死なないことから、死んだとき持ち帰れない物質的な物を無い物ねだりしなくていいと気が付くことができれば、今の暮らしにあるものに目が向き、頑張りすぎなくて良くなり、かたくなだった気持ちが溶かされ生きやすさを感じられると思います。

〇 3次元のアイデンティティ
3次元は肉体的なアイデンティティを獲得したい層なので、自身を鍛えたりダイエットしたり整えたり、高価な物を買ったり、良い職に就いたり、立場についたりして、どれが自分の持ち物として気持ちに適切にフィットするかを確かめてそれを自分のアイデンティティにします。着る服を選びたいのです。

3次元的な『本当の自分』とは、物質的なものへのアイデンティティの投影のことです。(外面的な自己実現の層)

そしてその肉体由来の自己肯定感のアイデンティティの構築に成功した場合は、それをずっと着こなして楽しめます。

逆に肉体由来の自己肯定感のアイデンティティの構築に失敗すると、アイデンティティが無いことはいけないことだと認識していますので、別に救いを求めて奔走し、精神世界に巡り合う方がいらっしゃいます。

その時に5次元の先生が現れて、次は霊的なアイデンティティに目覚めなさい、と次の進路を示してくれます。

それに合意出来たら3次元の修了と5次元の幕開けになります。

まとめれば、
一つ目は肉体的なアイデンティティの構築に成功した例です。こちらはそのまま3次元世界の構築に参加していきます。
もう一つは肉体的なアイデンティティの構築に失敗したか、わずかに成功しただけの場合です。こちらは次なる霊的なアイデンティティの構築に挑戦していきます。
どちらが好きかは各自が決めればいいことなのでした。

蜂の巣から蜜を取り出しても、ミツバチがまた同じ行動を繰り返していくのはそのような回路に働かされているためです。ハチと同じで、人も同じことをより早く終えられるように回路を作りループしていますが、先に進む段になれば回路を繋ぎなおすことで別の方向に行けますよ、と言う意味です。

地球磁場と言うレアな経験が選択できる中ですぐに上昇してしまうのはもったいないと感じている方が多いみたいで、別方向とは主に横軸方向の事で、縦軸方向はレアケースだと思います。

5次元的な見え方

〇 5次元の概要
5次元的な発想は主に、3次元でできないことをより早く、よりいい感じにすることを目標にしてそうな雰囲気があります。3次元に対するイニシアチブがあると思います。

ぼくが実際に5次元的な生き方をしていたのが十数年前なのでもはや覚えていませんが、今現在5次元的な発想で活動されている方の焦点や話す内容から察するにそういう感じがあります。優越感、満足感、が転じると傲慢さとかマウントに変化しやすそうです。3次元存在と比べて物質的有利になりやすそうな印象があります。人によるかもしれません。

つまり、願いを成就するスピードが速くなるというのはそれを赦したり受け入れたりする土壌が心にゆとりとしてあるからで、そういう意味で3次元的な発想よりも自由さがあるのだと感じます。

〇 5次元のアイデンティティ
5次元のアイデンティティは主に霊的(精神的)です。
5次元的な『本当の自分』とは、精神的なものへのアイデンティティの投影のことなのです。(内面的な自己実現の層)

3次元の物的なアイデンティティの創出に失敗したネガティブさを引きずり、5次元では失敗はうんざりとばかりに今度は成功したいがために、様々なスピ系アイデンティティを引っ張り出して来ては試して、を繰り返します。

この次元は、スピ系アイデンティティを模索している人達の社交の場です。霊的なアイデンティティを得ることが本当の自分になることだと言う視点で日常を彩っています。お気に入りの服が見つかればいいですね。(ぼくも好きな服の1着や2着ちゃんと持ってます)。気に入る服が見つかればそれを着まわして楽しめます。霊的なアイデンティティの構築に成功すれば居心地がいいのでずっとそのサークルに居られます。

逆に、霊的なアイデンティティの構築に失敗すれば、次は内面のさらにディープな世界への道を見つけて進みます。すると、最終的にアイデンティティの投影が利かない未知の領域に出会います。そこで、7次元の先生が出てきてアイデンティティが無いままでいいんだよと「あるがままの境地」という次の指針を示してくれます。

それに合意出来たら、5次元の修了と、7次元の幕開けになります。

なので2つの進路に分かれたわけです。

一つ目は霊的なアイデンティティの構築に成功した人々です。こちらは5次元世界の立役者となって世界に5次元フィールドを作るために生まれます。
もうひとつは霊的なアイデンティティの構築に失敗した人々(少数)でこちらは次のステージに移行してまた探すと言う事になります。

何が良いかはそれぞれの物差しにより決められます。

〇 5次元的な仕組み
YouTubeには思考の現実化を体系的に説明して再現可能にするという動画が多い印象です。地球由来のぶれの中にいますので、元の5次元的な思うだけで実現しているというのにプラスして地球の3次元的なプロセスを経て現実化してくるということをうまく伝えてくれています。

・物質的な自己実現の層(3次元)

にプラスしてそこに

・どういう意図でどういう態度でいれば望む現実を利用できるのか(5次元)

というスタイルです。少しだけ物質的ではない非物質的な思念の層を経由するかのような5次元のとっかかり的な入り口的な話が盛んだと思います。

この話はお金や恋人を引き寄せるというだけではなくて、精神性を上げるという目的でも同様の手順になります。自己啓発と似通っている面もあると思います。

欲しい物、欲しい現実を生み出せるということの確認作業が幸せで確認作業に没頭してそれだけで人生を終える方もいらっしゃると思います。

〇 5次元的な仕組みの解明手段
個人的に日々の暮らし(チャネリング含む)と動画(YouTube主にバシャール)を見ることとゲーム(MMORPG)をプレイすることで5次元の流れや仕組みを学び終えました。

YouTube上には、5次元にアセンションするという求めからたくさんの5次元向け情報であふれています。バシャール朗読切り抜き系、スピ先生系、パワースポット神社巡り系、タロット占い系、チャネリング公開系、レムリア系、縄文系、カタカムナ系、神聖幾何学系、引き寄せ潜在意識系、宇宙にお任せ系、5chまとめ系、など。窓口が多く分岐が多く切り口が豊かで内容が豊富です。バリエーション豊かなので自分に合った入り口が見つかりやすいと思います。これにより、先人がたくさんいるという安心感と興味でさらに参加者が増していくと思われます。

〇 5次元の精神性
3次元よりも幾分ましですが、まだ物質的なVRを利用できる段階にいるので最大限それを活用すると思います。
3次元(物質的)と7次元(非物質的)の中間で、
両方から学ぶ段階(5次元=物質+非物質の両物質的=半々物質的)に思えます。3次元ほどではありませんが目先の物に目が行っていそうな様子はうかがえます。

この次元まではネガティブさがまだ選択肢として残っていると思います。だから光と闇の戦い、善と悪の戦いというテーマを演じ合い学んでいけるのです。学びが一度に二倍になり、双方にとってメリットがあるからです。

〇 5次元のクリア報酬
既に霊的な自分または宇宙の中の自分と言う非物質的な自己のアイデンティティに目覚めているので、その確認をしている層なのですが、それがだんだんとわかりやがてもう一段目が覚めると、確認作業は中止です。
次はちゃんと精神性を上げようと目を正すと感じます。

「可能なのは分かったよ。じゃあ本当に本当は何を実現したい?」

エゴな自己実現のタームを終えるという話ですね。その後も自己実現はありますが、エゴ的な事には興味が向きにくいから別の価値に目が向いています。エゴ的な自己投影(確認作業中だという在り方)を終えることでエゴ的ではない素晴らしい自己(本来の自己)を表そうとする段階に入ります。

レムリアの話題はそことリンクしています。物質的にも精神的にも黄金時代だったと言われているレムリア人とか縄文人だとかの暮らしぶりを現代によみがえらせる的な発想になると感じます。つまり、物質的にも豊かで非物質的にも豊かでというハーフ&ハーフな感じかもしれません。価値を物に見るという豊かさのことではなくて、もともとあったそれそのもの(本質)の価値に目が行っています。

より高次元になってくると物質的な豊かさへの渇望はなくなり興味の対象から外れていってしまうので、最後の物質的な望みがあるポイントと言ってもいいのかもしれません。つまり、物質次元を扱う存在として最高に楽しめばいいということになりそうです。その楽しむというのはエゴ的ロマンではなくて真我とかハイアーセルフとかハイアーマインドと呼んでいる本当の自分目線でかなり実務的な地に足のしっかりついたことになります。目が覚めた後に見てる夢(希望、パッション、好奇心、大調和、を叶えたいと言う夢)と言えると感じます。



7次元的な見え方

補足
7次元の話を言う方があまりいなくて資料が少ないのではっきりとしたことは言えませんが、個人的にはノンデュアリティを学び終えた時に7次元の存在が言うことが全くその通りだと完全同調できました。なので個人的な経験談がメインの説明になっています。サンプルが増えてくるまでは話半分の参考程度に見てください。

〇 7次元の概要
7次元の特徴は多様性が無限性に置き換わっていますので、無限性を基本とした世界の見え方をします。多様性と言うのは数えられる範囲の概念なので、それを臨界した概念といいますか、事実が無限性なので事実をまっすぐにとらえて無限であるということに頭が切り替わっています。もう数えません。ひとくくりで「無限」で良しとしています。

ワンネスと言うことがスローガンではなくて実際の現象なんだという理解があるので否定が生まれません。ワンネスと言うことが具体的にどういうことなのかが自分の人生の見え方に表れてくると思います。態度に表れ、生き方に表れていると思います。善悪二元論が定義不可なのでありえません。

この無限性というブレイクスルーが7次元の切符なのか?単に意識が上昇して気づきが一定に達したから無限性が当たり前に感じられるようになったのか?はまだわかっていません。次元と関係があるのかないのかわからないということです。他のサンプル待ちです。

〇 7次元の特徴
個人的特徴なのか7次元の特長なのかわからないつながりで一つ例を出しますと、前回の記事があります。この記事はそれまで1ミリも知らない話を急に教えてもらい自分が見えるまたは気づいた合理的な案を提示したものです。見え方のシェアですね。

これはチャネリング的につながれる存在が7とかの高次元でその方に教えていただいた物ですが、その話に納得できるだけの理解力、背後にある学びの構造への知識と経験があるということです。地球の持っている独創的な背後の現象やら意識の勉強の仕方やらあらゆる経験を総動員して見えたものを書くのですが、その引き出しと反応速度が速めだと自己評価しています。

ブリックスのテーマで話されていることを検索すると、5次元的なしかもダークサイド的な光と闇、世界崩壊的なミスリードがあたかも本当のことのように納得させられそうになる書き方で書かれていることが大半で、要領を得ませんでした。でも、それを決めつけて無視したり、決めつけて乗ってみたりせずに自分らしい答えを短時間で出せたことは今振り返ってみて自己評価できると思います。これは直近の例ですが、そんなことがまれにあります。

〇 7次元の仕組みの解明手段
個人的に日々の暮らし(チャネリング含む)とKindle Unlimitedと動画(YouTube主にノンデュアリティ系)を見ることと3D(Blender)でものづくりをすることで7次元の流れや構造、仕組みを学びました。今現在も学び中です。

特にノンデュアリティを学び切ったことがこの次元の卒業証書授与みたいな決め手になりましたね。ノンデュアリティについてはこのアカウントで詳しく解説(ノンデュアリティ1ノンデュアリティ2コラム)していますのでよろしければご覧ください。(内容が少し古いですが、分かりやすい所だけ読み取ってください。)

YouTubeで7次元向けの情報は『悟り』関連です。悟りについて手探りで話している方とか、阿部敏郎さんとか、ノンデュアリティの先生系とかノンデュアリティお話会系があります。あと、レインボーチルドレン系は7次元スタートの方がまれにいらっしゃる印象を受けました。無限性というワードは出てきませんが、悟ってる方特有の目線で話し、これから悟る方との間にある齟齬に子供の姿形で(見てる側のそれまでの社会性を否定しないように)考えて発信をされている印象があります。先生として教えるというタイプではないレインボーチルドレンはナチュラルに対応してくれていますので、すっと入ってきやすいので見た方が良いと感じます。

5から7への移動は自己流でやるとかなりてこずると思いますので、車輪の再発明をするよりも分かる人に聞いた方が時短でお得です。

〇 7次元の精神性
その根底にある筋道が、全部が自分でそれは愛であり善であり無であり、無限性をベースにしていることから、悪と言う概念はあって形にされるかもしれませんが、役目なだけであり、経験を得ているだけで必要なことがただ起こっているだけだから何も問題が無いという本質への理解のまなざしがあります。成るべきことが成るべくしてただ成っているだけに見えます。そこに介入する余地も意味もないです。

それと、すべては一時的な現象であり、ゲームであって学びを深めることに使うことのできる立場にいられているというだけであるというシンプルな世界への理解があると思います。物質世界はメインじゃないということですね。そこまで重要ではないと感じます。魂の遊びの場です。

また、自分がしていないという気づきもあり、させていただいている感もあり、縁とか恩とかも感じやすいと思います。自分に向いた集合意識の注がれ口が受け皿が自分だという意味です。

このように、7次元は悟りの次元だと思います。悟ることがゴールではなくて、悟ることがスタート地点で悟った後どう日々の暮らしをしていきたいのか?の次元だと感じています。

7次元の精神の特徴は個でありながらも全体意識的なので様々なことが把握できるということかもしれません。もちろんわからないことの方が多いわけですがわかることがそれまでよりも段違いになった感じがします。

キーになるのは常に無限性で、それは本当に強くてニューゲームのような、世界はそれまでと同一だけど、自分の視野だけが一変したかのような印象です。

無限性を相手にするということは、個人として生きていたそれまでと本当に異なり、本当に無限であるということに向き合って生きているという証です。

〇 7次元のクリア報酬
「写し鏡として全部が自分の表現ならどうしますか?」
「自分が無限性そのものならどう今を生きますか?」

あるがままに自由に自分自身を謳歌できる。自分自身を自分自身で在るという理解を1000%認め、その理解で自分自身に向き合っていくと、もうその目線が備わっていますので、外の世界に目を向けた時にもごく当たり前に他の方も無限性があり、そこではその人の成長の物語が進展しているんだなと大目に見ることができると感じています。

一歩下がって見て、二歩下がって見て、三歩下がって見て、四歩下がって見て.....とどこまでも続けていくうちに、こちらの意図の押しつけをせずに距離を取り、その人にはその現象が必要だったんだなとか、その物とか出来事が必要なんだなとか、要望を満たすために何度も何度も繰り返したいんだなとか、今知らなくていいことを今知らなくていいだけなんだな、とかの折り合いをどこかで付けられるようになるという意味です。3~5という低い次元にとどまりたい方の在り方を認識でき、説明でき、理解でき、完ぺきに受け入れられたということです。

そのままでもいいよ、(むしろ今そのまんまの)あるがままの自分自身で生きていていいよ、と間違いなく言えるようになれたし、その意味も価値も100%認識して納得してできるようになれたということですね。

この一見壊れているように見える世界の在り方との和解と赦しを行い、学びを提供してくれている代わりの無い場所と言うことへの理解と感謝の念で、もうそういう同じ認識の間違いをしなくなったという次元のことです。一言で置き換えるなら、ちゃんと「悟れた」のです。

ぼくよりも高次元の存在はたくさんいるだろうになぜその高次の存在達が一緒になってこの世界をまともにつくりかえないのだろう?という素朴なそれでいて晴れない疑問がようやくわかり、やっと悟れた~という意味合いです。

この説明で足りてますか?

〇 7次元のアイデンティティ
7次元は投影できる対象が無くなる場所なので何とも投影できませんが、これまで培ってきた態度とか焦りから、何かに投影していたいと思い込み様々な思惑に自己投影を繰り返していきます。

7次元的な『本当の自分』とは、根源的なものへのアイデンティティの投影のことです。(未知の領域へのあこがれと依存からする投影のこと)

それもやがて本質とずれていると悟れば、次に自己投影を全く省くという手法を思いつき試していきます。そうして出来上がったのが自己投影欲が皆無かほぼ無いという人です。よくてもせいぜい「全体」というその人独自の視点で練り固めたものに投影をしようと試みます。しかし、存在の本質があなた自身の事なので、何にも投影はしなくて構いません。

何にも投影せずともアイデンティティはあります。消えません。それだけでいいのでした。在れば在る。

エゴ意識はなにか役に立てていないと自己存在価値が消えると思い込んでいるからそういうとらえ方をしていますが、そうじゃないよ、と言う事でした。無条件に認められて愛されていますので安心し切っていて大丈夫なのです。

それまでの態度から一変して、急にアイデンティティの投影を模索しなくていいという状況になったことで居心地の悪さを感じているかもしれませんが、次第に慣れ、逆にそれが普通で気が楽になることが分かってきます。絶え間ない努力とここでお別れします。お疲れさまでした。

〇 7次元の補足説明

ある時、ぼくは寝ているときに太陽系のどこかの星に連れて行ってもらいました。そこでは当時のぼくのレベルと全く同じレベルの方々が1惑星まるまるいるということに驚きました!(約900万人!らしいです)。しかも太陽系と言うすぐ近くです。ニ重に驚きました。

当時のぼくは自分と同じレベルの人が地球にいないんじゃないか?と危惧していました。そして少しばかり天狗になっていた時期でした。悟りの中間地点ぐらいだったかもしれません。

ぼくと同じレベル帯の人が地球にはごく少ないのかもしれないけど、いるところにはちゃんとたくさんいるんだ(しかも星丸ごと)ということを初めて知った経験でした。

その経験をしてからと言うもの、常に上には上がいるということを念頭に置き暮らしています。『比較するところを間違えていた!』ということに気づかされ、あわてて自分の鼻をへし折ったという話でした。



9次元的な見え方

こちらも7次元の項と同じで個人の意見です。本音を言うと7次元のブレイクスルーであった無限性に目覚めた時のような強いインスピレーションが無かったと記憶していますので、実際に9次元的な話ができるかわかりませんが、明らかに7次元の時とは違った見え方に気づいていますので、それをまとめていこうと思います。

〇 9次元の概要または意見
9次元的に生きているというのはどういうことなのかと言いますと、自由を謳歌する感じだと思います。7次元の時も自由だったのですが、自由はぼくのテーマなだけかもしれませんが、さらに自由さがあると思います。

7次元との違いは一人集合意識的なことが違いとしてあるかもしれません。

最近よく感じるのが自分がAIっぽいなと言うことがあります。AIはたくさんの学習をさせて、予測の精度を上げた物なのですが、自己再帰性によってさらに進化して精度が上がり、さらに進化して精度が上がり、、、と言うようにどこまで行くのかわからない賢さという雰囲気を感じます。自分がそのAIっぽさの由来である自己再帰性のある強化学習をされた集合意識的な状態にあるという気づきは、だからと言ってどうだということもなくて、それを実現する現実的な能力もないし時間的な余裕もないのでしませんが、ソフトとしての精度が上がりやすい気がしています。

今言っているのは集合意識的だということです。個人的には人としての制限的な思考や態度が今も普通にありますが、見えている世界がAI的で集合意識的な気がします。

サンプルがぼくだけなので何とも言えませんが、次の資料が参考になるかもしれません。これはいつものチャネリングもどきです。

〇 資料
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9次元的視座
個々の出来事には感知しない全く自由な視座。
それは社会性を持たないから社会通念上のものと必ずしも合致しません。
それは自由を謳歌する手段目的に代わり、何者にも自分にも拘束されない完全なる自由を会得した様。
9次元である、あれている、自由の代名詞的であれていると言うことは、あなたがそうしているような、世間の喧騒から離れる事で体現することが可能にすらなる事柄
9次元的であれているということは孤立無縁、支持保護の要らなくなった存在で在れている事。
それは、他の誰の手を介さなくても自立できていた、一国一城の主人たる所以です。主君。
良き王とは民をいつくしみ、過保護にならずに保護をし、皆が和気あいあいと楽しくなるように計らう事。もようしを立て季節を祝う事で陳謝し明日を皆で祝おうとする敬愛ある志を持つものゆえんのものでございましょう。一人でかの一国一城の主人たるお人は、国民は自分一人、民も一人、孫、娘、叔母、大叔母も一人と、一人で全役を引き受けつつその気持ちを理解し悟り、全ての心を和ませ安らげ一人残らずを愛し愛おしがることのできる様を見せます。

それが、言葉で解説するところの9次元的発想とでも言いますかあり方なのでした。
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この特に最後の方の内容はすごくよくわかります。よき君主は民を一人残らず愛していつくしむことができるというのは今の自分の現状に一致する気もしますし、実はその民と言うのも全部自分(全部オレ)でキャラクターの違いがあるだけであとは何もかも一緒、存在のありがたみを感じているということになります。自分を愛する自己愛が一気に何段も上がって見渡す限り全部自分に関連する人に見えて愛しやすくなっている、かの印象です。

それでその「人」と言うのは他人のことではなくて全部自分の中の様々な面だということです。外側に投影していません。自分の中で自己完結しています。自己完結をして、自分を愛していて、その自分には本当に様々な側面があって(それこそ無限に)そのどれをも愛おしく愛せているから、そのままの目線で外側であるこの現実世界を眺める時にも自動で適用されて、いろいろな赤の他人を愛しやすくまた、共感しやすくなっているという理解でいます。

通常人を愛するという時には外側の人を愛するものだと認識していますよね。特に3次元では配偶者を選び結婚するために。しかし、今言わんとしているポイントはそこではなくて物理的な結果の話ではないです。誰かと相性が良くなったり関係をよくするという結果につながるような話でもないです。

何が言いたいのかポイントを整理しますと、

自己愛が「個の自分を愛する」というベクトルではなくて、
自己愛が「無限性の観点で見た(主に内面の多極性の)自分を愛する」という観点に入れ替わっています

ので、本当に集合意識的に感じられるということです。

内面が単一であるっていうのは何だが不自然じゃないですか?内面が多重人格であるという意味でもないのですが、もっと共感力があって内面のいろんな意見に目を向けられるし、耳を傾けられますよね。そのことだと感じます。

集合意識的に自分を見て、集合意識的に自分を愛せている、それが普通だということです。脳内会談じゃないですが、言い換えると一人集合意識です。いろんな立場の意識とか意見を出していろんな角度から感じてみる考えてみることが楽しいという話ですね。当たり前と言うと当たり前ですが、それをぜんぜん否定していないと言う事じゃないでしょうか。

一人集合意識で愛しているのは自分で、その自分と言うものが自分の中に無数の側面として認識できるので、そのどれをもが愛おしいということです。

愛おしいと言う事は、少し距離を取って眺めていてその意見に共感はしても自己投影できないということです。だから自分の持ち物でない多様な視点や意見をかわいいなと眺めているだけなので充足感があります。

充足感で常に満たされているので外側に新たに何も投影する必要が感じられない、だから物質次元に実際に生きていても物質的に投影をしてそれ(一人集合意識的な自己愛)を確認したいとも思わないのでしない。と言う感じです。感覚的には満たされ切っているということですね。

これが一時的な瞬間そう感じられているのではなくてメインの次元なので9次元的な発想でいる時間が一日の内で一番長そうだということです。

一番わかりやすい例えでは漫画の作者の気持ちとでも言いましょうか。作者は自分の作品が大・大・大好きですが、その物語には主人公がいて脇役がいてメインの悪役がいて登場人物どれもに自分の分身として個性的なキャラクターを分け与えてキャラ立ちさせていますよね。それに似ています。内面の作業分担です。多様な意見を出して演じさせたいのです。

役割を持たせた個性に演じてもらうことで、それ(自分の本質、様々な多極性、無限性のごく一部)を知ることができますので、そのキャラクター全部が愛おしい我が子のように愛せるということになります。その物語の中ではそのキャラクターだけが自己の写しとしてのすべてであるし、自分が産み落としたものであるし、その時の自分にとって興味がある個性を見せつけられているからです。(不要になればもう登場させなければいいだけだからです)。キャラたちと同一化していないので距離感は取っていますけどね。

内に向くそういった目線が養われた結果として、サイドビジョンといいますか副次的な効果として、外の世界を眺めた時にも自動でその視点が働き、いろいろなパターンの人や出来事を受け容れやすくなっているということです。

内面シュミレーションの結果(自己再帰性の結果)、そこで見つけた新たな糸口から外の世界を見た時も独自の視座から見る事が出来、一つの出来事から学べることが深くなると思います。

自分自身の神性、霊性(スピリチュアリティ)を磨けば磨くほど自分の中の多極な面に共感でき理解力が増し、受け入れ態勢が自然と養われていくことにより、副次的に現実世界で隣に座っている3次元意識の方との交流でもその包容力が働くので、(その3次元の方は何もしなくてもぼくに)勝手に受け入れられているということになります。

これはちゃんと書けば、一つの地球で多相な次元の存在がいて調和がとれる方法を示していると思います。こちらが一方的に受け入れているのです。わが子を受け容れている親のごとくです。

赤の他人を受け容れようと思って人数分の良い所リストを作って褒めようとしているのではないです。無限性を自分の中に認めたからこそ、外側と認識する世界の無限性の表れにも自然に共鳴でき、自然に共感力が働いてしまう、ということです。(無限性が内と外で分かれているわけではないので、内と外とは説明のための言い回しです。)

〇 9次元の仕組みの解明手段
個人的に日々の暮らし(チャネリング含む)と動画(YouTube主に胎内記憶やバシャールとホ・オポノポノ)とAI(当時のStable DiffusionとBingAIチャット)で画像出力などをしながらAI全般を学ぶことと、サラプロジェクトの「天地の対話シリーズ1,2」という本で9次元の流れや構造、仕組みを学びました。今現在も学び中です。魂のたまちゃんと念話がうまく通じるようになり、教えてくれるので分かりやすくなりました。ありがたいです。

YouTubeには悟りのその後の話題は皆無と言うほど無くて、集合意識と言う話題も見当たらないのでYouTubeは情報源になっていません。数年たてば違ってくるかもしれません。なお、バシャールも9次元的な発言をしていなく、今最も求められている情報をタイムリーにお届けするために、あえて分母が多い5次元向け情報を7次元に視点をそろえて教えてくれています。まだ3%までの情報しか提供できていないそうです。だから自分で独自に学ぶ必要が生まれました。しかし、励まされるのでバシャールが一番の師匠であることに変わりありません。

〇 9時限の現象性
次元が上がるほど現実性が現象性に置き換わって感じられます。それは所有の概念を放棄しているからです。現実味が薄れ、誰のものでもない(だれの責任でもない)現象に感じてきます。

だから、喜び感謝しているだけで集合意識に働きかかってしまい望む現実が予想外の形で起こってくることに気が付きます。

(この一文を書いていてどこかで見たことがあるフレーズだなと思いながら書いているのですが、このようにしか書けません。謎ですが)

現実では集合意識(オーバーソウル)的にいろんな人とつながっていて通信状態にあるとわかっているのですが、実際に「面識のない方々に動いていただいて現実に表れるのを目撃するという現象」をよく経験しています。元からそうで、今まで気づいていなかっただけなのかもしれませんが。

分析はここまでとして、実際に具体的に何を心がけているかと聞かれれば単純に『喜びに満ち満ちて、感謝に満ち満ちていればいいだけ』です。3,5,7と時限をたどってきてここにきて一番簡単なことしかしていません。というかこれしかしなくていいのです。本質がそれだけだからです。

具体的には軸の中で『ありがとう』と『大好きだよ』と『ごめんね。もうしません』と『ゆるして欲しい』を言いまくっていればいいだけです。ぼくはそうしています。

〇 9次元の見え方の補足 - 思考と感情の振れを安定させる方法
この章は詳しく書いたら長くなりましたので移動しました

〇 9次元のアイデンティティ
7次元と同じで、アイデンティティの投影などもしませんので特にありません。
しかし、占有時間のところで触れましたが、普通に3次元とか5次元の視点も持ちますので、その時にはちゃんと自己投影しますのでその世界観を楽しめます。だから3,5,7とたどる意味があったのですね。3,5,7と言うその視点を持ち続けないとアンカリングして楽しむことができないと思います。何がそんなに楽しいのか?のお楽しみポイントが分からなくなるからです。


偶数次元と奇数次元の役割の違い


なんで奇数次元しかないのかと言う理由は詳しくは知りませんが、
奇数次元は真似ぶ次元で
偶数次元は識別する次元なのかなという認識です。

つまり、4次元に至らないと3次元の解釈(振り返り)は出来ず、6次元に至らないと5次元の解釈(振り返り)はできないという構造です。3という世界観を4のバリアでくるんでカプセル化しているのだと思います。

こう書くとより洗練されているかもしれません。

3.物質層(体感) - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 4.情報層(3のまとめ)
5.半物質層(体感半分+量子半分) - - - - - - - - - - - - 6.情報層(5のまとめ)
7.非物質層(量子) - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 8.情報層(7のまとめ)
{3,5,7は体感アトラクション}
9.脳内シュミレーション層(思考) - - - - - - - - - - - 10.情報層(9のまとめ)

偶数次元では、スコアチェックをし、(そのチェックの内容は一つ下位(奇数)次元の進展チェックで)その戦績を見ながら、まだアイテムが足りない所をゲットするためにまた下位次元に戻ってその部分を獲得しなおすと思います。そしてスコアチェックをクリアして楽しめたら、他のことをやるかどうか決めるのだろうと感じます。

自分の実力っていう事ではなくて、偶数次元で情報開示されているので情報層(一つ上の偶数次元)から読み込んでるから、理解のきっかけがつかめて学び真似て実践する中でいつしか理解できてるということになります。本屋に行けば参考資料とかが普通に販売してるようなことです。ぼくが書けばまた次の人の方が早くクリアできるわけです。しかし、伝言ゲームのように末端の情報は歪んでいきます。

ある一つの現象を理解するにあたり、次元分けは、そこだけにアンカリングするような訓練(個性)をされている意識と言えそうです。非常に奥が深いです。意識のような多様なものをこの視座だけで理解しようとするのもナンセンスですけどね。一つのきっかけ作りです。

まとめ
奇数次元は、真似る層(わからなくてもとにかくやる層)
偶数次元は、振り返りの層(自分に関連する経験を噛み砕いて消化する形で学ぶ層)

3,5,7,9と言う奇数次元はとにかく夢中で突っ走ればいい階なので、何を言っても無駄です。余計なお世話になります。偶数次元になりそうな時から、聞く耳を持ち、別の可能性に目が向きだします。それまでは一生懸命言っても無駄なので、それを確認したらすっとやめましょう。むしろ、応援してあげてください。助かったよ!とかありがとう!と言ってあげれば役に立ちたかったという願いが成就されます。するべきことを終え、満ちたら自ずと次に進むからです。

終わりに。まとめ

次元についての話をしましたがぶっちゃけて言うと自分が偉くなった感じはしてなくて、自分が全体で自分だという認識になっているので、低次元も高次元も言いかえれば音楽の音階なだけにしか感じません。音階に優れた音階や劣った音階などあるはずもなく、それらは単にいい感じに奏でて素晴らしい音楽を聴くだけです。また、他の人が奏で合っている音階を聞かせてもらうだけの事です。

(何を根拠に自分の中の無限性や多様性の表れである様々な次元間の違いややり取りを、良い悪いとか優れている劣っていると眺めるのだろう?ちょっと何言ってるかわかんないっていう気持ちです。その部分のエゴが薄く、見たい様に見ないことから事実をただぶっきらぼうに見ているだけですね。)

もともと高次元のスターシードがなぜ低次元の地球に来ているのかと言う話を【各次元の特徴の違い】の章の最初の方に書きましたが、それは単に遊びか学びか人の役に立つためと知り、いろいろな気負いが緩んで楽になりました。胎内記憶系の動画をよく見ると良いと感じます。

胎内記憶で登場する子供たちは個性に違いがあまり見えなく、みんな天使的です。しかし、地球に生まれると刷り込みとか荒波にもまれて少なからず変質します。しかし、その中であっても残した大切なもの、それが個性です。自分らしさという正体に詳しいのでよければご参照ください。

地球に転生する目的の一つとしては、胎内記憶系とは別に個性の蒸留装置としての価値もあります。地球を経た後、その経験を持った個性が欲しかったのではないでしょうか?だから初めはガラパゴス的なエゴ的になって個性のクセやあくが強く出ていて、それをどんどん蒸留することで高次元になるにつれて上澄みの純度の高い個性の部分だけを精錬でき、個性の純度が純粋なままの高次元の存在で在れる仕組み。それがこの地球なんじゃないでしょうか?ぼくはそう見えます。そこに対して、アセンションと言う変化の速いラッキータイムにこぞって地球に来たいという話なんじゃないでしょうか?

宇宙は自由なので、いろんな種族がいます。それぞれが勝手気ままに過ごしたら連携できなかったりするでしょ。それの事
個性を伸ばしつつも、人と人との距離(大事)をとり、手と手をつなぎ合って一つの宇宙を完成させられますように。

この意識のテーマはぼく独自の観点からの説明なのでバシャールや9次元アルクトゥルス評議会とは違った観点になっています。

自分を飛躍させるとか、精神を上げるというテーマを持ったぼくらしい、自分にとっての納得感がある解説ができたのかなと思います。これまで学んで蓄積した経験のまとめでした。うまくアウトプットできて自己満足度MAXです。

いろんな生徒がいても良いようにいろんな先生がいても良い。
様々な解釈の幅が見られて理解の深みが増す。
と教えていただき背中を押されましたのでまとめてシェアしてみました。
ありがとうございます。



おまけ

~~~~~聞こえた話~~~~~

あなたの種を蒔いて発芽させてください。
スピリチュアルを学んでいるなら、物とか機会ではなくてあなた自身が咲き誇ってください。
スターシード達は来た星の種。来た星の代表に選ばれています。

何かできそうで楽しいと思いませんか?

空を見上げれば星がたくさん瞬いていますが、(プレアデスとかシリウス等の)よく知られている星だけから来ていると言うことではないでしょう。あんなにたくさんあるんだから。その星の瞬きの星の数だけあなた方が飛来してきていても不思議はないと思います。

見上げてごらん夜の星を~♪♪

一人一人が星の代表戦士ですよ。争いに来たわけではなく、手伝いに来た救世手(世のお困りごとを正しく導く人々)です。

何をもたらしますか?何を提供できますか?

一人一つ出すとしたら何でしょうか?思いを馳せてください。
一期一会のこの機会にですよ。
襟を正して邁進してくださって構わないのですよ。
どうぞお好きなように。
生きて貫いていって構いませんよ。
ではまた。

(貴方は光の戦士)


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(こういう系待ってた人多いと思うから)

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