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別の9次元を整理したらまさかの7次元の話が書きあがった話【混乱解除屋さん】

〇 スピリチュアリティの9次元についてもっと語りあいたい

ぼくは意識の話が大好きなので、以前『9次元的な世界視』というまとめを書かせていただきました。それから結構経ち、9次元をもっと深めようとそれとなくサーチしたところ、9次元の話題がほかにもちらほらありとても楽しそうだなあと感じました。

その中でもすでに出版されていて読みたいなと思った本があります。それがこちらです。『9次元からの招待状 言霊と科学であなたの世界が変わる | はせくら みゆき, 周藤 丞治』

〇 YouTube
周藤 丞治さんのYouTube

集合意識が一歩前進しているサインと受け止めたので、9次元について書ける人がでてきたんだな~と思い、いざ公式YouTubeを何度も聞いて本も読んだのですがもやっとした疑問が湧いてきて、後日その疑問が解消したのでその話をシェアしようと思いました。

ぼくは以下のように霊と一緒に自己分析して疑問を通して自分なりの答えを導き出せたよ!というお話です。混乱回避用情報として参考になれば幸いです。

なお、まだ『9次元的な世界視』を読んだことが無いよという方や内容忘れたよという方は先に目を通しておいてください。そちらを参考にしています。

それではどうぞ!

※ご注意※
〇 アンチとかマウントがしたいわけじゃないのはもちろんのこと、超単純に違和感を解決したいだけなので、違和感をキャンセルして自問自答を繰り返して出した自分なりの答えを書いています。
〇 以下の文章は現時点でのぼく個人の正解だという意味です。正解は人の数だけあれば楽しいと思う派です。
〇 なお、もし参考にする場合には、ぼくの個性が反映しすぎているかもしれませんので各自好きなように調整してください。コピペ人間を増やすのではなくてオリジナルな意見を持てる人を増やしたいというシェアの意図があります。



本を読ませていただきながら、9次元と言いつつなんか違和感があり、単純に認識にずれがあるのかも?と感じました。そしてこれは何なのさ?と聞いてみたところ以下のチャネリングが届きましたのでシェアします。

〇 7次元のおさらい 1

▽ スピ7次元のチャネリング情報

このチャネリングは7次元がどういう見え方かを軽くおさらいしてくれています。

7(セブン)次元
このようにしたいという希望が抜け落ちてしまう。それは、エゴがないから、失うからで、特徴(個性)はあります。見ようと思えば観測することが可能です。

悟りの次元とは、すでに悟っている観点からいますので、これから悟るということではなく、今もう悟っているからその通りに見えた、となります。

何かしらの観点、それ無くして悟れたのか?ということが肝となり、なんのしがらみも受けないのです。しがらみのないとおっしゃいますが、しがらみがないとはどのような観測点でしょうか?それは、「何もない」という他ない場所のことで、それ以外ではなく。

何もないのでしたら何もないので現実に即した判断などする必要が生まれないです。何かしらと、現実に即した判断が必要になるにつれ、それは七次元的ではなくなっていると言い換えられます。(七次元から)離れているということですね。

▽ チャネリングを翻訳

簡単に翻訳してみますと、
スピ7次元以降ではエゴがだんだんと薄まってきて純化すると個性だけがある状況になっていきますが、個性は特徴のことですよね。
それから、スピ7次元以降では自我へのフォーカスが真我に切り替わるところです。

それがまず第一にあり次に、見ようと思えば観測できるというのは『このようにしたい』という希望のことです。エゴが主張をしないことで、通常の状況ではあるものが単にあるだけなので、このようにしたいという強い情熱みたいなものは感じませんが、いろんなタイミングが揃うとようやく『このようにしたい』という欲や気持ちが芽生えて来てその後強まっていきます。(個性にも左右されますが)

次に、『何かしらの観点、それなくして悟れたのか?』という1文は超重要です。何かしらの観点というのは、時期、年齢、理解度、様々な立場とか置かれている状況、その時々の態度とモードによる見え方の違いのことですね。人生には良いことだけじゃなくて悪いこともいっぱいありましたよね。それなくして本当に悟れたのですか?と単純に問われているだけですね。

そして何のしがらみもないというのは単純に良いことも悪いこともたくさんあったけど全部許せたよ、それは今悟れたからで悟るために絶対必要だったからその経験全てに感謝できた。ダメだと思っていたその時の行為を認められた。だから全部OKだからしがらみを受けていないと言っているのですよね。

それで悟りの入り口ではそういう赦しにおける悟りでいいと思うのですが、もっと深めると行きつく先は結局のところ原点で、それが原点には『何もない』という事で、そこには本当に何もないのだからもちろんしがらみというテーマもないでしょ、と言っていると感じます。

しがらみを受けないという1段目とそもそもしがらみ自体がもともと存在してないという2段目の違いが分かりますでしょうか?

5次元と7次元以降では現実への焦点が違うのでアプローチ方法も違います。物理的な現実への対応に焦点を置きにくくなってしまうというのが7次元的な生き方なんじゃないかなと思っています。より非物質的な現実に片足を突っ込み、体半分入って、いつしか全身が入るという事になります。7次元の敷居をまたいじゃうという事ですね。

さらっとしたおさらいですが、このチャネリングのおかげでスピ7次元がどういう視座なのかを思い出せました。なお、もっと本格的に7次元の在り方を知りたいという方は『9次元的な世界視』の『7次元的な見え方』の項にボリューミーに書いてあります。ぜひ読んでみてください。新たな世界が見えると感じます。


▽ 疑問の中身

それで、話を元に戻して何に疑問が芽生えたのかと言いますと、、、

この本の一貫して(物理的でも霊的でもいいんのですが)何かを成し遂げたいと意図しているところに違和感を感じたのでした。熱量を感じます。暗に誘導しているところ等。いや、それは作者さんの都合なんだからいいでしょとは思うのですが、9次元という高次元ののれんを掲げられていたので、『なんでそんなことできるんだろ?』と疑問が芽生えました。寿司屋に入ったと思ったのに外国人からみた日本のSUSHI屋さんだったよという気持ち。

通常、その系(ここでは7次元)から卒業しているからこそその枠外にいられているというのにです。まだ何かできるとか、したい、したかったと思えるのであればそれは枠内の行事どまりでその系の中の概念を使って生きていますよね?だから(その枠内に存在できるためのエネルギーである)望みが湧くのですよね。(望み=アンカリングのための意図)

今5次元に意識のフォーカスがあるのであればもちろんどんな物理的な望みがあってもいいと思います。しかし、今7次元に軸を置いているあなたは何かを成し遂げようとしていますか?していませんか?(それは個性かもしれませんのでどっちが正解という事もないと思いますが)

(端的に言えば、7次元にフォーカスがあるのに物理的な望みがあるのは個性ならセーフ。個性じゃないなら単純に5次元にフォーカスがあるという事でアウトかも?自称高次元者でまだぶれている勉強中の身なのかな?という意味です。もちろんそれがダメだと言っていませんが、ちなみにぼくもまだ勉強中です。全部自分宛のブーメランだとわかって敢えて書いています。)

この作者の言う9次元とは何を指して言っているのだろうか?と、少し違和感を感じたのでした。

▽ 疑問が解けてきた

これを解明して行ったらいろいろ分かってきて大きな収穫があったので他の人にも参考になるだろうと考えたのでした。それと、4月はエネルギー的にぼくが数年ぶりの良い調子だったのとちょうど満月だったのでアウトプットして見たくなったという事です。

本を読みなおして、スピ換算での5次元が神道では9次元と扱われているのでは?と感じました。スピ界隈では以前から3次元から5次元へアセンションすると言われてきましたので、それを神道では5次元から9次元へシフトすると書いている気がしました。なので、

スピ9次元(以前ぼくが書いた記事)
神道9次元(本:9次元からの招待状)で扱っている9次元は
呼び方は同じでもそれぞれ関連していない
ことが分かりました。

神道ではスピで言う所の5次元に向けてまずは進んでいきましょうという事を書かれた本なのかなと理解しました。それが神道では神道9次元だという印象です。

神界ははるかに高い周波数なので、おそらく神道25次元というのはスピ系換算でいうと9次元か9次元以上かも?
神道 5,9,25次元が、スピ3,5,9次元と対応してそうな予感があります。この方が言っている神道の次元分けが神道の中でスタンダードなのかはわかりませんけど。

この章のまとめ

・簡単にスピ7次元のおさらいをしました

スピ7次元の在り方はすでに悟っているのでこれから悟るという事もない(悟りを深めるはある)。等々

・スピ5次元あたりが神道では9次元と扱われているもよう。
スピ
3次元から5次元へアセンション」と
神道
5次元から9次元へ遷移」が大体同期していそう。

・スピ9次元と神道9次元はいろいろ全然違う
スピリチュアルと神道(言霊論)での次元のとらえ方はまったく別物でした。どちらが正しいという事でもありません。(詳しくは記事最下部の感想へ)


〇 7次元のおさらい 2

後もう一つ気になったのが、天皇家の話が出てくるところですね。『誰かのせいにしたい、誰かに何かを期待する。』(自覚の有る無しにかかわらず)そういうテーマはスピ6次元以下の領域で、そういうテーマを学ぶのだと感じています。つまりそういう内面に潜んでいた思考のクセを増幅固定化して3と5次元世界で顕在化して見える化して経験から学べるのだろうと感じています。

スピ7次元はどちらかと言えばもっと精神性が問われると思うので、そういう問題はクリアできて当たり前なんじゃないかな?と感じています。別の言い方をすると、物質に転換してシンボルとして自分自身に向けたメッセージを目の前に見せる必要がなくなったからこそ7次元という非物質の視座を持てているという自覚があります。

▽ スピ7次元の参考資料

個性を育んでいる最中だという事を忘れているから経験することの価値を忘れてしまっている時の反応があります。つまり全体的に否定感があります。その否定感から誘導が芽生えています。

自我を形成する大切な時期である赤ちゃんとか子供に接する時のような丁寧さや純粋さが無い状態。相手を何か教える必要のある欠けた存在だとする誤認識。今そのまんまの相手を完全だと見れない理解の至らなさ。気づきのなさ。悟ってない人特有の視野の狭さがあります。
目の前にいる方はオーバーソウルとか人類集合意識の現れですよ。個人に責任を見ていい範囲とそうじゃない範囲と分けてとらえるとなお良いと感じます。もっとちゃんと言うとソースそのもので、一つの意識の顕れで、無限の存在です。

世界は音楽の名曲『カノン』のようにも流れることを忘れています。(忘れても別に構わないです。また聞けば思い出しますからね)

今しかできない事だから今それをしています。なおのこと今していることをすればいいのです。

人には自由意志があります。それを思い出せるようになれば、様々な個性を認め受け取れるだけでなく、それ(個性兼自由意志)が最も素晴らしい贈り物だったと気がつけるはずです。

▽ 仕組みの解説

個性は様々で人と比較しなければわからない歪みとかありますよね。子供の時などなおさら顕著でわがまま放題泣き散らし放題ではなかったでしょうか?そういう気持ちとかの無形の物とか思考のクセとかに気づける仕組みが地球で行われていることの一つだと感じます。

「自分初の波動を経験できるというそのシンプルな仕組み」を利用した方が便利で早いから利用したいというのが3-5次元世界で鏡の法則だという認識です。そして、さらにそこにストーリーをくっつけると、人のせいにしがちになって自分のこととして受け入れるまでに迂回し続けているから3-4と5-6次元をぐるぐる輪廻しているだけだよと感じています。ストーリーを付ける意味は経験をそのストーリーの切り口から眺められるようにしたいからだと思います。

つまり、7次元の論点では天皇家の話が出たタイミングで(天皇の話はストーリーなので)天皇の話をせずに、自分がどうできるかにちゃんとチャンネルが合わせられているかどうかを見ていくという事ですね。

(自覚というテーマ)自分がどうしたくてどうできるのか?に周波数が一致しているので天皇が(誰かが、有名人が、家族が)別に何かをしなくてもいいし、出来ることを出来たらいいと思うし、だれが何をしようとしまいと特に何の問題も感じませんので、取り立ててどうこうという事もないと思っています。これがスピ7次元以上の在り方だと感じます。

外の世界に投影して確認したいとする情熱(ワーク)をやりつくして終わっているからもうそんなことめったにしません、みたいな感じです。

特定の個人的な物にフォーカスも依存もしていません。というかできません。外を見続けるのが難しくなり、結局は内面を見て自分の中にあるハイアーセルフ性とともに歩むことだけがありますよね。(個性の違いもあるとは思いますが)

大切なのは、その機会が与えられたことによって意識に変化が生まれ、あなたが何をそこから得、また還元できていくのか?今後の展望は?という事だろうと感じています。つまり一言で言うなら成長ですよね。魂の成長のこと。

これが結構具体的な7次元の視座です。毎度毎度そのような観点から物事に向き合い続けているという事になります。ぼくの観点(個性)があふれているかもしれませんので話半分にとらえてください。

これが5次元ですと、自分の為したい世界を作り経験するためにコンセプトを出して、みんなで成長できる場、チャンスを作り合うのでワイワイガチャガチャしやすくなります。7次元はそれを遠くから眺めています。3次元の人は5次元の人が出してくれるコンセプトに従いながらそのコンセプトを受け容れていきます。

このように、地球というテーマパークにおいて個性を育みつつ、精神性を立ち上げていく、という点にフォーカスを置くことが自然なのがスピリット(魂または精神体)という側面のスピ7次元性なんだろうと感じます。そうしてそのうち自分に適用できたその視座を周りの方にも適用しだします。

スピリチュアリティー7次元の印象はいかがでしたか?これがスピリチュアル7次元の全てだとは全く思いませんので、ぼくの立場からはこう見えたという話です。


▽ 流派はいくつかあった方がいい

そもそも流派はいくつかあってもいいと感じました。視点が偏ることで、あとからまとめた時に足りないところを補完し合うことができるし、重なっているところは強調し合うことができます。

東洋の神道の次元分けは科学で使われている超ひも理論になぞらえているという事ですね。左脳的で科学的に解明したいのですね。

西洋のスピリチュアリティは共感性に重きを置いてるので右脳的で直観的なんだろうと感じます。直観とか感覚タイプに合いそうな感じ。

▽ ぼくが推す地球由来意識の次元分けの概要
流派のついでに個人的にわかりやすくてお気に入りなぼく流のとらえ方をここでご紹介します。

  1. 『3次元が体(物質)、7次元が霊(非物質)で5次元がそのあいの子の半分物質+半分霊』という見方が好きです。(3と7はその他にも、フィジカルマインドとハイアーマインド、ロウアーセルフとハイアーセルフと言い換えられています。)

  2. そして実務的に『とにかく経験をするのが奇数次元で、その経験を振り返るのが偶数次元』なので、4次元は3次元の振り返り、6次元は5次元の振り返り、8次元は7次元の振り返り、というとらえ方をするのが好きです。主に寝た時と死んだ時などブラックアウトした時にフォーカスするのが偶数次元です。起きているときとか生きているときが奇数次元です。

  3. で、対応する奇数次元と偶数次元を行ったり来たりしつつ『テストを繰り返して満点取れたら次のステージに移行する』(3-4をクリアしたら5-6へ進み、5-6が終わったら7-8に進む等)

  4. 3-4とか5-6とか7-8は同じ概念なので延長線上ですが、4から5とか6から7とかになるとルールが大幅に変わることからパラダイムシフト(次元上昇)が必要です。肉体を伴ったアセンションというのは3次元の惑星で一生を終え、次に転生するときに5次元の惑星に生まれ変わるのではなくて、生きているときに知識と経験が臨界して偶数次元を超えて次の奇数次元に移ることだと感じます。地球自体が3から5次元にアセンドする関係で別の5次元の惑星に生まれる必要が無くなるからです。

というのがぼくが思っているスピリチュアル界隈の次元分けです。これがあってるかは知りませんが、いろいろな本などから引っ張ってきた創作です。非常にどシンプルかつ意味が分かりやすいし、目的も伝わる次元分けの説明でお気に入りです。

▽ 霊もシンボル

この件で大事なことを思い出せました。すべてがシンボルで霊ももちろんシンボルだったという事です。

ぼくは高次元=霊とか意識の話だとばかり思っていたので、混乱できたのですね。その混乱によって混乱を解消しようという動きが出て、そういえば、意識は波動とか周波数の話だったよね、と再確認できたのでした。肉体とか霊も結局のところシンボルでそれが本当にあるという事でもないですからね。シンボルに対してシンボルを説明し切ることにこだわりがありました。

スピ界隈の次元分けもあの人が言っている3次元と他の人が言ってる3次元が一致しているのかはわかりませんよね。自己申告で言ってるのを聞くだけです。なので9次元評議会とかもその9次元がぼくのイメージしているのと一致しているかどうかもわかっていません。おそらく違うでしょう。

--- この章のまとめ

・そもそも流派はいくつもあってもいい
こだわらなくていい。流派ごとに違いがあってもいい。

・そもそも高次元=霊とか意識の話もシンボル(例え話)
目に見えない波動をシンボル化して理解しやすくしています。

・スピ界隈内でも次元分けのコンセンサス(合意)があるのかは不明です。(少なくともぼくはまだ知りません)


〇 スピリチュアルとノンデュアリティーと神道

スピリチュアリティとノンデュアリティーは細かく線引きすれば別物ですが、大枠でスピ系ととらえれば兄弟姉妹です。

スピリチュアリティーの行きつく先がワンネスで全一性なのに対し、
ノンデュアリティーの行きつく先は空(くう)で無つまり無限性です。どちらも一元性で別々の一元性ですね。一元性が2つあります。片方が陽で片方が陰になっています。それらが合わさり二元性が生まれたのでした。

二元性とは、相手と自分が別々にいるというデュアリティーと呼ばれている特徴のある見え方です。普通、宇宙の見え方はワンネスなので、自分とその他の人を区別し切るというデュアリティーという視座は極レアです。その極レアな体験がしたくてこの地球に転生して来ています。なお、アセンションのこの時期はボーナスタイムだからこぞって来てくれています。

ノンデュアリティーという発明はなかなか天才的なプレゼントです。ノンデュアリティーは7次元まで完ぺきにとらえてさらに次の次元にも行けるチャンスを提供している数少ない機会でぼくは大好きです。

神道は今生きている世界を動かす方法を『言霊』を用いて行えるという方法を教えてくれているところがみそのようですね。ノンデュアリティーは原点に何が在ってそれを見つけて終わりみたいなところもあり『次どうすればいいの?』ってことになりがちですが、神道は初めから技を伝授するかのように解明している点が斬新だなと感じます。

でも逆にそれが7次元からまた下に戻らされているだけとも言えますが。新たに得た能力を試したくなるのが人情でどこで試す?となれば現実化の話は物理次元で、となりますよね。

ノンデュアリティーは逆に次への道しるべを残さないことで逆に次へのシフト(ブレイクスルー)を用意していたとも見えますよね。奥深くて面白いですよね。これを考えた人は天才です。


〇 感想

▽ スピはサングラス

今回はとても良いテーマだからシェアしました。

軽くおさらい兼まとめてみますと、

  • 西洋スピリチュアリティは右脳的シンボルで、東洋神道(言霊系)は左脳的シンボル。両脳だとシンボルではなくて波動そのものを扱いそう。

  • スピ系次元分けと神道次元分けは指しているものが違う。その理由は以下の1,2の通りで、次元分けのルールがフォーカスしたいものにより定められている印象があります。

  • 1. 西洋スピ系次元分けは「体、心、魂、オーバーソウル」を基本としている。

  • 2. 東洋神道次元分けは「科学(量子物理学)」を使って現代的に言い直している。

  • スピも神道も結局はどちらも現象をシンボルに転換し、その立場から見える説明をしてることから、波動そのものを直接扱っていない(目に見えないから)。その代わり、一度シンボルに転用して無形の物を有形に変換して扱いやすくしてくれている。そうすれば言葉で説明出来たり本に残せたり出来ます。

ぼくは神道を知らないのでうまくまとめられたかわかりませんがこう勝手に解釈しました。東洋神道(の中の言霊の流派)と西洋スピの立場の違いが明白化されて個人的に腑に落ちました。まとめてみて良かったです。またこういう機会があれば挑戦してみたいですね。

ぼくは西洋スピ1本でこれまできたのですが、それだけがすべてになっていたことにも気づかされました。スピリチュアリティは方向性を保つ指針とか羅針盤でツールセットでその世界が見えるようになるサングラスだという事実がありますよね。本当は意識は波動で周波数の違いが無限にあるのですよね。それを思い出せてよかったです。ぎっちぎちに分けなくて大体のところでやめて後は適当でもいいかもしれませんね。無限にあるんだから。

高次元から低次元に贈り物としてツールを考案するという意味ではシンボルはありがたくて良いと思っています。が、高次元の存在ががさらに超えて高次元に行こうとするのであれば、虚像をこねくり回しても本物ではないのでたどり着きませんよね。それがようやく分かってよかったです。


▽ 実は今も人は多次元の存在

9次元的な世界視』のしょっぱなでも書きましたが人はもともと多次元的なので、ある次元に固定されているわけではありません。ぼくもそうなので、本とYouTubeから学んでこの記事を書く時に、雑なメモから始まり3回くらい書き直したのですが、書き直した理由はめちゃくちゃマウントしてたからです。
『格の違いを見せつけちゃろ、どやすごいやけんマウンティング』でした。
ぼくも今でも普通にそうなのです。

新しい情報に触れた時に一時的に出てきた抵抗感が形に変わると、マウントとして経験できます。「新たな情報も含めた思考」の、配線工事が完了するまでは防衛本能としての自然な抵抗感も許せば良いと感じます。単純にそれまでの自分の中で保たれていた秩序が壊されて揺らいでいる時間だからですよね。

でもそのままのマウントしてる文章では角が立つし言いたいことが伝わる訳も無いので、今まで学んできた3から9次元の教訓とか知識を全部使い、入れ替え、差し替え、書き直して清書するわけです。

なぜあえてこんなことを書くかというと、人には自由意志があり、個性があるという意味を『聖なる〇〇』に限定してほしくないからですね。

高次元になると聖なる人になり、高貴なふるまいになったり愛が深くて思いやりが強く、神か仏かになる。そういうのは、宇宙は無限だからそういう個性の人もいるよね、当然っていう事だと感じます。

しかしぼくは神や仏や観音様ではなく、かなり子供っぽい性格をした意識のテーマが大好きでオタク文化が好きな自由人です。

人類の集合意識の中で高次元の人のペルソナは絶対にこれかこれがふさわしいに決まっているよね、という合意がそういう人格を期待させやすくしているのかなと邪推しています。無条件の愛である神が高次元の在り方をあらかじめ決めるのでしょうか?何のために?そうではなくて人が(自分のポッケの中から選んだ)理想像を当てはめているのだと感じます。これがぼくの意見です。真似から始まる初めに表れた自分の中のヒーロー像の後追い現象です。

つまり、そもそも人は多次元なので、必要があれば臨機応変に低次元になります。普段皆さんもお肉とかお魚を食べて周波数を落としたり調整していますよね。

文化的な背景から、西洋は神とか天使とか聖なるものの描写が好きな文化圏でそれはそれで自分たちが興味を持ちやすいテーマとかモチーフやシンボルを使った方が長続きするのと、自分のしていることに意味を感じやすいのだと思っています。

しかしそれが日本なら『いつか自分が聖なるものに帰る』というコンセプトはあまりピンとこないお国柄なのでしていません、というただそれだけのことなのでした。だから日本人は、天皇陛下の在り方が日本人の清廉さ、情緒、真心を現わしているので、由緒正しき高次元の姿だと自分の引き出しから選ぶ方が多くいらっしゃるのです。

なぜですか?今の自分で良くないですか?個性は無限の種類があっても良くないですか?無限の宇宙、無限にあふれる生命にとっての個性とは何でしょうか?

全てがつながり合う世界『ワンネス』という無限の宇宙をデザインした存在達(ユニオン)がいると仮定して、ある決まった姿に導くというのは個性という観点からどうなのでしょうか?それって個性じゃなくてクローンとかコピーとか類似、近似、物まねのことじゃないでしょうか?ほんの少ししか違いが判らないような性格をした人を今後無限に生み出す意味は何がありますか?

分離している意識では高次元とも分離していると感じがちなことから、今まで一度たりとも高次元から分離したことが無いにもかかわらず、自分が単独で低い次元にとどまっているという眼鏡で見がちです。しかし、元からワンネスなので分離などしていませんよね。人は多次元的でお風呂に入って休めば高次元にもなるという事はすでに知っていると思います。もしかすると自分の認識がずれているかもしれない、と襟を正すことはいつも一番初めにすると良い基本的な態度だと感じます。

ぼくは今の自分が大好きです。毎瞬感謝と喜びと幸せ(青春)を選択しています。普通にオタクなんですけどね。低次元も高次元もチューニングを合わせられればそのようにふるまえます。そういう個性も無限の宇宙にあっても良くないでしょうか?

それとなく諭してみたりなんかしちゃったりして

〇 おまけ

これまでの話と全然関係がないですが、本の最後の方で承認欲求の話題が出て少し気になったので、承認欲求の解除方法を巻末付録のおまけとして↓動画を付けました。何か参考になるでしょうか?

〇 YouTube : 【超神回‼️】日本人女性の特別な使命と胎内記憶の関係が明らかに...!! 《池川明先生》

この動画は胎内記憶についての動画で、ママが赤ちゃんを愛することに全力を注ぐことよりも、赤ちゃんの愛を受け取ることの大切さを教えてくれます。その話題は[20:00]から始まります。

ぼくが思う承認欲求の解除の仕方は思いやる気持ちの愛ですよね。母性とか父性です。だけど相手の目線から見るという発想の転換がいると思います。単純に相手の表現している愛を目いっぱい受け取ればいいんじゃないかと思います。相手の愛の注がれ口、愛の表現の受け皿になればいいのだと思っています。それだけが正解じゃなく複合してるとは思いますがぼくはそう感じています。

相手のサービス(奉仕の種類を問わず)をまるごと全部受け取り受け入れて、共感して共鳴してそこで感じる喜びに心が震わせられ、最っっっ高にハッピーになればそれは瞬時に相手にも伝わっていると感じています。ハウツーはいらなくて、単純に最高の喜びを感じることで奉仕者の「役に立ちたい」という願いが成就されて「役に立てたんだ」に変わります。すると涙が出て来てその人の中で何かが完了したのだとわかります。後は動画で解説されている通りです。


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