見出し画像

自由意志を返納するとは何ですか?

さらに続きです。

見習い期間が終了すれば、自由意志の意味合いが一段階濃くなります。

「ワンネス/全体の意思/全体の意図が自分自身を超えてあるのでそちらを完全に優先するという意思が生まれる」、ということです。すると、自由意志というのはなくなるというか、全体の意思は自分の意思なので、そのレベルでは何を選ぼうが全体への奉仕のみになります。

結局のところ、構造からしてすべては光で愛なので全部を受け止めるしかないとなります。自由意志として選択できる究極のものは一体何でしょうか?

それは
消極的に受動的に受け入れざるを得ないので受け入れる、いやだけどしぶしぶ受け入れる、や、
積極的に能動的に受け入れる、鼻息荒く前のめりで受け入れる
というのではなくて、
シンプルに中庸に普通の温度で受け入れて楽しめる、ということです。バランスが取れているということ、自分軸にちゃんとあれているということが基本にあります。自分で在れ!という意味ですね。自分に与えられた自由意志で表現できる最高のものは自分です、という意味になります。個性とか自己実現ですね。

自由意志を返納して自由意志という権利を行使しているという感覚が無くなる、または全体/神から与えられた自由意志というツールによってなお自ら自然に全体を再選択する(再顕現)、ということですね。その都度その都度、力強い覚悟/決意/理解あってこその全への奉仕の再確認をするということになります。

奉仕というのは、自分が自分で在られるようにできる、というのが奉仕です。完全版のあなたでいていいんだよという態度で立つという意味です。

「自由意志をお返しします。私はあなたです。どうぞ何でもお申し出ください。」または、
「今、私は私の自由意志を認め、あるがままに素直に今ここにあると認めます。私は私で在れます。」です。

信じるところがいろいろあるとか、利己への奉仕や利他への奉仕など流派がいろいろありそうではありますね。好きな、自分らしい、気持ちを表現すればいいんだと思っています。

分離を経たからこその、力強い非分離への理解がある世界線からの奉仕への決意表明と実践というのはレベルが高いことなので、表現経路は様々です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?