命が光るとき

起業家と仕事をするのが好きだ。20年間全く飽きることがなかった。

起業家が立ち上がるとき、命が強い光を放つのを感じる。その光が周囲を巻き込み、社会構造を動かす音が聞こえる。

でも実はもう一つ、私が「強い光」を感じるタイミングがある。それは人が死に直面して命を生きる時だ。

例えば日本史上最強の終末期患者である正岡子規。病床を離れられず、残された命が短いことを知った後の活躍は凄まじい。日本の俳句を変え、短歌を変え、その評論で日本語のありかたそのものを変えたと言ってもいいかもしれない。

しかも読んだ歌は、死が近いことを感じさせない明るい伸びやかなものだ。

「くれなゐの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」

寝床から見える美しい風景を切り取り、写実的に表現している。

実は正岡子規の歌は、このような美しいものばかりではない。以下の歌は、正岡子規の苦しい内面をそのままぶちまけたような激しいものだ。

「足たたば 不尽(ふじ)の高嶺のいただきを いかづちなして踏み鳴らさましを」

「足たたば 黄河の水をかち渉(わた)り 崋山の蓮の花切らましを」

「足たたば 北インヂアのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを」

子規はそれほど、生きたかった。世界を見て回りたかった。しかし結核という病が、それを許さなかった。足が立たなかった。その苦しみと葛藤にも関わらず、彼は伸びやかな歌を作り、ユーモアに満ちたエッセイを書き続けた。

他に終末期と言えば、「最後の授業」で有名なランディ・パウシュ氏(カーネギーメロン大学)が思い出される。

彼の最終講義は爆笑に次ぐ爆笑。そして彼は何よりも大切なメッセージを後世に残して逝った。

もう少し暗い話にお付き合いいただきたい。私が死に直面して輝きを放った20世紀最大の人物を上げよと言われれば、「夜と霧」の著者であるヴィクトール・フランクルを上げる。ユダヤ人の精神科医であるフランクルは、ナチスに囚われ、アウシュビッツ収容所、そしてテュルクハイム収容所に送られ、死に直面することになった。

収容所の人たちは厳しい労働、飢え、そして全く希望を持てないという過酷な状況にされされた。人格を崩壊させ、自ら死を選ぶ人も多く出た。しかしその中でも自己の人格を保ち、誇り高く生き抜いた人たちがいた。フランクルはそのような人たちの特性を観察し、冷静に記録し続けた。

あるとき、囚人たちのリーダーがフランクルに、どうすれば「自己崩壊による死」を防げるのか、話をしてほしいと依頼した。フランクルは、人間の生命がいかなる場合にも意味を持つということを語った。自分たちが「犠牲」になるだろうことを語った。しかし犠牲は意味のあることだと語った。自分たちの苦悩と死は無意味なのではなく、むしろ最も強い「意味」に満ちていると語った。

今私たちは、それがフランクルの理論の中で語られる「態度価値」というものだと知っている。絶望的な状況の中で立派に生きる人の態度は、それ自体が人の心を動かし、語り継がれ、その後を継いで生きる人たちに勇気を与える。フランクルは態度価値という考え方を提唱したのみならず、収容所で生きる人たちのあり方を詳細に報告することによって、態度価値の素晴らしさを後世に伝えた。

私がこの文章を書きたいと思った理由は、私の友人たちが何人か、死に直面して病と闘っているからだ。私はこの友人たちにかける言葉を知らないし、慰めの言葉をかけることもできない。ただ私は、彼ら、彼女らの生きる一日、一日に感動し、ツイートするその短い文章に心ふるわせ、自分も与えられた命を大切に生きようと誓う。自分もいつかは死ぬ存在だが、友人たちのように命を明るく輝かせて最後まで生きたいと願う。








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