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津野米咲・赤い公園の音楽 34. sea

津野:生と死の扉みたいな。すごく神聖な感じがするので、現実感と、現実味のなさと、行ったり来たりするようなサウンドがいいなと思って、こんな感じになりました。

SPICE 2020年1月30日

 「sea」は2020年1月29日に「絶対零度」のカップリングとして発売されました。 『純情ランドセル』の頃から、外部プロデューサーがいる場合はアレンジのクレジットはプロデューサーと津野さんの連名、津野さんがセルフプロデュースの場合はアレンジ=「赤い公園」名義が基本になっており、この曲もそれに従ってアレンジは赤い公園と記載されていますが、藤本さんがベースは打ち込みであると発言しているので、おそらくドラムも含めてトラックは全て津野さんの打ち込みであると思われます。 赤い公園のバンドとしての形に強いこだわりがあり(基本全ての曲のレコーディングにメンバーが全員参加する)、「Yo-Ho」リリース時のインタビューでは藤本さんと歌川さんが参加していない曲をリリースする事に抵抗があった事を語っていますが、だんだんと心境が変わって来ていたのか、それともシングルのB面であるからか、今回はさほど逡巡した様子が伺えない事が興味深いです。
 冒頭のインタビューで”生と死の扉”と津野さんが言っているのは歌詞の中の”ゲートが開くその時まで”という部分についてですが、最初期の「もんだな」(さらばの門)や「Yes, lonely girl」の世界とそのまま繋がっていると思われます。 特に「Yes, lonely girl」ではゲートが開く音の後に水の中を歩く足音が聞こえてくる事、続く「潤いの人」で”海”が歌われている事を考えると、「sea」で描かれているのと同様な世界なのではないでしょうか(個人的には「Yes, lonely girl」の水は海のような大きな場所ではなくて森の中の泉のような場所を想像していましたが)。


1.  「sea」の特徴

ループ

 下記の4小節のループは基本終始流れています。 コードははっきりとは明示されてませんが、全曲通してEm7→Bm7の繰り返しと考えて良いのではないかと思います。 二つのコードを最初から最後まで繰り返すというパターンは赤い公園の曲としては非常に珍しいのですが(公式に発表されている曲としては唯一ではないでしょうか)、音楽として一番近く感じるのは三つのコードの繰り返しから構成される「きっかけ」です。 「きっかけ」はドビュッシー(後述)のピアノ曲の響きに近い曲ですが、要所要所で一応メジャーコードに解決するように作曲されているので「sea」の執拗な繰り返しとは違う印象になっています。

繰り返される基本ループパターン

 
 Bメロの部分からアルペジオ(アルペジエータっぽい)と基本ループのベースよりさらに低い音域のベースパターンが加わります。

Bメロからサビまで

コーラスもループの一部

 メインのボーカルとそのハーモニーを歌うコーラスの他にループ的なコーラスがサビの部分で加わり、計5パートになります。

「sea」Aメロ→Bメロ
「sea」 サビ
「sea」サビの部分 全パート

”海”の引用

 津野さんはデビュー当時からドビュッシーと彼の独特な和音が好きである事を公言していますが、交響詩(交響的素描)「海」について特に言及している事は無いように思われます。 ただ、もし興味を持って聞いていたとしたら、日本語版のWikipediaの記事にも記載されている(『海』に見られる動機の生成転化という部分)ドビュッシーが如何にして冒頭の4つ(だけ)の音からさまざまなメロディやハーモニーを作り出しているかについても知っていたかもしれません。 「海」ではこの四つの音がいろいろなキー(調)で現れるのですが、この音列を「sea」のキー(E minor)に当てはめると、下からミ、ファ♯、ラ、シの4音になります。 これはBメロのシ、シラミラシ、シラミラファ♯というメロディで使われている音列と完全に一致します。

ドビュッシーの「海」の音列と「sea」のBメロ

 もう一つ興味深いのは、ベースのループの一部にS→E→Aという音列が使われている事です。 音階のドイツ語表記ではE♭はEsと呼ばれ、その発音からEs=Sとして通常認識されています。 ベースのルーブのE♭→E→Aという音の流れは、S・E・Aになります。

ベースのループに埋め込まれたS/E/A

 この音列は、武満徹が海を描写する時に好んで使っていた物で、「海へ」等の曲で印象的に使われています(また、武満徹は「夢の引用」の中でドビュッシーの「海」を引用している)。 津野さんが武満徹を聴いた事があったかどうかは分からなのですが、音の響きとしては津野さんが好きであっても不思議ではないように思えます。
 音列に言葉を埋め込む事自体はバッハの時代から行われており(BACHの名前は音階のドイツ語表記ではB♭, A, C, Bの音になります)、音楽探求に熱心で読書家でもあった津野さんは当然知っていただろうと思っています。  

2. 「sea」と「Yes, lonely girl」

 冒頭に書きましたが、「sea」の"ゲートが開くその時まで”という歌詞から思い浮かべる光景は「Yes, lonley girl」の中で聞こえてくるSEを想起させます。 「Yes, lonley girl」では、普通に聞くと夜の鳥や猫、不気味な叫び声、電車が走る「カタンカタン」という音のように聞こえるアカペラの歌が音楽的な構成要素ですが(実際には”おやつはいらないから”という歌詞を歌っている)、このアカペラは最終的にG11のコード(ソシレファラド、GのコードとFのコードを同時に鳴らすのと同じ構成音)を響かせます。

「Yes, lonely girl」の構成音 G11のコードを構成する

 このアカペラはそのまま次の曲(「潤いの人」)の冒頭のコーラスに繋がるようにアルバム(『透明なのか黒なのか』)では配置され、その「潤いの人」のサビでは”かさぶたに穴をあけて苦しい私は海へ”という歌詞が歌われ、さらに”崖”、”サカナ”、”沈む”と言った海を連想させる言葉が並んでいます。
 「sea」という曲自体にどこか「Yes, lonely girl」の響きに近いものを感じるのは私だけではないのではないかと思いますが、実際にこの曲のサビでは下記のように「Yes, lonely girl」と同じ11のコード(この曲はマイナーキーなので、Em11になります)が鳴っています。

「sea」のサビの部分、Em11のコードを構成する

 試しに「sea」→「Yes, lonely girl」→「潤いの人」の順番で続けて聞いてみると私には全く違和感なくつながって聞こえます。 例えば、『公園デビュー』に収録されている「もんだな」と「急げ」はライブでも連続して演奏される事が多かったのですが、『熱唱祭り』の際は「急げ」と「ジョーカー」を続けて演奏しています。 これは「急げ」の間奏部分のコード進行が「ジョーカー」のブリッジに転用されているからだと考えているのですが、津野さんは実際に過去の曲の引用やリメイクに近い作曲行為を行っているように思えます。 つまり、「sea」は 、「Yes, lonely girl」の抽象的な音響で表現した世界を、ループ中心に構成された新しいイディオムでリメイクしたのではないでしょうか?
 「Yes, lonely girl」で描かれている世界は、幼い頃の津野さんがアメリカンハウスで深夜にお留守番(苦手ナンバーワン)をしている時にすぐ横の昭和記念公園の森から聞こえてくる音や、そこから想像した恐ろしい物たちを描いているのではないかと思っています。 「sea」からも、深夜に一人耳をすましている津野さんの姿が目に浮かんで来たりします。

 ところで、立川市で生まれ育った津野さんにとって一番身近な、あるいは印象深い海とはどこの海なのでしょう? インタビュー等で具体的な海について語っている記事は現時点で未読ですが、ラジオ等で語った事はあるのかもしれません。 MVでは「交信」や「journey」に印象的な海が出てきます。 「pray」もそうですが、これらは千葉県で撮影されたと認識しています。 ただ、東京からアクセスが良く、人が少なめで撮影に向いているという以上の理由があったかどうかはわかりません。 2016年の夏にモーニング娘。のメンバーの人達と鋸山に登った津野さんですが(前から約束していたようです)、この時も千葉の海を背景に写真に収まっています。
 同じ2016年には瀬戸内海の犬島で開催された『円都空間 in 犬島』というイベントのライブに参加してギターを弾いている津野さんですが、津野さんのご親族の方で犬島のすぐ近くの瀬戸内海出身の方がいらっしゃると聞いた事があります。 自分はまだその場所を訪問した事がありませんが、このあたりの海は津野さんが描いた海のイメージにちょっと近いような気がしています。