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津野米咲・赤い公園の音楽 38. オーベイベー!

 「オーベイベー!」は2021年に発売された赤い公園Last Liveの映像ディスクの初回限定盤に付属していた『津野米咲 demo collection』の一曲目に収録されています。 収録された全4曲の内、以前に赤い公園のライブで演奏された事がある曲が2曲ありますが、そのうち「さらけ出す」は3人体制のライブで演奏されただけなので、石野さんの歌でライブ演奏されているのはこの「オーベイベー!」だけと言う事になります。
 この曲は新体制の赤い公園として初めてのツアーである〈Re: First One Man Tour 2019〉のアンコール曲として初めて披露され、その後は演奏されていないと思いますが、ライブでのギター・ベース・ドラムのみの演奏と違い、デモ音源ではキーボードが追加され、ギターもおそらく3本以上重ね録りされているようです。 このデモ音源がライブ演奏前のアレンジ確認の為に作成されたか、ライブ終了後に音源としてリリース目標に録音されたのかについては情報はありませんが、上記のようにライブとは異なる楽器編成になっているので、なんらかの形でリリースが検討された上でのデモ作成だったのではないかと想像しています。
 赤い公園の曲には珍しく、またおそらく石野さん加入後はこの1曲だけだと思うのですが、”私”が”あたし”と発音され、曲調の翳りの無い明るさも他に類を見ない印象です。


1. 「オーベイベー!」の特徴

ヨナ抜き音階のメロディ 

 全編通してメロディは基本的に津野さんの好むヨナ抜き音階、ABメロは”ナ”というにあたるF♯、サビでは”ヨ”にあたるCの音が限定的に出てきます。 全体的なメロディの構成としては「NOW ON AIR」のそれに近いのですが、コード進行やリズムが大きく異なるので似通った印象は受けません。

「オーベイベー!」Aメロ
「オーベイベー!」Bメロからサビ

和音とメロディの親和性

 前回の記事で書いた「体温計」のような曲とは対照的にこの曲ではメロディと和音の親和性が高く(和音の構成音からメロディが選ばれている)、聞いていて非常に安心感、安定感のある作りになっています。 この曲が初めて演奏された”re:firstツアー”の後、赤い公園はすべて新曲ばかりのYoutube Liveを配信しますが、その際に演奏された曲はそれまでの赤い公園と大きく異なる曲が多く、それを私は津野さんが初期から目指していた”普通に良い曲”と分類しているのですが、「オーベイベー!」のメロディと和音、あるいはメロディとベースラインの関係性はまさにこの”普通に良い曲”を思わせます。

全く異なる音楽になるギターソロ

 しかし、このような音楽がギターソロになると一変します。 ギターソロはこの曲のキーであるG(ソ)の音のオクターブの繰り返しで始まりますが、ベースが唐突に弾き始めるのはFナチュラル(ファ)で主調の全音下の音です。 この上でギターが弾くGの音は基音に対して9度(2度)の関係で、津野さんが旧来非常に好む緊張感の強い音程です。 次の小節ではベースはA♭を奏で始め、ギターソロは続けてGの音を引いているので、短二度(九度)の関係で半音のぶつかり合いになり、更に緊張感が高まります。

「オーベイベー!」のギターソロ 非常に緊張感の強い和音

音数が少なくても効果的に響くアレンジ

「オーベイベー!」のイントロ

 上記の譜例ではCD音源で効果的に加えられているキーボードの音(中段)を追加していますが、実際のライブではギターとベースだけの演奏になる為、ギターの裏でコードを奏でる楽器がありません。 しかし、このギターとベースラインだけで、最初の2小節がC→B→Em7というコード進行である事が聴き手には伝わるように効果的なアレンジがなされています。 新体制になって同期再生を使う事をやめた後、ギターとベースの二つのメロディ楽器だけでいかに音楽を豊かに響かせるかを研究していたと思われる津野さんですが(*)、その効果がこのイントロで十分に発揮されていると思います。

唐突な半音下降音階

 全体的に明るい曲調に終止する曲ですが、2度目のBメロのバックで唐突な半音下降の音型がストリングスに現れます。 これは『THE PARK』収録のほぼすべての曲に現れる下降音型を想起させ、また、この曲の雰囲気にあまり馴染んでいるとは思えない為正直な所少し違和感があります。 デモ音源として作成されている為かストリングスの音色は音響処理が即物的(手がかかっていない)のもこの印象を強調する結果になっているようです。

ストリングスに現れる唐突な半音下降音型

それに続く半音下降のベースライン

 ギターソロの後、サビがボーカルとギターのアルペジオだけで繰り返されますが、この部分は前半で2度繰り返されたサビの部分とはコード進行が異なり、特に後半部分では半音下降するベースラインが聞かれます。 この部分も(繰り返し聞いた後でも)、ギターが半音下降を始める出発点のド♯の音を弾き始める部分で少しだけ違和感を感じるのは自分だけでしょうか…

半音下降するギターの低音

 
 そして半音上がったA♭のキーでもう一度繰り返されるサビはフルバンド編成に戻り、先ほどギターで奏でられた半音下降がベースで演奏されます。 ここではベースラインに違和感は感じず、いつもの赤い公園(最後のサビでは基本それまでとコード進行を変える事が多い)のパターンではありますが、余韻を残す美しい終わり方だと思います。

ベースの半音下降音列



(*) コロナ期の緊急事態宣言下では実際にクラシックのピアノ曲の音数を減らしても本質が伝えられるような編曲の練習をしていると発言していますが、「オーベイベー!」が作曲・演奏されていた時期に既にそのような作業をしていたかは未確認です。 ただ、バンド演奏がとにかく楽しいという発言は多く、津野さんにとって楽しい事の一つにこのような作業が含まれている事は間違いないと思います

2. 津野さんの意図

"わたし”と”あたし”

 上述したように、赤い公園の曲の殆どで”私”は”わたし”と発音されていると思います。 旧体制の例としては「潤いの人」は全編”あたし”、「私」のメジャー音源での佐藤さんは全編”わたし”ですが、インディー版(『ブレーメンとあるく』に収録)では、一度だけ”あたし”と歌っており、また、サビでメインのボーカルをおっかける形で歌われるコーラスはインディ盤でもメジャー盤でも”あたし”と歌っていますが、これはおそらく津野さんではないかと思っています。 いずれにせよ、”あたし”か”わたし”かは作曲時に意識的に選択されている事は間違いなく、「私」における”あ”と”わ”の混在がメジャー盤でも採用されているという事、それがメインのボーカルとの対比を目的としていると思われる事はとても興味深いと思っています。 
 新体制でおそらく唯一”あたし”と歌われるこの曲においても当然意識的にこの発音が選ばれているのでしょう。 自分は津野さんがプライベートで自分の事を”あたし”と呼んでいるかどうか知らないのですが(津野さんはなんとなく両方使っているような気がしますが)、曲中で”あたし”と呼ぶ際、”
”僕”と呼ぶ時と同じくらい、あるいはそれ以上に自分自身の事を歌っているのではないかと想像しています。 そうであるならば、主人公である”あたし”がほとんど一方的に思える恋心を抱いている対称とは誰なのでしょう?

「オーベイベー!」の翳りの無い明るさについて

 この曲はギターソロの部分にいかにも津野さんらしさを感じる一方で、その他の部分は比較的単純なリズムを含めて非常にわかりやすく”普通に”作られているように思えます(不可解な半音下降のストリングスを除いて)。    かつてのインタビューを読むと、津野さんが明るい曲を作る時は必ずしも幸せな時ではない事が多かったようにも思えますし、発表されたのがこのタイミングであっても作曲されたのはもっと昔(佐藤さんの時代)の可能性もありますし、もしかすると他のアーティストの提供する目的で書かれた曲である可能性すらあります。
 それでも、この曲の翳りのない明るさは非常に魅力的です。 この明るさのおかげか、この曲で歌われている”あたしのベイベー”とは津野さんにとっての石野さんであり、赤い公園というバンドの事のように思えて仕方ありません。 ”実際は違う”という証言が出てこない限り、この曲は、石野さんという最良の歌い手かつ音楽的パートナーを見つけ、一度は継続が難しいかもと思っていた赤い公園が再始動できる事への喜びを素直に歌った曲であると考えていたいと思います。