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津野米咲・赤い公園の音楽 33. 『0日目』の「オレンジ」 

 ”いつか座席のあるホールでライブをやりたい”というのは津野さんの悲願だったようです。 それまでライブ(ワンマン)を行って来た会場はどれだけ大きくてもオールスタンディングの会場でした。 『赤い公園 「SHOKA TOUR 2020 “THE PARK”」』初日のLINE CUBE SHIBUYAは全指定席公演で、初の”座席のあるホール”でのライブとなる予定でした。 
 このライブは『THE PARK』発売前に発表されてチケットの先行販売も行われているので、『消えないーEP』、シングルの『絶対零度』の反応やそれまでの新体制のツアーの売れ行きから、動員数を増やせる(あるいはチケットの単価を上げられる)という見込みがあったという事だと思います。 一般販売が始まる前に公演中止が決まってしまったため、どの程度の売れ行きであったのかは分かりませんが、先行の抽選については落選する人も多かったようで、一般的にも期待レベルはかなり高かったと思われます。
 緊急事態宣言が発令されたすぐ後の4月10日には5月中の公演すべての開演見合わせ(振り替え公演日未定)が発表され、そしてGW明けの5月8日には6月以降も含む全14公演の開催中止が発表されました。
 当時の状況を考えるとこれ以外の解はなかったのですが、その後赤い公園は四人がそれぞれリモートで演奏するインスタライブを配信したり、津野さんはwasabi(谷口鮪×津野米咲)として「sweet seep sleep」を発表したり、8月1日には「ビバラ!オンライン 2020」に赤い公園と出演したりと言った活動をしていましたが、8月29日には中止になった『赤い公園 「SHOKA TOUR 2020 “THE PARK”」』の代わりに「SHOKA TOUR 2020 “THE PARK” ~0日目~」が開催されます。


1. 「SHOKA TOUR 2020 “THE PARK” ~0日目~」

 「0日目」はデビュー前から赤い公園と深い縁があった立川のライブハウス”BABEL”で開催され(無観客)、ライブ配信されました。 後にLAST LIVEを収録したBlu-Rayの初回限定版の特典として全映像が収録されています。 新体制初のツアーである『Re: First One Man Tour 2019』ではギター・ベース・ドラムとボーカルという一番ベーシックな編成で、津野さんはキーボードと持ち替える事なく、全曲でギターを弾いていたり、かなりシンプルなアレンジのライブが多かった印象ですが、ここでは(ごく初期に旧体制の曲を演奏した際を除いては)新体制として初めて同期を使用したり(「交信」、「chiffon girl」)、昔のように津野さんはギターとキーボードを持ち替えたりしていて、演奏の幅が再び広がっています。
 ただ、『re:first』の時のようなギター・ベース・ドラムのシンプルな編成で演奏された曲も、それまでよりも更に演奏の自由度(即興性)が増していて、赤い公園のライブバンドとしての成熟を感じさせられました。 ちょうどその頃津野さんは『独学堂』で”最近はショパンのピアノ曲とかを本質を損ねずに出来るだけ少ない音数で再現するような事をやっている”と記していますが、この事と無関係では無い様に思えます。 同じように一見シンプルなアレンジでも、初期のツアーと比べて原曲の再現性が上がっている様に感じられるからです。

2.0日目の「オレンジ」

当時の状況

 「オレンジ」は、8/19(水)12:00 より、動画配信サービス“FOD”にて配信スタートした、『時をかけるバンド』のオープニング曲に採用された曲ですが、この事が公式に発表されたのは前日の8月18日です(エンディングの「Pray」が採用された事も同時に発表)。 FODでこの番組を見た人以外はこの曲に馴染みのある人はあまりいなかったのではないかと思います。 (自分はこの曲を『0日目』の前に聞いていたような記憶があるのですが、それはFODの番宣をYoutube等で見たのかも知れません。)
 ラジオの初オンエアは9月6日、MVも(少なくとも全曲盤は)シングルの発売に合わせたタイミングの公開のようです。 いずれにせよ、『0日目』の時点では赤い公園としては一番新しい曲であり、耳馴染みのない曲であったことは間違いありません。 (ちなみに『時をかけるバンド』がフジテレビ系列の地上波でOAされる事が発表されらのは10月9日、実際に第一話がOAされたのは10月19日(24時25分開始なので実際には10月20日)。そして、シングル『オレンジ / pray』が11月25日に発売される事が発表されたのは10月11日です。)

 そういった状態での視聴だったので、8月29日に配信ライブを視聴した際には「オレンジ」のアレンジがCD音源とどのような関係にあるのか殆ど分かっていませんでした。 なんとなく、イントロの印象的なギターの(ちょっとおどけたような、「楽しい」のサビからの引用を含むフレーズ)メロディが無いな、と思ったような記憶はあります。 そして、Blu-Rayに収録された演奏を改めて聞いてみると、これがCD音源とは随分違う演奏になっている事に気付くのです。

テンポ

 同期無しの演奏なので当然完全に一定の速度では無いのですが、全体を通して平均するとBPM190前後の速さになっていて、CD音源のBPM180と比べると一聴して”速い”と感じるテンポです。 ラストライブのBlu-Rayの副音声によると”津野さんが緊張してテンポが走ってしまった(歌川さん)”らしいですが、曲が始まる前の津野さんのカウントダウンはほぼぴったり180で、それに続いて無伴奏で入るボーカルが若干早めのテンポで入ってしまい、それに津野さんがギターのテンポを合わせる形で結果として早めになってしまったように思われます。 津野さんのギターは、最初はなんとかテンポを180くらいに戻そうとしているようにも聞こえますが、途中であきらめたのか”最後くらい”のあたりからスピードアップし、その後はそのまま最後までこのテンポで進行します。 最初のカウントダウンのテンポからしてこの速さが想定外だったのは間違いないのですが、結果としてこれが良い方向に働いているようで緊張感とスピード感のある演奏になっていると思います。

アレンジ

 CDの音源からは少なくとも3本以上の重ね録りされたギターとピアノ、オルガン系のキーボードの音が聞き取れます。 シンプルなようでいてボーカルに対するカウンターメロディや、独立したフレーズを含む手の込んだアレンジが施されており、個人的にはブライアンウイルソンの音作りの影響を受けているようにすら聞こえます(ただし、津野さん自身がブライアンあるいはビーチボーイズを好きだった、影響を受けたという発言は全く聞いたことがありません。 少なくともPet Soundsくらいは聴いていたとは思いますが)。
 イントロは通常であればギターであの特徴的なメロディを弾き、伴奏はベースに任せる所だと思いますが、ここで津野さんはメロディではなくて音源とは全く違うパワーコードっぽいフレーズを弾き続けます。 これは、『時をかけるバンド』の主人公たちが組んでいるバンド”ちゃあはん”が劇中で演奏するものと全く同じです(番組内のバンドの演奏アレンジは赤い公園が行っているので、これ自体の津野さんのアレンジなのですが)。 Aメロの前半はギターもベースも”ちゃあはん”版と同じ(ただし、津野さんはコードの変わり目でしか音を出さない完全にちゃあはん版と同じ演奏ですが、藤本さんは同じコードが続いても小節が変わるところでベースを弾いています(これはおそらくミスなのでは?)。 完全に同じなのはここまでで、この後はベースはほぼ赤い公園版に戻り、津野さんはその上でかなり自由な演奏を繰り広げています。
 その中でも印象的なのは、珍しくコード自体が音源と変更されている部分です。 歌詞で言うと”どんな小さな棘も”の”棘も”の部分、”どんな小さな嘘も”の”嘘も”の部分はCD音源ではE♭からGという進行で、本来♭するBの音が半音あがる(♮)事で影のある響きになっていますが、ライブ音源ではそのままGに移行するのではなく、Gsus4(G、C、D)からG(G、B、D)に進む事で♭の無いBの音が更に印象深く、影が深い響きになっています。同様の進行は、サビの繰り返し(”心の真ん中にいる”)の部分でも見られます。
 基本はシンプルなアレンジなのですが、2度目のAメロの部分でいきなり津野さんがスケールを弾き始める部分も面白いです。 単なるスケールのようですが、これが要所要所でボーカルのメロディに寄り添ったり離れたり、印象的な対旋律になっています。
 津野さんのギターがCDの音源と同じなのはギターソロ、”しっかりしろよ”の後の上行する全音音階、そして一番最後の部分で「楽しい」のサビのメロディ(命の果てまで)を引用したフレーズを弾くところくらいです。 同期を使わない事によって裏でコードが鳴っていたりしない分、ベースの上で津野さんが自由に動き回れる(ボーカルの伴奏に徹したり、積極的に絡んだり)様子は、いかにも”バンドでギターを弾く事が本当に楽しい”と言っていた津野さんらしいです。 演奏する姿からもまさに楽しそうな感じが伝わってきます。 この演奏で、赤い公園版よりもはるかにシンプルなちゃあはん版のアレンジを元にしているのは、演奏の完成度を求めるよりも楽しみながら演奏することを優先した為かも知れません。

3. 「オレンジ」とはどういう曲なのか?

 オレンジについてはインタビューやセルフライナーノーツの類が存在しない為、作曲の経緯や意図については情報が不足しています。 純粋にドラマの主題歌として作曲したのか、それとも劇中でバンドが演奏する事をメインに作曲したが主題歌にも採用された結果赤い公園版を作成する事になったのか、或いは、まったく無関係に作曲していたがドラマに適していると思われた為に採用したのか。
 同じシングルに収められた「Pray」はおそらく2018年の夏ごろ(石野さんが加入し、「消えない」が作曲された頃)にはデモ版が作成されていたらしいことはラストライブのBlu-Rayの副音声で確認できます。 「オレンジ」に関してはそのような情報は無いのですが、「時をかけるバンド」のロケ撮影が2019年の夏には行われていた事、おそらくバンドの演奏シーンも同じタイミングで行われていただろう事を考えると、それよりも前には完成していたと思われます。

 2019年の9月23日に開催されたTricot主催の「爆祭2019」に赤い公園は出演し、その際に「Break」のカバーを演奏しています。 この曲には”さよならオレンジ”というフレーズが繰り返し使われており、背景は異なるかも知れませんが”別れ”をテーマとした曲です。 類似は偶然かも知れませんが、このようにライブで演奏している以上津野さんがこれに気づいていなかったはずがなく、あえてこの曲をカバーして聴衆の前で演奏した意図はなんだったのでしょう?

 『時をかけるバンド』の地上波初OAが2020年の10月19日であった事も気になっています。 自分のバンドの曲が地上波ドラマの主題歌として全国に放送される事は、津野さんにとって”燃えるゴミの日”程の重要さも無かったのか。

 完全に個人的な話ですが、当初この曲があまり好きになれませんでした。 発売されたタイミングや、当時の一般的な受容のされ方の影響もあったとは思いますが、曲調とアレンジが嚙み合っていないように思ったのが一番大きな理由だったと思います。 この曲のイントロのギターフレーズ(「楽しい」を引用しているのは、その他の引用例を見ると意図的だと思います)、二度目のAメロ裏のピアノのフレーズ、唐突に現れる全音音階等いかにも津野さんらしいのですが、曲調に合致しているとは到底思えず、歌詞が示している内容をあえて茶化すようなアレンジを加えている意図については今でも正直よく分かりません。
 この曲の魅力に気が付いたのは、ちゃあはん版を聞き、更にBlu-Rayに収められた『0日目』の演奏を再度視聴してからでした。 こういう経緯があったから、と言ってしまえばそれまでですが、やはり自分としてはこの曲の本来の姿はシンプルなちゃあはん版で、赤い公園のCD版は所謂セルフカバー的な物、オリジナルとの差をはっきりさせる目的で少しアレンジに手をかけすぎて、曲としての勢いがなくなってしまっているような印象を受けます。 ただ、ちゃあはん版は本職のミュージシャンが演奏する想定でアレンジされていないのでさすがに単調なところが気にかかり、そのような自分にとっては、”0日目”の赤い公園の演奏こそがこの曲の理想の姿なのです。