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津野米咲・赤い公園の音楽 36. いちご

私は、たぶん弾き語りで(曲を)作る事が出来ない。 良い曲を作るためにあのアレンジが、作る段階で必要で。

Great Hunting 2014年10月号

 「いちご」は2014年発売の『猛烈リトミック』の4曲目に収録されています。 プロデュースは亀田誠二さん。 曲順的には「108」の次になりますが、「いちご」のBPMが107なのは多分偶然ではないのではないかと思います。
 冒頭から繰り返されるシンセサイザーのフレーズは実際には4拍目の裏から始まっているのですが、これを一拍目の表として認識してしまうとAメロの歌い出しからリズムが不安定に聞こえ、更には正拍から始まるBメロあるいはサビに入るところで半拍分無くなったように感じて気持ち悪く感じる人もいるのではないかと思います(自分も最初はそうでした)。 実際には5小節目から入ってくるキックが正しい拍子の頭を示しているので(小さ目の音ですが)、これを聞けば小節の頭がどこにあるかは明白です。
 つい最近まで、このような仕掛けがしてあるのは津野さんの悪戯心、或いは聞き手を混乱させようとしたトリックとして取り入れたんだろうな、と思っていました。 ただ、最近読んだ『猛烈リトミック』発売当時のインタビューでこの考えはどうやら間違っていたのではないか、と思いなおしました。 どうやら、作曲し始めた当初からこの半拍ズレて聞こえるリズムは曲の重要な要素として存在していたようなのです。


1.「いちご」の特徴

 上述のように、4拍目の裏から始まるシンセサイザーのフレーズの繰り返しが印象的な曲ですが、実はそれはAメロの部分だけで、Bメロ及びサビは比較的(赤い公園にしては)シンプルでストレートな音楽になっています。    Bメロではボーカルのメロディに対してギターとベースが複雑な対旋律のような動きを見せますが、サビは基本完全的にモノフォニックな弾き語り的音楽です(メロディ+コードで成り立つ音楽)。

Aメロ

 音楽の構造的には一番印象的な部分で、上述のように、4拍目の裏から始まるシンセサイザーのフレーズの繰り返しが印象的な曲ですが、この繰り返される音形とギターで繰り返されるソの音、それに対してきちんとルート感のあるベースの組み合わせが複雑でありながら非常に美しい音楽を作り上げています。 ライブで演奏される際、旧体制では基本同期を使ってCD音源と同じアレンジで演奏されていましたが、新体制では同期は使わず4人だけの演奏になっています(re:first ツアー、Fuyuツアーの二回のツアー両方で演奏されており、基本アレンジは同じであったと思います)。 新体制での演奏では、津野さんはギターでCD音源ではシンセで鳴らされていた”半拍ズレて聞こえる”音型を弾いていました。

「いちご」Aメロ

Bメロ

 この部分で”半拍ズレて聞こえる”音型は鳴りやみ、拍の頭の位置が明確になります。 ただ、ここでもまだボーカルに対して鳴らされるギターとベースの音型は非常に対旋律的で、主張が強い物です。 そしてギターが歌に対して裏拍で刻むリズムもユニークです。

「いちご」Bメロ

サビ

「いちご」 サビ

 サビはAメロとは正反対の完全に弾き語り的な構成で、はっきりしたルート音の上のギター・キーボードのコードの上でヨナ抜き音階のメロディが歌われます。

ユニークな構成(歌詞を反映している?)

 この3つの部分のギャップの大きさがこの曲の大きな魅力と言っても過言ではないかも知れません。 歌詞の内容を読み解くのは苦手なのでここでは具体的に言及しませんが、おそらく、Aメロとそれ以外の部分で歌詞のイメージが異なっている事も、曲の構成に反映されていると思われます。

2.  弾き語りで曲が作れない、とは?

 冒頭に引用したインタビューを、長くなりますがもう少し前から引用してみます。

 自分の思ってるポピュラリティーと他人の思っているポピュラリティーは、すごく近いんだけれども、ちょっとズレてる、たぶん。 だから、何も考えずにポピュラリティーを求めても、意外とオリジナリティーを失わないなって。 意識としてはJ-POPを作るつもりで作ってる。

ー そして赤い公園がJ-POPを変えていくと。(聞き手)

 そうそう。 でも、変えていく方向が、変えようとしている人たちと真逆なのかなって思ってて。 ボカロとかがおもしろがられていることもあって、早口の曲だったり、曲の展開が早かったり、コード進行がはげしいものとかっていっぱい出てるけど、それはやろうと思わない。 そういう変え方は良くないと思う。 そもそもの、聖子ちゃんとかユーミンとか、ああいうちゃんと良い歌詞で良い曲ってのを大前提に考えていたら、どんなテンポでもどんなアレンジでも、絶対に良い曲になるはずだから…… それじゃないところでアレンジばかりが評価される時もあるんですけど、それは「ちゃんと聴いていないんだなあ、お前」っていつも思っている(笑)。
 最近気づいたのは、このあいだ弾き語りをやって。 それこそ”ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ” みたいなずっと同じようなリズムでやってて。 で、自分の中で自分の曲はすごくポップで、メロディーとコード進行がとっても日本的だと思っているんだけれども、そういうのを弾き語りでやると「おお、良い曲だなあ」ってなる。 だけれども、私たちは、バンドでああいうアレンジでやってて。 私は、たぶん弾き語りで作ることができない。 良い曲を作るためにあのアレンジが、作る段階で必要で。

Great Hunting 2014年10月号

 「猛烈リトミック」の初回限定盤に同封されていたメンバー4人からのメッセージの中で津野さんは”ポップなのか、そうでないのか、そんな事、どうでも良くなるようなジェイポッパーに、私はなりたい。 と、思っています”と書いています。 インタビューの前半はこのメッセージの内容と同じ意味合いだと思います。
 が、ここで一番気になるのは後半の部分で、一読した時は少し理解し難かったのですが、ここで津野さんが言っているのは”普通にポップな曲を書いているのに、赤い公園はそれをわざと変なアレンジでやっていると思われているのが心外。 実際は全く逆で、自分は最初からあのアレンジ(聴き手に変わっていると思われる)で作らないと曲自体作る事が出来ない”と言っていると思われます。 これは私にとっても実は大変意外な発言で、正直なところこのインタビューを読むまでは、「いちご」も普通のリズムとコードの曲として原曲を作り、それに手の込んだアレンジをして独特な魅力を付加していると思っていました。
 初期の頃のインタビューで津野さんは何度か中学生時代にブラスバンドで演奏したコープランドの「アパラチアの春*」のスコア(総譜)を眺めて、それぞれの楽器がまるで違う事をやっていたり、メロディが一つの楽器から別の楽器に知らない間に渡されていたり、という作曲法に魅力を感じた、という事を述べています。 それを考えると、もともと歌+コードというモノフォニックな作り方ではなく、クラシックの作曲法に近いポリフォニックな作曲法で最初から曲作りを目指していたとしても不思議ではないのです。 そして、ここから先はあくまで想像するしかないのですが、津野さんの頭の中では最初からあのアレンジで音楽が響いているのかもしれません。 そうであれば、”弾き語りでは作曲できない”と言う発言も納得出来る気がします。 そして、おそらくこれこそが私が赤い公園の音楽に他のバンドにはない絶対的な魅力を感じる理由である、という事に気がつきました(このNoteのシリーズを初めてから約3年かかってやっとです笑)。

 試しに「いちご」を弾き語り風にしてみました。 ベースラインは(リズムは単純化していますが)原曲と同じ、コードも基本はあの”半拍ずれた”シンセのフレーズと津野さんがギターで弾いている単音を元に単純な和音にしたものです。 全く違う印象になりますが、「おお、良い曲だなあ」と思っていただけると思います。


*「アパラチアの春」のスコアの一部

「アパラチアの春」から。 4拍目の裏から始まるフレーズは「いちご」の印象的なシンセのフレーズとちょっとイメージが似ています。
「アパラチアの春」から。 このフルートとオーボエのフレーズは拍の頭をずらせば「いちご」のAメロ繰り返しの裏で津野さんが弾いているギターの音と全く(音程も)同じ
「アパラチアの春」の終結部。 津野さんの好む9の和音で終わる(Cmaj9)。

追記

 なぜかは分からないのですが、この曲のAメロのベースラインとコード進行は実は「NOW ON AIR」とほぼ同一です。 「NOW ON AIR」はアルバム制作の過程の一番最後に出来た曲との事なので、「いちご」のほうが先に存在した事になります。  以前の記事に書きましたが、「NOW ON AIR」のAメロはバグルスの「ラジオスターの悲劇」を引用していると思われるので、どうしてこれが「いちご」と同じ進行になっているのか、改めて考えています。