コロナウイルス・パンデミック・ドリーム ~周回遅れのステイホーム~
ステイホーム中に悪夢を見る人が増えたという。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/041700243/
夢の研究をしている米ハーバード大学の心理学の教授ディアドラ・バレット氏が最近見た新型コロナウイルスに関する夢のフォトイラストレーション。氏の自作。(ARTWORK BY DEIRDRE BARRETT)
刑務所など、極度に退屈な場所だと、幻覚が見えるようになると聞いたことがある。
脳は常に新しい情報を欲しがるから、何も新情報が無いと自ら新情報を捏造してしまうらしい。
自分のしっぽを食うとかげみたいだ。
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今までと同じことをしている。読むこと、書くこと。
むしろ初心に返り、大学生、いや、小学生の頃のように読み、書いている。
用事や、しなければいけないことが殆ど無いので、読みたい本が片端から読める。
それに加えて、瞑想したり、瞑想のような気持ちになる文章をまとめて読んでいる。
瞑想したり、高石宏輔氏の文章を読んだりすると、落ち着いた、繭に包まれたような気分になる。
しかし、それはすぐに弾けて消えてしまう。
(特に携帯を見るとすぐに失われる)
なのに、瞑想が終わった直後にすぐに携帯を見てしまうことが多い。
はじめは「どれだけ携帯が好きなんだ? この落ち着いた気分が気に入っているなのいわざわざ壊すのはどうして?」と思っていた。
しかし最近は「この落ち着いた気分が怖いから、壊そうとしているのかも」と思った。
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きっと私は、幻覚を見るのが怖いのだろう。
いつもの、手馴染みの良い、外部刺激をもらうほうが、安全で手早い。
しかし、それにも飽きている。
社会隔離に関する新たな発令が出そうになるたび、携帯をいじりまくって情報収集したあげく、一気に嫌気が差し、最近は携帯を手放し気味になっている。
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わけのわからないところに行きたい、ここに飽きた、という気分がある。
しかし、ずっと安住しているここにいたい、他所は怖い、という気分もある。
高石宏輔さんのような文章を書きたい、というのが、恐れ多くもこのマガジンの裏テーマであった。
しかし、できすらしない模倣を放り出し、いやいや既知のものの真似は意味ない、誰も読んだこともない、書いている私もぽかんとするようなわけのわからない文章が書きたいという気持ちもある。
気持ちとしては全くもってせわしないが、外から見たら静かに瞑想して、読み、書いているだけだ。
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人は悪夢を見るぐらいでちょうどよいのでは?
現世がカラフル過ぎると、そのカラフルさにかまけて、一日が終わってしまう。夢も見ない。
窮地に追い込まれ、自分のしっぽを自分で食う。そしてすぐさま新しいしっぽを生やす。
それをクリエイティブと呼ぶのかも知れない。
悪夢の中で、もっと丈夫なしっぽを生やそう。
渋澤怜(@RayShibusawa)
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