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パフェ、パルフェ、パーフェクト。

2022年11月9日,僕は『窓辺にて』を観た.事前情報は特になく,TOHOシネマズの公式アプリを眺めていた時に偶然目に留まったから観ただけだった.
予告も何も見ず,シアターに着くまでの数十分の間に,今泉力哉監督と稲垣吾郎さんがタッグを組んだこと,オリジナル脚本であることをネットから拾ってきた.あと不倫ものであること.

何の気なしにチケットを購入し,何の気なしに観た映画だったが,非常に繊細な映画だった.見終わった瞬間に,2022年に観た映画の中でthe best filmに挙げたいと思うような,とても優しい作品だった.
詳細を言葉で伝えられるほど僕の語彙力は優れていないので,ぜひ観てほしいとしか言えないのが悲しいところだ.裏を返せば,筆舌に尽くしがたいほどの作品であったとも言えるかもしれない.
いや,そんな言葉で逃げるのはやめよう.無知の知は大事だが,その先へ行くためには無知の恥を持っていなければならない.





そんな話は今はどうだっていい.僕はパフェの話がしたいのだ.スイーツやクリームがいっぱいのあのパフェだ.『窓辺にて』の中にも,パフェが出てくる一幕がある.



「パフェってどういう意味か知ってます?」
「パーフェクトですよね。パルフェ。フランス語。完璧なお菓子っていう意味の」
「え、すごい。初めて知ってる人に会ったかも」

市川茂巳が久保留亜に呼び出されて会うカフェにて



僕はずっと甘いものがあまり得意ではなかった.食べれないことはないが,食べていると甘さにやられて気持ち悪くなってしまう.パフェなんて10年近く食べてないと思う.
そんな僕がパフェを食べたいと思った.別に久保留亜と市川茂巳のトレースをしたいわけではない.しかし,同じ空気を感じてみたい.パフェのあの甘さ,量の多さ,食べづらさ.すべてを感じてみたい.そう思ってしまった.

そこからカフェに立ち寄る機会があるたびに,メニューのデザート欄を覗くようにしている.もちろんパフェを探すためだ.どんなものが乗っているのか,量はどのくらいなのか.ある種宝探しのような気分で,メニューという宝の地図を見る.そして見つける.まるでファンタジーの世界に入ったような心地がする.
ただやはりここは現実の世界で,おいしそうな宝の下にある数字の並びがそれを思い出させてくる.まったくもってお財布に優しくない.
現実逃避をしても,いつかは直視しなければならない瞬間がある様に,それは僕の前に立ちはだかる.夢であり現実であるパフェ.さりげなく2人分注文した久保留亜には,どちらのパフェがあったのだろうか.さりげなく注文されてしまった市川茂巳には,どちらのパフェだったのだろう.





結局僕はまだパフェを食べていない.現実が強すぎた.なんと悲しいことよ.ここまできたら,いっそのこと食べずに過ごしてみようかとすら感じる.でもそんな僕がパフェを食べてしまったらどうなるのか.それも気になる.



「これを書いたら、彼女が過去になってしまいました。それがとても悲しいんです」
「でも……きっと今までで一番面白いでしょうね、これ」

市川茂巳と荒川円の会話から



何かをすると,何かが過去になる.ずっと現実であってほしいものが,そうあってくれない.今の僕にとってそれがパフェ.ひとたび食べてしまえば,『窓辺にて』が過去になってしまうような予感がしてしまう.過去に囚われてはいけないと常々思っていながら,過去に囚われたい自分がいる.別に囚われてないよ,と言ってくれる人がいるかもしれない.確かにそうだ.囚われているわけではない.でもやはり僕は囚われていると表現する.

今後も僕は様々な作品に遭遇する.詩であれ絵画であれ映画であれ,様々な優れた作品,はたまたそうではない作品に出会う.それを受け入れる体制を作るためには,どこかのタイミングで『窓辺にて』を過去にしなければいけない.そうしなければ,これから出会う良い作品と,『窓辺にて』を比べてしまう.そんな悲しいことはない.
だから僕は,意を決してパフェを食べようと思う.できれば今月中に.今年度で『窓辺にて』に囚われた自分と決別し,新たな自分を創造していきたい.これから出会うものたちのために.

僕の生活の一部になります。