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RC的俳句論

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もっぱら俳句界への鬱憤晴らしのような内容になりますが、ご賛同いただけるなら一緒に俳句界を変えていきましょう!
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答えの出ない「欠席投句」問題

本年1月1日に発生した能登半島地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。ひと月が経ってもライフラインが復旧せず不便な生活を強いられている方々、避難を続けていらっしゃる方々の日常生活が、一日も早く取り戻せますように、切に願います。 さて、今日考えたいのは、「欠席投句」のことです。 RCが出席しているいくつかの句会でも、それぞれの方法で、その場にいない方の出句があります。欠席投句として事前に幹事か出席者が預る

俳句を楽しむための、3つの「へ」

日ごろ、もっともらしいキャッチフレーズには注意しないとと発言していますが、今日は自分でいいこと思いついてしまったので、書いてみますね。 俳句を楽しむための、3つの「へ」です。 「へんくつ」とか「へんたい」とかではありませんよ。それでは俳句が楽しくなくなります。 3つの「へ」とは、 へんてこ へっぽこ へたうま です。 なんだこりゃ、と思われたかもしれませんが、説明してみますね。 ◎へんてこ 俳句は個性豊かな表現が可能な文芸です。季語に豊かな情趣をゆだね、景の描写に自

句会マスク、どうする? 

今年の流行語大賞候補には、大河ドラマにちなんで「どうする?」が入るのでしょうか。 それにしても、「句会マスク、どうする?」となると、問題は難しいです。 国の方針により、世の中は3月13日を境に、マスクは個人の判断で、ということになりました。 いつも句会で利用している会場も、ホームページで、お客様の判断でと告知しています。 これまでは句会参加者にマスク着用をお願いし、そのうえで遠慮なく合評でしゃべれるという感じで開催していました。 句会は室内ですし、参加者が十分な距離

句集を買おう!

自分の句集が出来たので言うわけではないですが、句集を買うことって大事ですよね。 先週も、出版社のブログで興味をもった句集を、楽天ブックスで注文しました。まだ届いていませんが、楽しみに待っています。 かねがね思うのですが、俳句って経済活動としてうまく成り立っていないように見えます。会社組織でやっている結社は、ホトトギスくらいでしょう。 俳人も、俳句だけでプロとして立っている方々はほんの一握りで、何か本職があって、俳句や散文を発表したり、指導をするケースがほとんどだと思いま

師とか師系とか言うの、ちょっとやめてほしいんですけど

※この記事にはその後の展開があります。こちらもお読みください。「句集刊行プロジェクト12ーーフィニッシュの前に」2022年8月7日 12:30 俳句の世界では、よく師系って言いますね。 他の世界では聞いたことがないので、俳句独特の用語なんでしょう。 まあ、便利と言えば便利な言葉です。その結社や俳人の作品を読まなくても、どんな俳句を読んでいるのか、ある程度想像できたりします。 そもそも、では師ってなんでしょう。言葉としては、かなり重たい響きを持ちますよね。「わが師の恩」

俳人にとって、「一誌持つ」とは?

RCが俳句を本気で始めようと思ったきっかけは、もう20年近く前、ある団体の夏の催しに参加したことでした。1日目に吟行、2日目に句会というもので、吟行の楽しさ、句会の面白さに魅了されてしまったのでした。 その吟行のおり、ご指導されていた大御所の先生が、たまたま近くにいらしたので、季題の話から雑談になったのでした。今から考えると無遠慮で大胆でしたね。でもそんなことが自然にできてしまうのも、吟行だからだったのでしょう。 そのとき、先生はこうおっしゃったのでした。 「どうせやる

四字熟語(造語)に御用心!?—「客観写生」「花鳥諷詠」「二物衝撃」

このところ年齢も定年秒読みの微妙なところに入ってきたので、いろんなことに不満をもったり、腹を立てたりすることが多くなりました。でも生命力みたいなことものはむしろ落ちてきてるので、エキサイトすることは滅多にないんですけどね。 理屈でものを判断する人も嫌いになりました。RCも負けずに理屈っぽいんですが、理屈で世の中は動かないってことを嫌というほど思い知らされてきたので、その辺の分別は身につけてきたつもりです。 たとえば、会議や打ち合わせで、経済理論やマーケティング理論の用語を

俳壇の方々は、真の俳人と言えるのか?

いったいなぜ俳壇というのは、一般の俳句愛好者と隔絶した感があるのでしょうか。 数量的にピラミッド構造になっていて、頂点が俳壇なのだと考えれば話は早いですが、そんな簡単なものではないように思えます。 俳句はいわば隠者の文芸だと言えます。季語・季題という概念を中心とした定型詩は、社会のシステムやルールから外れた、極端なことを言えば、カウンターカルチャーだと思うのです。 あの芭蕉も、深川に隠居してからが、本格的な活動の始まりですよね。門人たちもクセ者揃いで、この登場人物たちだ

実作者と評論

RCはあまり俳句総合誌を読みません。時々面白い企画はあるけれど、ほとんどが、役立つとは思えないノウハウものや、政治的スタンスがあらわな評論もどきばかりだからです。 本来、実作者に俳句評論はできないと考えています。かつては、俳人たちと関わりながら、適度な距離を持ちつつ評論を展開できる方がいらっしゃいましたが、今はいません。 実作をし、結社に属す属さないにかかわらず俳壇の中である位置を占めている人が、俳句のフェアな評論などできるものでしょうか。できるわけがありません。 実作