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縁 その2

その道を歩き始めたきっかけって何だっけ?

「介護の仕事を始めたきっかけを教えてください。」

求人があったからです。

「介護の仕事を続けることが出来た理由を教えてください。」

他に出来ることを見つけられなかったんです。

「介護が辛いという声に対して一言お願いします。」

嫌々やっても周りの気分が悪くなるだけだから、無理して続けなくてもいいんじゃないかな?

「介護の仕事の魅力を一言でどうぞ!」

魅力を感じた人がやってる介護が魅力的です。

うん、全部ボツになりました。

なにか壮大な理念とか目標が無いと、来ちゃいけない業界だったのかな?

【たまたま巡りあった仕事に就いた】

【やってみたら苦痛は無かったから続けた】

【やってるうちに楽しみを感じたから深く勉強を始めた】

以上が未だにもりおが介護業界人を名乗る理由です。

ダメ?いいじゃん(笑)

人との出合いも、仕事や勉学との廻り合いも、ご縁があってのものでしょう。生きていくには収入が必要で、いまの自分を労働力として受け入れてくれるところがあって、そこに手を伸ばすのに罪悪感は必要ないと思う。(法律の範囲内で)

18歳で介護の仕事に就いてから、

「若いのにエライねぇ」

と、多数の人に声をかけられて、誉められたことに調子づきながら、介護福祉士になって、ケアマネになって、ケアマネの管理者になった30歳辺りから、誉められることに違和感を感じるようになりました。

この違和感はどこから沸いてくるのか、なぜ違和感を感じるのか、しばらく悩んでやっと気づいたこと。

【誉めてくれるのが、仕事としてではなく介護をしている人】ようするに、利用者のご家族だったからだ。

30過ぎまで気づかなかったもりおの愚か者。

介護を仕事にすると言うことは、家族の代わりに介護をするということ。しかし、家族の介護と専門職の介護の違いを、知識とか技術とか専門性とかよりも、ずーっとずーっと浅い、根本的なところで違いを見つけられないと、イタい人の免許を皆伝してしまう。

介護が行う介護との大きな違い3つ。

▪業務が終了したら、そこから離れる事ができる。労働からプライベートに移行して、自分の人生を送ることができる。

▪所定の数の休日があって、介護をしなくてもよい、介護の事を考えなくてもよい日が保証されている。

▪労務契約があって、毎月、金銭での報酬を受けとる。

チームの仲間に引き継いで、自分の時間を確保する事ができるから、ちょっと面白くないことがあっても、それを顔に出すことなく従事する事ができるし、負担が分散されるから、心穏やかに楽しみ、喜びを探し出す心の余裕も生まれるわけです。

日頃から不平不満を言うことでストレス発散し、解決策を講じる事を考えもしない人は別。

上手くいかなくて、苦痛を軽減できる策もなく、精神的に追い詰められてしまう場合は、元々その仕事と相性が悪かっただけで、職を変えることで心身ともに救われる可能性が大きい。従事してて、負担を感じながらも喜びや楽しみを見つけることが出来たら、それまで負担に感じていたことがどうってこと無いと気づく。楽しく仕事ができるなら、遠くで他人が「介護の仕事なんてあーでこーで」と吠えてるのも、介護の知識のない部外者の陰口としか聞こえない。貶めようといちいち突っ掛かって来る人も、ウザさを通り越して可哀想に思えてくる。

たまたま巡りあった仕事が、たまたま長く続けることが出来たっていうだけの理由で自尊心を産み出してもいいんじゃないですかね?

【己】と【仕事】の縁が無ければ何をやっても続かないと思う。

進んでいる道の本質とか、自分はこうあるべきであるとか、自分の人生を定義付けてると、肩こりますよ?

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