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「ふたり」って難しい。~ドラマ『いちばんすきな花』を見て~

フジテレビドラマ『いちばんすきな花』の第一話を見て、「分かるなあ、」と思った。

「ふたり」という人数に難しさを感じている主人公達の心の痛みに、深く共感している自分がいた。

「二人組を作るのが苦手」とか、「一対一で人と向き合うのが怖い」とか、「初めましての方が上手く話せる」とか、自分が経験してきた人間関係のあれこれを思い出しては、「そうだよね」と頷きたくなる言葉ばかりだった。

こんなにわたしの「不得意」に寄り添ってくれるドラマは初めてで、一話目にしてすっかり大好きになってしまった。

もともとは、ストーリーが気になってというよりも、出演俳優の松下洸平くんと今田美桜ちゃんが好きだから、という至極単純な理由で見始めたのに、その内容にしっかり触れた今、このドラマに出会えたことに感謝している。

まだ始まったばかりだけれど、分かる。きっと、このドラマはわたしにとって大切な宝物のような作品になるのだろう。


幼稚園の頃から、わたしは友達付き合いというものにずっと悩まされてきた。

仲良くしてくれる「大好きな子」ができると、何があってもその子にわたしを好きでいてほしくて、仲良しでいてもらうために必死だった。

何を言えば、何をすれば、「大好きな○○ちゃん」に気に入ってもらえるのかばかり考えて、「自分がどう思うか」よりも「ひとにどう思われるか」ということばかり気にしていた。

「下手なことを言ったら嫌われる」という恐怖が、どうして子どもの頃からあんなに強かったのか未だによく分からない。
母も父もわたしを愛してくれていたし、弟とも毎日のように遊ぶほど仲良しで、虐待やネグレクトなんてものとは無縁で、大事に育ててもらった自覚があるから。

小学校でできた友達の中でも、中学校の仲良しグループでも、わたしは「いちばん大好きな誰かのいちばん」になりたがった。

勝手に大好きになって依存して、相手にも大好きになってくれることを要求するなんて、今考えてみると自分勝手ではた迷惑な話なのだが、当時のわたしはそれが「友達」というものなのだと思っていた。

「誰かのいちばんになれなきゃ意味がない」。「自分の大好きな誰かに、同じようにいちばん大好きになってもらえないと意味がない」。だからわたしは、嫌われたくなくて頑張った。たくさん愛想笑いをしたし、話を合わせるために嘘をついたし、好いてもらえるキャラであろうとした。

本当は、頑張らなくても気付いたら傍にいて、一緒にいると嬉しくて楽しくて、心を軽くしてくれる、そんな存在が「友達」なのに。

一度誰かを好きになると、自分の存在価値が全てその子に左右されてしまうのが、わたしの悪い癖だった。
誰かの隣にいるために、わたしの感情も判断基準も全部その子次第になって、自分の意見なんて無いも同然だった。

「わたしもあなたと同じ気持ちだよ。だってあなたが大好きだから」。
これって気持ち悪いよね? でもわたしにとってはそれが正しかったのだ。ずっと。

その間違いに気付くのがもっと早かったら、もう少し上手に世渡りできたのかなあなんて思うけど、そうやって成長してきてしまったものは仕方ない。これからは、そんな自分を「間違ってたね」って認めて、なんとか上手くやっていくしかないのだ。

幸い、わたしには高校時代からずっと仲良くしてくれている友達(彼女とも「ふたり」でいたくてずいぶん悩んだし苦しんだ。今となってはそれもいい思い出だ)と、大学時代からの何でも話せる友達がふたりいる。

ありのままのわたしを受け止めてくれて、「好き」と言ってくれる大切な人達だ。

「お互いがお互いにとって『いちばん』なふたり」になることに固執して苦しんでいた過去の自分に教えてあげたい。「頑張らなきゃふたりになれないような誰かより、頑張らなくても傍にいてくれる誰かを大事にした方がずっと幸せだよ」って。


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