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ボランティアは過去の自分との対話だった

昨年は、自分の仕事のほかに、d×pというNPO団体でボランティア活動に行っていました。

どういう活動なのかというと、不登校や引きこもりなどの子供たちを支援したり、高校生と一緒にワークなどを通じて一緒の時間を共有するという活動です。

不登校になったり、学校へ行けなくなった心に傷を持っている高校生たちの中には大人に対して不信感を持っていたり、あまりよくないイメージを持っている子が少なくありません。

そんな高校生たちにこんな大人たちもいるということを知ってもらおうという目的で、通信の学校や夜間学校に授業の一環として参加するという、学校の先生ではないと中々体験できないようなことをやっていました。

最初、こんな活動を行っている団体があると昨年聞いたとき、

「絶対にやりたい! 」

と心の中で叫んでいた思いが今年現実となったわけです。

何故なら自分自身が高校を中退していて、その当時社会に対して、大人に対して強烈な不信感を抱いていた張本人だったから。

あの頃はそんな支援団体はなかったし、あったとしても今みたいにインターネットがあったわけでもなく、知る機会もなかった。

もしかしたら自分があの頃に抱いていた悩みや葛藤を、自分の経験から今現在、不登校や家庭の事情で学校に行けない子たちの役に立てるかもしれない。そんなことを考えて行動に移しました。

実際、d×pに入って活動するためには過去にあった自分の辛かった出来事を、面談の時に話さなければいけなかった。

その時に自分が中学生の時に一番つらかった、いじめられた出来事について話ました。

正直自分の過去の中で一番辛く、苦しい出来事を振り返るのは精神的にもきつかった。

記憶の中で何重にも固く縛ってカギを閉めて、押し入れの奥のほうに追いやって、記憶という名のハードディスクからは当の昔に消去されていた出来事だった。

面談の時、自分の過去を何度も振り返りながら泣きそうになっていた。

実際に現場で高校生たちと関わっているスタッフの人たちの話は衝撃的だった。
生きていても仕方がないとか、どうせ自分たちのことをかわいそうだと思ってこういう活動をやっているんでしょ、と言い出す子など。

多感な年代の子たちにとったら、大人たちはただの偉そうな存在にしか見えないのかもしれない。自分がそうだったからだ。

始めて現場に出るときには、色々な思いが交錯して、

「全く話してくれなかったらどうしよう」

そんな不安でいっぱいだった。

実際にクレッシェンドと呼ばれる高校生たちと一緒に授業を行う前には、スタッフで事前の打ち合わせがある。

事前の打ち合わせでは、当日のワークの進め方や注意事項、基本姿勢など話し合いが行われる。
何よりも第一回の前には生徒たちの前で一人約10分ほどの自己紹介も行わなければいけない。
しかし視覚資料の作成が必須である。

テーマは過去の自分と今の自分。僕は自分の生い立ちから中学の時にいじめにあって不登校になってしまった出来事、そして働き出して高校卒号認定を取得し、空手で賞を取ったことまでの資料を作成した。自分の自己紹介で高校生に伝えたかったメッセージは、どんなにつらい過去があっても、人間何とかやっていけるし、頑張っていけるということだった。少し上から目線だったかもしれないけど、何か感じてもらうことが出来たらいいなと思って作成した。

実際に高校生たちの前で自己紹介をしたときは想像以上にしっかりと聞いてくれている印象だった。真面目で内気な少年がいじめを気にグレにぐれまくって、その後また真面目に戻るというストーリーも面白かったのかもしれない。

親と子くらい歳が離れていてもおかしくない大人の話に耳を傾けてくれて正直嬉しかった。

実際に高校生たちと一緒の時間を過ごすのは一つの学校の学年に付き4回。隔週でクレッシェンドがある学校もあれば月に1回くらい学校もあった。

高校生たちと過ごす時間はあの頃の自分ならどう感じていただろうか? などといった自問自答や衝動的な行動を起こしてしまう生徒や、キラキラした目で将来の話を語ってくれたり、忘れていた過去の自分の感情を思い出すことが出来た。

記憶の中で、もう埃まみれになっていた思い出やその時考えていたことは、そんなに悪かったわけじゃなかったのかもしれない。

とある高校生が自分に身体的なコンプレックスを話してくれた時に、心を開いてくれた喜びと同時にどう言葉をかけてあげたらよいか迷ってしまった場面もあった。その子は将来料理人になりたいらしく、今からその資金を昼間バイトして貯めて夜は夜間の学校に通って勉強しているいう、とても頑張り屋さんで、話を来ていて自分よりもしっかりと将来を考えているなと脱帽させられた。

高校生の年代の頃の自分はとても葛藤を抱いていたけど、それでも夢もたくさんあった。
自分にもこんな頃があったな、なんて思うのは親父臭いかもしれないが、普通に日々仕事に明け暮れて大人たちの間だけで過ごしていたら間違えなく、感じることの出来ない時間がそこにはあった。

過去の自分がいるから今の自分がいる。ボランティアを通じて最初は人を救おうと思って始めた出来事が最後は自分が救われていた。
過去の自分のことを、承認してあげることが出来た、そんな気がしたこの一年のボランティア活動でした。

<終わり>


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