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2.心に響いた格言、名言、一節

才というのは残酷なものだ。ときに、死地にその者を押し出す。
そんな才を持って生まれなければ、己の命を全うできただろうに、なんと、哀しい奴じゃないか・・・・
(鹿の王第4巻 上橋菜穂子)


・・・大人の世界って、意外とそういうものなのよ。大人になって何が楽かって、そういうところ。
付き合いたくない人とは、付き合わなくていいわけでしょう?
男はうじうじいろいろ考えちゃうけど、女はね、自由なんです。自分で、友達が選べるの。
(ツバキ文具店 小川糸)

特に名言でもなんでもない一節だけど、気になったので取り上げた。
”付き合いたくない人とは付き合わない”
簡単なようで難しいと、ある程度年を食った今感じる。
たしかに男は義理や人情、あるいはマザコン気質か、人を簡単に切り捨てるということができない気がする。
じゃあ女性は簡単に切り捨てられるのか?と言うとそうでもないだろう。この一節は、俗にいうサバサバ系女子ってやつなのかもしれない。
ちなみに自分は切り捨てられない側の人間なので、サバサバ系女子は大の苦手である。

・・・人生とはそんなに甘いものでもないから、怒られたり失敗したり思わぬことがあったりで、ずっと誰かの言葉を糧に生きていけるわけではない。
少しずつ嬉しさはすり減っていって、いつかエネルギーがなくなってしまうかもしれない。その時、好きな友達に会いたくなる。
(麦本三歩の好きなもの 住野よる)

”ずっと誰かの言葉を糧に生きていけるわけではない”
人や本などから貰った素晴らしい言葉、これは多大なるエネルギーをもたらしてくれるもの。万能感すら覚えるときもある。しかし時間が過ぎてくると、その言葉の力もやがて薄れてくる。
そんな時、無性に人に会いたいという気持ちになる。言葉では足りない時、人と会うことは必要なのだ。
私は、これまでの人生で苦しかった時や最も辛かった時、ひたすら本を読んで言葉で満たされようとした。しんどさから欠けてしまった心の穴を、先人の言葉で埋めようとしたのだ。しかし結局のところ、言葉のみでは足りなかった。欠けた部分に言葉で無理やり蓋をして、見て見ぬ振りをしていた。
あの頃の私に必要だったのは、好きな人・親しい人の存在だったように思える。人の存在がエネルギーとなる、これは真理だと感じた。

ずるいことしたり、人に嘘をついたり、でも生きてかなきゃいけなくて、自分をそんな嫌な奴だと思いたくなくて、だから他人をたっぷり甘やかして、その代わり甘やかしてもらって、必ずちょっとだけ反省して、生きてくしかないんだと思うよ。少なくとも私はそれを自覚して生きていけたらいいなと思ってるし、自覚して生きてる人が好き。
(麦本三歩の好きなもの 住野よる)

子供だったり、違う世界から来てたり、世間知らずで抜けてたり、そういうスレてない人間の価値観で、周囲にいる大人の凝り固まった価値観を揺るがしちゃう系。まるで、スレながら一生懸命生きてる大人達が間違ってるみたいで、嫌になる。
(麦本三歩の好きなもの 住野よる)

ーーーーー仕事でも学校でも、あるいは家庭でも一人はいる。”この人だから許される”という存在。同じ失敗でも笑って許されるような存在。

自分で言うのも何だが、私は天然の部類に入ると思う。いじめや阻害されるのが嫌で道化を演じてた部分もあったが、基本的には鈍感で天然。周りの過度ないじりに腹を立てたりもしたが、自分だから許されてたことも多くあったように思える。ただ、上記一節にあるような「自覚」はなかったかもしれない。自分はスレていると認識していたからだ。
新たに”許される存在”が現れた場合、言いようのない不安や焦りを感じたのは覚えている。それが同族嫌悪だったのか、スレた自分が否定されてしまうからなのか、今となってはわからない。

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