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取り戻す旅③ 「青森市」編

 神様の演出のもと、まさかのギフトをいただいた僕は、むやみに高揚してしまって、珈琲でもと思っていた気持ちをシードルにチェンジ。とはいえ、今夜はきっと沢山飲むだろうしなぁと、控えめサイズな一本を注文し、友人家族との懐かし話を少々甘すぎるシードルともに味わった。

 奇跡の再会を経て、一旦、チェックインを済ます。アートホテルという名のホテルにふさわしく、ロビーには立派なねぶた作品が飾られていた。青森ねぶたには、もう何年行けてないだろう。最初に、ねぶたを観たいと思ったのは、僕たちが美奈子ばあちゃんと呼んでいた、こぎん刺し作家の佐藤美奈子さんと出会ったことがきっかけだった。

 美奈子さんが作ったこぎん刺しの小さな財布を愛用していた僕は、そこに書かれていた住所を頼りに、突然工房にお邪魔した。それでも美奈子さんは僕たちを歓迎してくれて、こぎん刺しが、単なる可愛い工芸ではなく、津軽の風土と歴史に紐づいたとても大切な文化であることを教えてくれた。

 最初に突然訪問したあの日以外は、いつお会いしても綺麗な着物を召されて、そのキリッと美しい佇まいに、いつかの突然の訪問を反省したものだ。街の有名人でもある美奈子さんは、毎回、僕たちを青森市内にある「たか久」というお店に連れて行ってくれた。お金もなく、関西から延々つづく下道を、車中泊しながら北上してきた若者たちに、美奈子さんは、お腹いっぱいお寿司を食べさせてくれて、「誰に何と言われようと自由に生きなさい」と自身のエピソードを交えながら何度も伝えてくれた。

 「たか久」は毎晩、津軽三味線の演奏が楽しめるお店で、賑やかなねぶた囃子のなか、美奈子さんは僕の耳元に口を近づけ、「ねぶた見たことある? ねぶたを見るのはね、一回でいいのよ。ねぶたはハネトにならなきゃ意味がない。ハネトが楽しいのよ」と言う。それで僕は何度目かの青森ねぶたで、いよいよハネトを経験した。

 ラッセラー、ラッセラーという掛け声とともに踊り歩くハネト。まちなかでレンタルできるハネトの正装をまとえば、実は誰でもハネトになれる。白地の浴衣に色鮮やかなたすきをかけ、しごきと言われる布を腰に巻き、踊りやすいよう白足袋にぞうりを履けば準備万端。そこに美奈子さんが露店で売られる福財布や鈴を買ってつけてくれて、まるで、えべっさんの福笹になったような気持ちになった。ちなみに、跳ね踊るハネトの衣装から落ちた鈴を拾うと良いことがあるとも教えてくれて、僕の鈴も誰かに拾ってもらえるといいなと思った。

 それももう10年以上前の話だ。そう思えば僕はずっと、その町の先輩方に町の作法を教えてもらってきた。若者の声を聞けとか、よそ者の声を大事にとか、そんな世の中だけど、それはあくまでも互いが聞く態度をもっていることが前提だ。僕はずっと、郷にれば郷に従えだと思っている。それはその土地に対するリスペクトの話で、それ無しに互いが影響を与え合う良い関係なんて生まれない。僕自身、失敗したなあと後悔するのは、大抵、リスペクトより自分のエゴが勝ってるときだなと思い返す。町の楽しみ方はその町の先輩たちがもっともよくわかってる。人見知りな気持ちを超えてでも、町の人と話したいと思うのは、それが、ふらりやってきた旅人の最低限の礼儀だと思っているからかもしれない。そうやって僕はさまざまな街の解像度を上げてきた。

 荷物を部屋に入れて、玄関前のロータリーで待つアンリの車に乗る。数分で『ゆうぎり』というお店に着いた。雪降る街の路地はいつだってフォトジェニック。あまりの美しさにうっとりして、シャッターを押す。実は今回の旅の写真はすべてiPhoneで撮っている。僕の愛機FUJIFILM xpro3がいま修理中なのだ。今回の旅はそれが少し寂しいのだけれど、iPhoneカメラの優秀さが僕を慰める。

 そういえば、地方の飲み屋街にはどうして「お茶漬」を掲げるお店が多いんだろう。ここ「ゆうぎり」の看板もそうだった。かつてなにか流行りでもあったのだろうか。僕の旅の記憶では香川県などで特によく見るような気もする。お茶漬けはなんとなく締めの印象が強いゆえ、正直、一軒目から茶漬けの看板には惹かれない。深く酔った彼岸でようやく、茶漬けでも食べて帰ろうかという気持ちになる。つまりは今でいう、締めのラーメンみたいなことだろうか。いや、店名の下に、清酒、新政の文字もあるから、酒と茶漬けで軽く一杯どうですか? みたいな、気軽さを誘う看板か。

 しかし、いまどきの店に「新政」と書かれていたら、それこそ高級店の印象すら覚えるから、ブランディングとはすごいもんだなと思う。当時の「新政」はいわゆる大衆酒の代表だ。ちなみに、この「新政」を、秋田を代表するどころか、日本を代表する酒蔵にチェンンジさせた、日本酒業界の革命児、新政の代表、佐藤祐輔さんは同い年。そんな祐輔さんにお願いされて、僕は『秋田巡吟醸』というお酒をプロデュースしたりもしている。恐れ多いったらない。

 アンリと二人、少し早く着いたかなと思っていたけれど、18時にはきっちりメンバーが集まって、みなさんの律儀さに驚く。アンリが声をかけてくれていたメンバーは確かに、面白い人たちばかりだった。

 以前、取材でご一緒した雪香さんというライターさんと、前述した中村公一くんだけが知り合いで、あとはみな初めまして。なかでも弘前でホテルの開業準備をしているという未夢ちゃんという女性のお話がとてもパワフルで、20代ゆえの無謀さを公一くんのような大人たちがただただ肯定し、見守って応援している姿が素敵だなあと思う。そして今回、もっとも印象的だったのが、ローカルタレント(という言い方も常々どうかと思っているけれど)として、テレビやラジオで活躍されている、漫才コンビ、あどばるーんの小野さんという男性。

 とにかく腰の低いかたで、それでも聞けばM-1の準々決勝まで行ったというから、なかなかだ。実はアンリの旦那さんは地元のラジオ曲のディレクターをされている。小野さんも番組を持たれているとのことで、そんなつながりもあるのだという。小野さんは最近、『青森の小野』というYouTubeチャンネルを開設して、キャンプ動画をコツコツとアップ。覗いてみたらすでに7万人近い登録者がいらっしゃった。なんでもコツコツやるのは大事だなあ。

 芸人さんもミュージシャンも俳優さんもおつきあいの多い僕だけれど、売れるっていうのはどういうことだろうと考える。才能、努力、人柄、運。それぞれに大切なのは当然だけれど、やっぱり「えん」だよなあと思う。生きていくということは、縁を繋ぎ続けていくことだ。僕が旅をするのは、そんな縁の輪を広げたいからで、それはシンプルに生きていくことの表明なんだと思う。初対面ながら、小野さんの実直な人柄に、そんな縁が続いていきそうな予感がした。

 テーブルに綺麗な菊の花がやってきた。そしてその横に蒸したてのタラの白子がやってきて笑みがこぼれる。そもそもこの菊の花を食べる文化は北日本の特徴だ。実際、食用菊の生産量が圧倒的に多いのが山形。次いで青森、新潟、秋田とつづく。ちなみに、刺身に添えられるつまぎくとはまた違う。あれは苦くて食べられない。一方、食用菊はまとまった量の花びらを甘酢漬などにして食べる。たいして好きなわけではないけれど、なんとなく北国にやってきたなあという気持ちがして味わい深い。そしてそこにタラの白子がやってきたものだから、思わず興奮してしまった。というのも青森ではタラの白子のことを「たらきく」という。まさに菊のようだからだ。この、タラの白子の呼び名はずいぶん面白く、これが京都の料亭などになると「雲子」と呼ばれる。なんだか上品で美しい。そして秋田ではなぜか「だだみ」と言う。語源はわからないが、なんだか秋田弁らしい濁音が白子の高級感を大衆の手元に引き寄せているようで、それはそれで愛らしいなと思う。

 『ゆる言語学ラジオ』というYouTubeチャンネルを開設されている、編集者で言語学者の水野太貴さんとライターの堀元見さんの共著『言語沼』という本がある。そこで「濁音減価」という言葉を初めて知った。果てる→バテる。のように、元の言語が濁音になるとマイナスイメージになる現象を濁音減価というのだそうだ。「だから」→「だがら」などと、何かとすぐに濁りがちな秋田弁はいわば濁音減価祭りだ。雲子という高嶺の花な雲上の存在を庶民の酒のアテに引きおろし、痛風上等と酒で流し込む。それもわるくない。

 酒もすすみ、これまで聞いたことのなかった、幼少〜青年期の苦労を公一くんがさらりと話してくれて、いまの彼のやさしさと強さはそこからきているのかと納得するような気持ちになった。彼の苦悩をわかるわけはないけれど、少なくとも公一くんのアクションの根っこをみて、僕はこれからも彼を追いかけたいと思う。彼のお陰で、徐々にみんなが腹を割り、やがて話題は、青森のエンタメについての話に。小野さんがプレイヤーでありながら、自ら興行を打っていかなきゃいけないことの難しさを吐露して、僕と公一くんが声を揃えるように「それ小野さんやらなくていい」と言う。

 僕は編集者として大切なものがディレクションなんだと伝え、公一くんはこの土地で事業をすすめる経営者として、それぞれの役割、まさにディレクションが大事なのだと、つまりは同じことを言った。しかも公一くんの場合は、場の提供を僕がやりますと宣言した。何かが動き出す瞬間に立ち会った気持ちだった。そして僕は気づいていた。小野さんがすでに「ディレクション」の必要性を感じてることを。だって小野さんのTシャツ……

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