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北陸応援「割」に対する違和感

 先日、石川県に行ってきた。そこで僕が感じたことを伝えたいと思うのだけれど、正直、どう伝えるのが良いのかわからない。けれど、編集者の使命として、できる限り誠実に伝えたい。まずはこれらの写真を見て欲しい。

 これらの写真は、能登ではない。金沢市街から車で20数分の内灘町の、ほんの数日前の姿。

 西荒屋という地区を中心に、液状化×地盤流動で、道路や電柱が現実とは思えないほど、うねり、崩壊。400棟以上の住宅に被害が出ている。

 それほど北陸に遠くない関西に住んでいるのに、僕のアンテナ感度が低いのか、金沢市街からすぐの地域がこんなに甚大な被害を受けていることをまったく知らなくて愕然とした。

 土曜日だというのに、ボランティアの姿もなく、見かけたのは国交相の視察の人たちが歩く姿くらいだった。こんなにも市街からのアクセスのよい場所に、なぜ国も県も、多くのリソースを注ぎ込まないのか。マスメディアも、もう少し前のめりに実情を伝えられないものか。

 能登のボランティアも人が足りないといわれるけれど、ボランティア登録しても募集開始の案内がくるのは5〜7日前で、申し込んでなお抽選状態だし、県外に住む僕のような立場だとなかなか日程が合わせにくく、需要があるはずなのに、うまくマッチングできないこの原因はどこにあるのだろう。

 そこにはきっとさまざまな事情があるのだろうけれど、東日本の震災時や、昨年の秋田の水害時のボランティア参加に比べて、現状の能登のボランティアに対するハードルの高さと、間口の狭さの正体をちゃんと知りたい。

 もし、その原因が道路状況含めた基本的なインフラ整備にあるのだとしたら、本当にそこに全フリするくらいお金も人も注ぎ込んで欲しい。被災された方、それぞれが自分でなんとか前を向くしかない状況のなか、自身でクラファンを立ち上げる姿を目にするけれど、まさにそういったチカラとノウハウがある人しか立ち上がりづらい現状や、そもそもそうやって自力で頑張らないといけない社会を、僕は優しい社会だとは思えない。

 午後からは、金沢の友人のツテで、ホテル避難されている方の相談窓口のボランティアをさせてもらったけれど、そもそも、今回、僕自身、小松や金沢のホテルに宿泊したことで、そこに多くの被災者が二次避難されていることを知った。

 けれど、3/16の金沢ー敦賀間の新幹線開通に合わせ、国が「北陸応援割」を開始することを決めた。つまり、いまもホテルに2次避難されているご家族が多くいらっしゃるなか、その受け入れをしながら、残りの客室で応援割を活用するということだ。

 実際いま現在も、心無い観光客が、避難家族のかたたちだけが無償でお弁当を食べられることにクレームを言うなどといった信じられないような話も聞いた。そもそも避難所の食事提供は絶対ではなく、努力義務なので、その対応は施設によってさまざまだ。僕が宿泊した小松駅前のホテルでは、下の写真のようにホテル側がお弁当を提供されており、金沢市内の某ホテルでは、「ほっともっと」がお弁当を支援してくれているとのことで、そのお弁当を避難者のみなさんに提供されていた。

 二次避難対応でホテルなどに支払われる額は一泊一万円が上限となっている。新幹線が開通し、さらに旅割が始まれば、当然経済の論理が優先されて、避難所としての契約を終えたり、その数を減らすホテルも出てくるように思う。

 僕は、東日本大震災後の観光支援しかり、コロナ禍しかり、こういった軽薄なクーポン企画を復興に紐づけるのが、どうも性に合わない。

 きっとまたコロナ禍のように、ホテル代の相場がぐんと上がり、旅割をつかってようやく通常価格で宿泊できるようになるような、あの、謎のやり口が蔓延するんじゃないかと想像する。そこでうまみを得るのはいったいどこの誰なのか。それが被災者だったり、被災企業だったりするとは思えない。

 宿泊施設のみなさんも、ただでさえ苦しい状況のなか、突如発表された北陸応援割のニュースに、「すでに宿泊予約してる分も、割引がきくのか?」といった問い合わせが現場を混乱させているとも聞いた。そんな問い合わせをする人たちもどうかしているけれど、そもそもそんな自分本位な人たちを増やしているのが、善意を損得に変換する応援割であり、点数稼ぎなのか、短絡的な思考でそれをすすめる政治家たちだと感じる。

 もし本気で観光支援を考えるんだったら、入湯税を払うように、通常よりも料金に「+プラス」すればいい。逆に割引をする必要がなぜあるのか。北陸を支援したいという利他的な気持ちを持つ人たちに、無闇な損得勘定を呼び起こさせ、消費者スイッチを押す観光施策は、根本的に間違っているんじゃないかという思いが僕には強くある。

 自民党の政治家たちの感覚と我々の感覚を同じだと思わないで欲しい。「お得だから」というだけで行動を起こす、そんな国民性を作ってきたのは、こういう施策の積み重ねだ。僕はマイナンバーカードもいまだに持つ気がないけれど、それは「20,000円分のポイントをあげるから」という、あの国民を馬鹿にしたキャンペーンにハッキリ「NO」と言いたいからだ。信念やビジョンの提示ではなく、目先のお金やポイントで釣ろうとする態度に僕たちはちゃんとNOをかかげなきゃいけない。

 関西に住んでいると、「大阪万博に絡めたら企画が通りやすいから」「そのほうが予算がつくから」という話ばかり耳にする。実際、冠に「Expo 2025」がついた企画を目にするようになってきた。そういう構造から脱することが、次の世界への第一歩なんじゃないのか。お爺さんたちはもう勝手にやれと思うくらいだけれど、企業で働く若手、20代、30代の企画が既にそんなことになっているのを見るとゾッとする。すぐに実現させたい気持ちはわかるけれど、そのための方法論についてはもっと選択肢があるはずだ。

 やめる。中止する。終える。仕舞う。そういう選択肢は、市民一人ひとりにしかないのか? 自治体や企業など大きな組織においては、これらの選択肢がないものになってしまったのだろうか。状況が変化するなかで、中止したり、前向きに捨てる選択をしたり、そういった胆力を感じる判断を、目にしたり耳にしたりすることが、本当になくなってしまった。北陸応援はもちろんよいと思うけれど、北陸応援割はいらない。割がいいとかわるいとか、そんなモノサシを支援の文脈に持ち込まないでくれ。

 北陸応援「割」のゆるやかな圧も受けながら、ホテル避難されている人たちの次なる避難先の確保が急かされている。内灘町のことを調べているときに、内灘町で被災した人にむけた仮説住宅への入居がはじまったというニュース映像を見た。そこで、なぜか記者が被災者に対して、復旧の見込みについて聞き、マイクを向けられた被災者のかたは「2、3年はかかるんじゃないか」と答えていた。本当に2、3年もかかってしまうのだろうか。少なくともそれくらいはかかるだろうと思わせている現状は、それでいいんだろうか? そもそも復旧の見込みについて聞く相手を記者は間違ってはいないか。

 いまもなお、不安なまま暮らす人たちが多くいらっしゃる。大阪万博はもちろんのこと、「経済をまわす」という謎の呪文に惑わされず、まさに足元から、この凸凹の足元から、綺麗に整備していくべきだ。

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