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アルバムな旅03『ロッキンチェアーと浮き星が踊る』(新潟市)

 迫くんがsaccoを受け入れてくれた「ワタミチ」は、現在「hickory03travelers」の店舗となっている。そしてその向かいに、築100年の古民家をリノベーションした「上古町の百年長屋SAN」というお店がオープンしている。そう、ここも彼らのあたらしいお店。一階には、迫くんたちがブレイクする大きなきっかけとなった「浮き星 -ukihoshi-」のカフェがあったり、2階にはイベントスペースもあったりする複合施設で、博進堂の田沢さんによると、2階で迫くんが待ってくれているとのことだった。

 ちなみに「浮き星」は、明治33年創業の「明治屋」による新潟銘菓「ゆか里」を迫くんがリブランディングしたもの。当初、新潟らしいお土産としてヒッコリーで仕入れ販売をしていたゆか里だが、新潟にしかない独特なお菓子であるにもかかわらず、後継者不在で、いつ作れなくなってもおかしくないという状況にあることを知る。正直、僕自身もゆか里はよくある金平糖だとばかり思っていた。しかし、違うのだ。見た目こそ金平糖だけれど、ゆか里は芯があられ(米菓)になっている。つまり、あられを糖衣したお菓子ゆえ、芯まで砂糖な金平糖と違って甘さが控えめであること。そしてなにより、ゆか里は本来お湯(水)を注いで食べるもので、お湯を注ぐと数秒で糖衣が溶けて芯のあられが浮いてくるのだ。あられ入りの玄米茶を想像してもらえるとわかりやすいだろうか。いや、永谷園のお茶漬けの素のあられの方がわかりよいか。とにかくそれが浮き星というネーミングにつながった。

 迫くんの視点ではデザイン、僕の視点では編集とそれを呼ぶに違いないが、商品特性と一致するネーミングは、その機能が唯一無二であるほどに有効だ。浮き星という名前をもって迫くんは金平糖との差異を表現した。その後、東京の見本市に初参加。そこで全国のバイヤーさんの目に留まり、約10か月で3万個も売ることができたというから、さすがに迫くんもそこまでのヒットは想像していなかっただろう。そもそも後継者不足の原因は、そこに未来を感じられないことにある。浮き星のごとく未来が浮かび上がってきた展開に、いまでは無事、後継者もいらっしゃる。しかし、このことでもっとも浮上したのは案外、迫くんかもしれない。

 SANの2階に上がると、午前中に行われていたという書道教室の作品が壁一面に貼られていて、SANがかつてのワタミチのように町の人たちと程よく混ざり合っていることを感じる。町の人たちとのちょうど良い関わり合いとネーミングの妙という意味では、迫くん同様リスペクトしているのが、兵庫県尼崎市で活動を続ける若狭健作くんだ。

 尼崎といえば臨海地区の工場群のイメージが強く、いまだに公害の町というイメージを持つ人も多いが、工場緑化の推進や、積極的なCO2削減など、実のところ環境意識がとても高い町でもある。そんな尼崎の下町情緒あふれる杭瀬中市場という商店街に、2021年春「二号店」という変わった名前のお店がオープンした。その運営者の一人が若狭くんだ。彼との出会いは2010年に遡る。

 尼崎のコミュニティーFMラジオ局「FMあまがさき」で、彼が企画するラジオ番組のゲストに呼んでもらったのが初めての出会い。尼崎の貴布禰きふね神社の宮司である江田政亮さんと、浄元寺の住職、宏林晃信さんの二人がDJを務める番組で、お二人のことはおろか、若狭くんのことも、存じあげなかったけれど、それでもゲスト出演の誘いに僕がとびついたのは、この番組のタイトルに興奮したからだ。

 そのタイトルは『8時だヨ!神仏集合』

 最高だ。宮司と住職が、神道、仏教のさまざまを教えてくれるだけでなく、リスナーの悩みや疑問に答えてくれるなど、内容も実に素晴らしく、そのうちに他の宗教関係者も混ざり、どんどんとカオスになっていくのもスリリングで楽しかった。僕は『二号店』を知った時、あの時と同じような匂いを感じた。

 二号店は古書店だった。尼崎から近い伊丹という町で古書店をやられている「古書みつづみ書房」の三皷さんが市場で二号店を出したいと話したことがきっかけだという。そこで若狭くんはこんなことを考えた。彼に会いに行った際の言葉を引用する。

何軒か集まって共同で「二号店」するのはどうやろうと。僕もすぐ向かいで『好吃(ハオチー)食堂』っていうお店をやってるんやけど店にトイレがなくて、お客さんに「トイレどこですか?」って聞かれたら「そこの二号店で」って言える。この辺りで店やってる人みんなが「二号店で」って言えるのおもろいやんと。 

若狭くん(2021年3月)

 これこそが若狭くんだ。突如現れる事象を前に、それが既にある幾つかの課題を解決できると踏めば即行動。それでいて彼の仕事には強引さがないのがいい。二号店の命名こそ、三鼓さんかもしれないが、その意図をわかりやすく翻訳してユーモアをもって広めていくところが若狭くんの編集手腕だと僕は感じる。実はこの二号店ができた場所は、少し前に火事があった場所だった。戦後の闇市から発展し市民の暮らしを支えてきたこの市場が、火事にあったのは2020年7月。出火したお店の隣に住む男性がお亡くなりになるなど、当時はニュースでも大きく取り上げられていた。

みんなで瓦礫を掃除したりして、それで工事に入ったのが11月やったかなあ。「本箱を作る日」っていうのを企画してみんなで本箱つくったら、40名が入れ替わり立ち替わりして朝から夕方までのうちに56個も本箱が出来た。

若狭くん(2021年3月)

 なんてシンプルで強くわかりやすい企画だろうか。こういうところに僕は迫くんとも共通した、間口の広い編集を感じる。迫くんも若狭くんも、ゆるやかに場を開くセンスに長けている。彼らの発信に多くの人が喜んで巻き込まれるのは、こういった間口の広さを常に意識しているからだろう。

そうやって工事進めてたら、近所のお米屋さんに「あんたここで次何やんねん?」って聞かれて、「古本屋やる」って答えたら「それやったらロッキンチェアーいるやろ」って言われて。意味わからへんけど、なんかええなあと思って、ここで店番してくれる人たちをロッキンチェアーズって呼ぶことにした。

若狭くん(2021年3月)

 本当に痺れる。 偶然の出来事を取り込んで、生かして意味付けしていく姿に惚れ惚れする。さてしかし、ロッキンチェアーズとはなんなのか。

そもそもここは、杭瀬地域まちなか再生協議会っていうのが運営してるんですけど、僕、コミュニティスペースとか好きじゃないんですよ。ここはやっぱり商店街やし、何売んねん? と。みんなが集まるスペースとか眠たいからまずはイケてる古本屋をつくるというのを軸に、いろんな人が関わる空間にするならば「たまれる古本屋」かなって。その上で、例えば地元で野菜作ってる人が野菜売りたいって言うなら、出店料1000円払ろてと。それで売り上げは100%持って帰ってくれていいから、その代わり本屋の店番してね、って。あとは、何人かで集まって編み物したい人とか、とりあえずじっと本読んどきたい人でもいいし、テレワークする場所でもいいから、本屋の店番してくれたら売れた本の20%をギャラにしますっていう。そのメンバーがロッキンチェアーズ。ボランティアでもバイトでもない。

若狭くん(2021年3月)

 こんなふうに新たな仕組みを考えていると、それを表現する言葉がないことに気づくことがある。彼が言うように、既存のボランティアでもアルバイトでもないのであれば、新たに名付ければいい。ここ「二号店」にとっては、それがロッキンチェアーズであり、迫くんたちにとっては、「浮き星」だったのだ。名付けることで広がる世界がある。

 話を新潟に戻す。前回、彼にお会いしたのは2017年だからもう7年も前か。迫くんは僕の4つ下だけど、まあまあ歳も近いので、終わり方とかしまい方について考えるよね、という老人みたいな話をして随分楽しかった。お互いいろいろとキャリアも積んで、その現在地が似通ってきているのは面白いし、こうやって気持ちを吐露しあえる仲間がいるのは頼もしいなと思う。

 実際「上古町の百年長屋SAN」は、金澤かなざわ李花子りかこちゃんという若き編集者に、いい感じに任せきっていて、迫くんは、それをただ見守っている。2021年に新潟市へUターンした李花子ちゃんは、東京の雑誌社での経験を活かし、故郷を、気持ちが上がって心踊れるような「踊り場」にしたいという思いから、「踊り場設計図」を描いたフリーペーパーをつくった。頭のなかのイメージを外に出して共有することは、実現の第一歩。その感覚を持ち合わせているのは、さすがだなあと思う。ポジティブな妄想が詰めこまれたそのフリーペーパーを、たまたま手にした迫くんは、当時こんなふうに思ったという。

今の時代の感覚を汲んでいるし、文章もイラストもよくて、おもしろかった。それに『前の上古町商店街はよかったけど、今は寂しい』と書かれていたから、商店街で活動する人間として、頑張らなきゃな、とも思いましたね。でも、こんなスペース続くわけない、とも思いました(笑)。
というのも、僕も10年ほど前に、商店街でフリースペースのはしりみたいなことをしてたんです。変わった事例だと注目もされたんですが、事業化するのは難しかった。だからこそ『踊り場』に対しても、難しいよな、でも死なせたくないな、と。

「ターゲットは超近くの人と、遠くの人。複合施設SANのつくる“踊り場”が街をワクワクさせる」『ジモコロ』(2022.12.08)インタビュー・執筆/友光だんご

 つまり、彼女が描く「踊り場」は、かつてのワタミチだったのだ。ワタミチでsaccoを拾ってくれたように、彼はまた、金澤李花子という若き編集者を、そしてその象徴としての踊り場を、上古町の百年長屋SANとして拾い上げていた。そしてかつてsaccoを自由に泳がしてくれたように、いま李花子ちゃんは、SANの踊り場で自由に踊り続けている。

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