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取り戻す旅⑥ 『八戸の夜』編

 八戸に着くともう夕方だった。巽くんも今日は八戸泊とのことで、一旦別れて、それぞれにチェックインを済ます。今夜のトーク会場は市内にある「ANDBOOKS(アンドブックス)」という名のブックバー&カフェで、ホテルからは徒歩10分もかからない場所だった。僕にとって八戸は「青森に行く」=「八戸に行く」くらい好きで何度も訪れている町だけれど、アンドブックスに行くのは初めてだった。聞けば2018年にオープンしたという。ギリギリ訪れていてもおかしくなかったかもしれないが、店であれ人であれ、出会いにはちょうど良いタイミングがある。出会うべき人には、必ず出会えるから、焦る必要などないのだ。

 会場を手配してくれたのは、僕が健雄たけおちゃんと呼ぶ、八戸の大切な友人、金入かねいり健雄くん。健雄ちゃんとの出会いもまさに必然だったなと思う。誰もが羨む苗字を持った健雄ちゃんは、八戸市で1947年に創業した「株式会社金入かねいり」の社長で、僕より6つ歳下。10年ほど前にはすでに社長業をしていたから、立派なものだ。

 八戸で知らない人はいない、金入のルーツは江戸末期に遡る。会津の地から八戸へとやってきた初代福太郎による南部家御用達の魚問屋「福太郎屋」にはじまり、魚の油粕等を全国に卸す「金入商店」として事業拡大。しかし戦後まもなく油粕が使われなくなると、社会の変化に合わせ、新たな商売として小さな文具店を開店。それが昭和22年にオープンし、いまもなお町の人たちに愛されている文具&書店「カネイリ番町店」だ。

 いまでは、オフィス機器の販売など、地道なビジネスをコツコツがんばりながら、一方で東北の工芸文化を未来へとつなぐべく、「東北スタンダードマーケット」というセレクトショップを仙台PARCOにオープンするなど、東北に根ざした商社として、その使命を果たさんとしている。僕のような、東北の工芸品に仄かな憧れを持つよそ者に、それがなにゆえこの地でスタンダードになったのかという背景をも伝えてくれるお店で、とてもリスペクトしている。

 広義な意味の編集者として、本作りだけじゃない編集を続ける僕が、最も魅力的に感じているメディアは「商品」と「売り場」だ。雑誌『暮しの手帖』をつくった花森安治に「おそらく、一つの内閣を変えるよりも、一つの家のみそ汁の作り方を変えることの方が、ずつとむつかしいにちがいない。」という言葉があるが、僕はつねづね、味噌汁の味を変える編集がしたいと思い続けてきた。だからこそ、健雄ちゃんとの出会いは大きく、東北の工芸文化を現代の生活に馴染ませていく彼を、広義な編集者として尊敬している。

 と、こんなふうに書き連ねると、どれほど立派な人物かと思われるかもしれないので、そろそろ引き戻しておくと、健雄ちゃんは、基本的に調子のいい飲兵衛だ。人の良さとガードの甘さから、気を抜くと町の先輩たちに振り回されるので、それをなんとか防ごうと、常にスーツ姿でいるものの、夜が深くなるほどにその鎧を脱がされ、町のお偉いがたに可愛がられる姿を何度も見てきた。だから、社長は社長でも、どちらかというと『男はつらいよ』に出てくるタコ社長に近い。「忙しい、忙しい」と隣の団子屋に入り浸り、幼馴染おさななじみの寅さんに怒られるあの中小企業の社長の風情。健雄社長は連呼するとタコ社長になる。健雄社長、たけお社長、TAKEO社長、TAKO社長。

 そんな健雄ちゃんと僕の出会いはどこだったか、実は互いに思い出せなかったのだけれど、おそらく東日本大震災の後だったことは間違いなかった。けれど、それ以前から会っているようにも思えるし、とにかく僕は彼のおかげで、この街に何度も訪れることになった。「青森に行く」がほぼ「八戸に行く」と同義になったのは、「八戸に行く」が「健雄ちゃんに会いに行く」とほぼ同義だったからだ。

 イベントのトーク相手は、栗本千尋という八戸在住のライター編集者で、以前、十和田で開催された後輩編集者とのトークイベントを聴きにきてくれたのが出会いだった。千尋いわく、その日の打ち上げで僕が彼女に放った言葉が強烈だったらしく、彼女は「なにくそ!」と踏ん張ったという。いったいオイラは何を言ったのか。自分の言葉は覚えていないけれど、千尋のことはとても強く印象に残っていた。『BRUTUS』やら『FRaU』やら、東京の有名雑誌をベースにライターをしているけれど、同じく八戸出身の旦那さんとともにUターンしようと考えていると言っていた。旦那さんは飲食店で修業を重ね、いずれ地元に店を構えたいと考えているから、そのオープンにむけた手伝いをしつつ、地元八戸で編集ライティングの仕事を続けたい、とも。

 その数か月後だろうか、『SUUMOタウン』というWEBメディアで彼女が八戸との関係について書いた記事を読んで、千尋のことが一層忘れられなくなった。嫉妬するくらい、よい書き手だと思った。以降、千尋からの原稿依頼は必ず受けるようにしている。

 僕はどこかでずっと、八戸という町が、彼女のような才能の居場所がある町であってほしいと願っていた。だから、金入が運営をする『はちまち』というWEBメディアや、まさに金入のオウンドメディアである『直耕インスピレーション』などをもって、千尋が生きる場所をつくってくれた健雄ちゃんは、ほんとカッコいい男だと思う。今回のイベントの立て付けも『直耕インスピレーション』主催となっている。千尋が、慣れない進行役に徹してくれて、僕はまるでホームに帰ったような心地でいつも以上に喋りたおした。

 それにしてもアンドブックスは最高だ。オープンから3年後、あらたにブックバーの向かいにつくったという、基本定員10名という超贅沢な「分室」。定員の少なさもあって、たった3時間で無くなったチケットをゲットしてくれた20名の皆さんを前に話す時間はかなり濃密。店主の本村春介もとむらしゅんすけさんの蔵書に囲まれた、革命前夜感あふれるスペースのせいか、普段は話さないような話が出て自分でも驚く。しかも店主の本村さん、僕の著書どころか『Re:S』や『のんびり』など、編集長を務めていた雑誌のほぼ全ての号を大事に持ってくれていて驚愕。有り難いったらなかった。

 本村さんに言われるまま、僭越ながら、壁にサインもさせて貰った。しかも同い年の友人で芥川賞作家の柴崎友香さんのサインもあって、彼女の新著『続きと始まり』(集英社)の名著ぶりに大感動したところだったので、なんだか余計に恐縮した。僕はいまでこそ編集者だけれど、高校生〜社会人になりたての頃までは、ずっと小説家になりたかった。

 まだパソコンが普及していない頃、高校生の僕は父親からワープロを貰い受けた。ちなみに当時のワープロとは「Microsoft Word」や「SimpleText」などのワープロソフトではなく「ワープロ専用機」のことを言う。それは、ラジオが、ラジオが「radiko」や「Spotify」などのサービスを介してスマホで聴くものではなく、ラジオという名の、ラジオしか聴けない機械で聴いていたのと似ている。

 ワープロにはプリンターが内蔵されており、打ったテキストが直接紙に印刷されて出てくるのだけれど、このことが僕のテンションをどれだけ上げたかわからない。ミュージシャンが最初にアンプを通してエレキギターをかき鳴らした瞬間を忘れられないように、僕にとっては自分が紡いだ言葉が初めて活字となってプリントされたあの瞬間の悦びが忘れられない。それは間違いなく僕の表現者としての原体験だ。そこから僕は、誰に読ませるでもない自作の小説を書いたりして、日々大量の感熱紙を消費した。

 社会人になった僕は『リトルモア』という文芸誌に出合い、その巻末に見つけた「ストリートノベル大賞」という文芸新人賞に応募した。そこで佳作をいただいた僕は、そのまま作家になるかと思いきや、何かの拍子でレールの転てつ器が作動し、編集者になった。ちなみにその時の大賞受賞者は『アクロバット前夜』などで有名な福永信さん。そして実はそのとき、柴崎友香も作品を応募していたと後になって聞いた。「だからその一瞬だけは柴崎さんより評価されていたんだよ」と、負け惜しみにもならない冗談を言いそうになっては飲み込んだ夜が幾度もある。

 オープンから5年を経たアンドブックスは、いまや地元のエネルギー有り余る若者たちが集うバーにもなっている。今回のトークを聴きにきてくれた20代、30代の人たちのパワーがすごくて、八戸はまだまだこれからも楽しみだなあと思う。本村さんがDIYしたこの空間の素敵さはもちろんのこと、脱サラしてこんな店を始めちゃうチャレンジングな生き様に、若者たちが引き寄せられているのは間違いなかった。前市長の小林さんの強いメッセージである「本のまち、八戸」を地べたから支える、素敵おじさんだ。八戸にくれば必ず訪れるだろう店が増えて嬉しい。

 イベントの打ち上げは、いよいよオープンを迎える、千尋の旦那さんのワインバル「NOMUU(ノムウ)」で行われた。オープン日がなんと明日だというから、そんな大変なときに大勢で打ち上げしちゃって良いのか? と思いつつ、逆にオペレーションのリアルなシミュレーションになるなら良いかと甘えることに。「自然派ワインと料理の店」と謳われるとおり、充実したナチュラルワインと、フレンチをベースにした料理が贔屓目なく美味しかった。オープンまもないのでまだワンオペのよい形を探っているところだと思うけれど、個人的にはビストロ的に気軽に立ち寄れるお店な気がするから、八戸の友人たちはぜひ行ってみて欲しいなと思う。八戸の大好きなお店がなくなってしまうなど、コロナ禍を経た寂しい知らせをいくつか耳にしていたけれど、そのぶん、こうやってあたらしいお店が生まれて、八戸の幸福度はまだまだ上がっているなと実感する。NOMUUも八戸のスタンダードになりますように。

 僕の人生で、八戸の夜が一軒で終わったことなどない。当たり前のように八戸の友人たちに「次、どこ行く?」と聞いてみる。いつもなら。八戸の夜の定番「洋酒喫茶プリンス」に流れるのだが、すでにプリンスの閉店時間を過ぎていた。そこで、「たっくん」こと柳沢拓哉くんという、出会った頃は「はっち」の職員で、今も八戸のまちづくりに深く関わる友人が、「鮨武すしたけ」はどうかと言う。鮨武は夜中しか空いてない店らしい。逆に言えばプリンス一辺倒だった僕にとって未知の領域。俄然、そそられた。

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