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【ひなた短編文学賞・佳作】ダディベア / 望月滋斗

23年6月、「生まれ変わる」をテーマとした、初めての短編文学賞「ひなた短編文学賞」を開催致しました。(主催:フレックスジャパン(株) 共催:(一社)日本メンズファッション協会

全国から817作品の応募を頂き、その中から受賞した17作品をご紹介いたします。様々な"生まれ変わる"、ぜひご覧ください。



【佳作】ダディベア / 望月滋斗


 物心ついた頃にはすでに、パパはクマのぬいぐるみだった。
 ある日、パパは道路に飛び出した幼い私をかばって車にぶつかった。そのはずみで口から抜けた魂が、そのとき私が片身離さず抱いていたクマのぬいぐるみへ乗り移ったのだという。
「あのときパパは魂を売ったんだ。悪魔じゃなくて、クマにな」
 パパは酔っ払うたびにフワフワの手を広げながら、当時のことを自慢げに話す。
 しつこい。パパがヒーローなのはもう分かったってば。
 昔のパパは抱きしめるとバラの香りがして、見た目もスリムだった。それが今ではすれ違うだけで加齢臭がして、中の綿がずり落ちてきたのか、下っ腹も出ていてだらしない。自分で自分を「ダディベア」だなんてお洒落に呼んでいるみたいだけど、娘の私に言わせてみれば「ジジィベア」だ。
 そんなこんなで、私は高校に上がった今でも反抗期を終えられずにいる。
 思えば、さっきからまたケンカが始まったばかり。
 彼氏がUFOキャッチャーで獲ってくれたウサギのぬいぐるみをリビングに置いておいたら、パパは可愛いその子を敵視してか、勝手に捨てたのだ。今朝、それに気づいた私はカンカンになり、もうろくに口をきかないと決めた。
「許してくれよぉ。ほら、昔はハグで仲直りが約束だったろぉ?」
「ハグなんて臭くて無理」
「反抗期かぁ。これも悪魔が与えた、いや、クマが与えた父親としての試練かぁ」
 ああ、いちいちムカつく! きっとこれが嫌でママは出ていったに違いない。
 私もまた家を出ていった。まだゴミ捨て場にいるかもしれない可愛いウサギを助け出すために。可愛くないクマから逃げ出すために。
 道路の向かいにあるゴミ捨て場には、まだゴミ袋が山積みのままだった。
「まだ間に合う!」
 一目散に道路を渡りかけた、そのときだった。真横からクラクションの音。見ると、すぐそこにトラックが迫ってきていた。
 あ、死ぬ。そう悟った瞬間、私は柔らかい感触に背中を強く押されて前に転んだ。
 直後、バンと鈍い衝撃音がして振り返ると、そこには停止したトラックと道路に横たわるパパの姿があった。
「……今朝はすまなかった。これでおあいこでどうだ。しかし道路へ飛び出すなんて、お前はまだまだ赤子の頃と変わらないなぁ」
「パパ、綿が、綿が飛び出てる」
「……愛してるぞ」
 やがて、パパの黒いビーズの瞳に光がなくなった。
 私はパパの身体を揺さぶり、涙を流しながら気づく。パパをあんなに憎めていたのは、ずっと一緒にいられるって、どこか安心しきっていたからだったんだ……。
 しかし、しばらくそこに座り込んでいると、ガサゴソ。
 私は物音のする方──ゴミ捨て場を振り返り、目を見張った。なんと、捨てられたウサギのぬいぐるみが、こちらへ駆け寄ってきていたのだ。
「まさか、パパ?」
「ああ。身体もちょうど替え時だったからよかったよ」
 加齢臭なんかより、もっとキツい生ゴミの臭いがする。けれど、私はパパを抱きしめて離すことができなかった。



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