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【ひなた短編文学賞・ティーンズ賞】向日葵と走る / 昼川伊澄

23年6月、「生まれ変わる」をテーマとした、初めての短編文学賞「ひなた短編文学賞」を開催致しました。(主催:フレックスジャパン(株) 共催:(一社)日本メンズファッション協会

全国から817作品の応募を頂き、その中から受賞した17作品をご紹介いたします。様々な"生まれ変わる"、ぜひご覧ください。



【ティーンズ賞】向日葵と走る / 昼川伊澄


制服をハンガーに掛けながら窓の外を眺めると、夏の到来を思わせる藍色の空がどこまでも広がっていた。新しい学校にはようやく慣れてきたし、ちゃんと友達もできた。でも、自分はこの子達より欠けているものがあると分かるときがある。そうなると、友人の輪でただ一人、何もかもが真新しい自分が浮き上がる。
「お風呂焚けましたよ~!」
遠く階段下で私を呼ぶ声がする。大声を出すことに慣れていない、細くて揺れている祖母の声だ。「先に入って」口の中でそう言うと、声は徐々に聞こえなくなった。

『今日からおばあちゃんがお母さんだな。』引っ越してすぐ父がそう言った日、私は祖母が伸ばした手を振り払ってしまった。二人を押しのけて外へ飛び出して、足が縺れるまで夕日と反対側に走った。それから私は、祖母に生活を助けて貰うことが後ろめたい。

学校の荷物を片付けて、最後に定期券を鞄のポケットに仕舞っていると、底からハンカチが出てきた。それはあの朝渡されてそのままにしていたものだったと思う。痛いほど鮮やかな向日葵柄と、殴られたように目が合った。
「上がりましたよ。」
ノックと共に湯気を纏った祖母が部屋に入って来る。私は反射的にそれを手の中に隠した。
明日も学校だ。急がないとすぐに置いて行かれてしまう。私はもう、新しいなにもかもと共に生きていきたいのだ。
「じゃあ入ってくるね。」
目いっぱいに明るくそう返して部屋を出る。  
すれ違いざまに、手の中のハンカチをゴミ箱に投げ入れた。 

次の日の朝。制服に着替え髪を結ってから階段を下る。今日はどういうわけか、台所を動き回る影が見当たらない。何かあったのかと不安になりながら祖母の部屋を覗くと、そこには、机に突っ伏している薄い背中があった。
私の内側が少し青ざめる。
「……陽子おばあちゃん?」
すると祖母はゆっくりと起き上がって、目を擦りながら笑った。
「寝ちゃったのね、あたし。」
近くで聞く声は柔らかくて、胸がじんわりと温まった。
祖母は引き出しからパスケースを取り出した。外枠とストラップは遺品の箱の中にあった財布の合皮で、内側には昨日捨てたはずの向日葵柄のハンカチが合わせてある。
「大切なものはずっと大切なままで良いのよ、蒼葉ちゃん。」
堪らなくなって、私は祖母を抱きしめた。
あの日振り払った掌が頭に乗る。この体温が、やさしさが、悲しみに打ちひしがれて止まりそうになった私の手を引いてくれた。

鞄のパスケースが風になびく。私は、明日へ走り出す。



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