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【ひなた短編文学賞・佳作・ティーンズ賞】太陽 / 立花伊織

23年6月、「生まれ変わる」をテーマとした、初めての短編文学賞「ひなた短編文学賞」を開催致しました。(主催:フレックスジャパン(株) 共催:(一社)日本メンズファッション協会

全国から817作品の応募を頂き、その中から受賞した17作品をご紹介いたします。様々な"生まれ変わる"、ぜひご覧ください。



【佳作・ティーンズ賞】太陽 / 立花伊織


あの日から随分と時間が経った。
 私には当時、付き合っている彼がいた。
 まだお互い学生だった私達は、これからずっと一緒にいるのだと信じて疑わなかった。

 悲しみを感じる暇もなく、怒涛のように事が過ぎ去り、実際に泣いたのは随分後になってからだった。
 私は少し前に、ずっと処分する事が出来なかったあるものを処分した。

 膨らんだ状態の小さなビーチボール。
 海に遊びに行った際、手際も準備も悪かった彼が、しぶしぶ現地で買って膨らましたものだ。
 遊ぶ道具は彼の担当だったのだが、彼はすっかり忘れてきてしまった。
 結局買ったもの使って、一日中遊んだ。
 膨らましたボールを潰すのも勿体なく感じて、そのまま持って帰ったのだ。
 私はそれを押し入れにいれて、すっかり忘れてしまっていた。

 そんなひと夏の思い出が、詰まったボールはあの日の後も、押し入れで縮こまって、存在していた。
 その小さな過去を見つけてしまったのは、帰宅が許可されてから、少し経った後だった。

 引越しを既に済ませていた私達は置いてきてしまった物をある程度引取りに来くる事になった。

 かつての自室に飾られた写真立ての中で永遠に笑顔を浮かべている私と彼は、凄く幸せそうで胸が苦しくなる。

  無理やりにでも切り替え、押し入れを開ける。
 アルバムや布団、沢山のものが入った中で、一際目を引くものがある。
 なんだろうと思って、手に取って見ると例のビーチボールが少しだけしぼんでそこにあった。艶やかな光沢を感じさせるそれには、彼が生きていた
時の呼吸が、息が、しまい込まれていた。
 あ。
 だめだこれは。
 そう思いつつ、持って帰る物用の袋の中に、私はこっそりビーチボールとアルバムをいれたのだった。
 引越し先に戻って、その袋ごと戸棚にしまう。

 それからあのボールは、生活の一部になった。
 ボールは見なくても確かにその戸棚の中にしまわれていた。

 それからしばらく経って、私はボールを戸棚から出した。さらに少し、しぼんでしまってはいたものの、ボールはまだその光沢を失ってはいなかった。
 私は震える手で、空気の入り口の栓を、そっと開けた。
 途端に彼が、彼の吐息が、少しづつボールから抜けていく。
 私はそっと力を込めてボールを潰した。
 彼がどんどん抜けていく気がしたが、不思議と喪失感は無く、どこか安堵さえあった。彼をようやく、私のエゴから解放できる。

 来年、私は結婚する。
 彼とは似ても似つかない無愛想な優しい人と。
 でもきっと、私の太陽として、彼は心に残り続けるのだ。



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