『colors』

学校の課題で書いた小説です。

僕には言葉が見えない。





僕が生まれた時には、人が放つ言葉が目に見えるようになっていた。細かく言うと、言葉が色彩として目に入ってくるのだ。十人十色と言うように、同じ言葉を発しても人によってその言葉につく色は微妙に違う。しかも、自分の感情もちゃんと色になって現れてしまうから、例えば皮肉を言ったり、同情をしたりしても分かってしまうわけだ。隠し事がしにくいのは、便利であり不便でもある。どの色がどんな意味を持つのかは科学者やら研究者やらがすぐにリストアップしてまとめあげたらしい。尤も、リストなんてなくても色が与える印象は何となく分かるものだけど。
とは言っても、詳しい仕組みなんかは誰一人分かっていない。初めて言葉が視覚でも認識できるようになったのはもう50年も前のことらしい。ある日突然、ほとんどの人類がそうなったという。人間は生きやすいように進化を遂げて今に至ると言うが、これも生きやすくなるための進化の一環なのだろうか。僕がどれだけ考えても分からないことがこの世には沢山ある。
だけど僕は、どの言葉も無色透明にしか見えない。つまり、言葉が見えないんだ。世の中には数は少ないけど、言葉が見える能力を持たずに生まれてくる人間がいるらしく、僕はそれにあたる。中には、成長していくうちに見えるようになる人もいるらしいけど、僕は生まれてから16年間、言葉が見えたことはない。遺伝なんかは関係ないらしくて、僕の父も母も、ちゃんと言葉は見えていた。僕は失敗作なんだ。僕が見えずに生まれてきたせいで、母と父は離婚した。小学生になったばかりの頃、僕が家に帰ると、玄関を開けた途端に怒声が聞こえてきた。「お前が見えない子を産むからだろ!」「なによ!私のせいだって言うの?」小学1年生とは言え、父と母の喧嘩の理由は容易に分かった。僕は音が出ないように玄関を閉めて、目的地も決めずに走った。走っているうちに涙が出てきて、そんなことで泣いている自分にどうしようもなく腹が立った。しばらくしてから家に帰ると、父の姿はなかった。「お父さんとはお別れしたのよ、ごめんね彩人」母は涙をこらえてそう言った。僕のせいだと思ったら、文句の1つも言えなかった。

「彩人ー早くご飯食べないと遅刻するわよ」
僕を呼ぶ声が聞こえた。今日も懲りずに期待してしまう。見えるんじゃないかって。期待と言うより祈りに近い感情を抱いて、僕は階段を降りてリビングに向かった。
「おはよう、早く食べちゃいなさい」
母の言葉に、今日も色はなかった。期待に裏切られるのは毎日のことなのに、今日も僕は過剰な程にガッカリする。僕の朝は毎日こんなにも暗い気持ちで始まる。毎朝突きつけられる「不良品」だという事実は、いつでも僕を苦しめる。





僕の後ろを歩いていたはずのやつらに次々と抜かされていくけど、僕は焦ることも急ぐこともしない。いつも通り、始業のベルが鳴るギリギリに教室に入る。廊下側の1番後ろ、誰とも顔を合わせることなく僕は自分の席に着いた。

3限目の数学、突然先生の鋭い声が飛んだ。
「おい山本!起きろ!」
「えっ寝てないです。問題解いてました」
寝ていたことを指摘された山本くんがそう答えると、みんなが笑い出した。怒っていた先生まで堪えきれずに笑っていた。何が起こっているのか僕には分からなかった。きっと見える人にしか分からないことなんだろう、僕の日常ではよくあることだ。疎外感を感じることにもいつの間にか慣れてしまった。

「お腹空いたなー」
4限目まで終わって、お弁当をリュックから出していたら、後ろから優也の声が聞こえて僕は振り向いた。
「そうだね、早く食べよう」
「うん」
僕の机にお弁当を置いて、後ろに置いてあるパイプ椅子を持ってきた優也は、いつものように僕の隣で椅子を開いた。そして、小さく「いただきます」と言うと、卵焼きを口に入れた。
優也は僕の唯一の友達だ。中三の時に同じクラスになって、席替えで隣の席になったことをきっかけに僕達はあっという間に仲良くなった。中学の頃は、今と比べると僕もいくらか明るくて、友達も人並みにいた。その中でも優也とは特に仲が良かった。みんなと違うことを悪とする風潮は高校に入ってから広まった気がする。中学の頃も、言葉が見えない僕を馬鹿にする人はちらほらいたけど、表立って馬鹿にされるようなことはほとんどなかった。だけど、高校に入ってからみんなの前で見えない僕を馬鹿にするようなことを言われることが増えたし、クラスでも空気のように扱われることが多くなった。見えない僕に配慮するのはきっと面倒臭いんだろう。中学時代の友達の数人は同じ高校に進学したものの、今でも仲が良いのは優也だけだ。
「さっきの数学面白かったよな〜」
「あ、みんな笑ってたよね、何だったの?」
「あーそっか彩人は見えてないもんな」
そう言って優也は小さく笑った気がした。
「・・・そうなんだよね、見えないから分からなくて」
「大丈夫だよ、僕が教えてあげるから。山本くんが寝てたこと指摘された時に寝てないって言ってたでしょ?だけどその言葉がすっごい紫で、嘘だって丸分かりだったんだよ。だからみんなも先生も笑っちゃったんだ」
「なるほど、そうだったんだね。確かにそれは笑っちゃうね」
そう言って僕も笑って見せたけど、上手く笑えていたかは分からない。僕も見えたらよかったのに。そしたら無理に笑う必要もなかったのに。また自分のことが嫌いになった。なんで優也はこんな何の取り柄もない僕と仲良くしてくれているんだろう。





「お前さ、ほんと綺麗な名前だよな!」
その後も優也と他愛もない話をしながらお昼を食べていると、僕の記憶では1度も話したことのないはずのクラスメイトに突然そう言われた。学校では優也以外の人とほとんど話さない僕は、話しかけられた上に褒めてもらったことが単純に嬉しかった。
「え・・・ありがとう・・・!」
僕がぎこちなく笑ってそう言うと、周りで聞いていた人からドっと笑いが起こった。僕は全く意味が分からなくて、みんなに合わせて笑っているしかなかった。

「彩人、あいつらお前のことバカにしてたんだよ。あいつの言葉、めちゃめちゃ汚い色してたよ・・・」
お昼を食べ終わって、5限目の移動教室のために優也と廊下を歩いていたら、突然優也にそう言われた。
「えっ・・・?」
「だから、さっきの。彩人は言葉が見えないのに"彩る人"なんて名前だからバカにしてたんだって」
「あっ・・・そういうことか・・・」
「許せないよな。俺の友達バカにするなんて」
じゃあ本人に直接言ってくれたらよかったのに、とは言えなかった。バカにされたことにすら気付けなくて、自分への嫌悪感はまた増していった。



いつも通り、終業のベルと共に教室を出た僕。学校にいる時間を一分一秒でも短くしたい。逃げることにも辞めることにも勇気は必要で、だけど残念ながら僕はそんなものを持ち合わせてはいなくて。僕にできるのは誰よりも遅く教室に入って、誰よりも早く教室を出ることだけ。自分の無力さを今日も痛感しながら、朝も通った道を逆方向に辿った。冬の始まりを告げるかのような冷たい風が僕に向かって吹いていた。

『普通の線引きそんなのないのに 普通が正しいわけでもないのに
僕が誰にもなれないように 誰も僕にはなれないのにさ』
晩ご飯を食べた後、リビングでスマホを見ていた僕。テレビになんて全く注意を向けていなかったのに、画面の向こうから流れてきたその曲は僕の耳に自然と入ってきた。衝撃だった。雷に打たれたことなんてないし、あってたまるかと思うけど、まるで雷にうたれたかのような、そんな衝撃を受けた。「FULL MOON」「ボーダーライン」そのバンド名と曲名を頭の中で何度も繰り返し唱えながら僕は階段をかけ上がった。
「彩人!?どうしたの!」
「なんでもない!部屋行くね!」
母の慌てた声を背中で聞いて、僕は部屋に飛び込んだ。電気もつけずにスマホを開いて『FULL MOON  ボーダーライン』と検索した。僕は、涙を流しながらその曲を聴いた。僕のための歌だと思った。この曲を見てみたい、どんな色なんだろう。そんな気持ちが溢れてくるとともに、見えない自分に余計嫌気がさした。名前のつけられない感情が入り混じって僕の涙は止まることなく流れ続けた。母の前でこの曲を聴かなくてよかった、無駄な心配をさせるところだった。


画面の向こうから流れてきたあの曲を聴いてからというもの、僕の毎日にイヤホンは必要不可欠となった。今、この世に普及している娯楽は僕たちが「言葉が見える」という前提で作られている。見えない僕には楽しむ資格がないと思い込んで、思考回路は自然と卑屈になっていった。そんな僕が、初めて夢中になれるものに出会えた。今まで勝手に社会からの疎外感を感じていたけど、やっと自分の存在を認められた気がした。
イヤホンと僕の間に、見える見えないなんて関係ない。言葉が見えなくても楽しめるものがあることに気付いた僕は、どんどん音楽に、FULL MOONにのめり込んでいった。

「・・・ねえ母さん、今度僕の好きなバンドが近くに来るんだ。ライブ行ってもいいかな?」
冬の寒さも厳しくなってきたある朝、僕は食卓につくと母にそう聞いた。
「あら、好きなバンドができたの?いいわよ〜行っておいで!」
「やった!早速申し込むね」
「ふふ、彩人が嬉しそうで私も嬉しいわ。ライブ、いつあるの?」
「今週の日曜だよ」
「もうすぐじゃないの!ライブ終わったら沢山感想聞かせてね」
「もちろん!」
「彩人、最近明るいな〜って思ってたのよ。きっとそのバンドのおかげなのね」
「・・・うん!」
母の言葉はやっぱり見えないけど、その優しい表情と温かい声から、僕の変化に心から喜んでくれているのがよく分かる。
「ライブ、楽しみだな・・・」
心の中で言ったはずが無意識に口に出していて、そんな僕を見て母は嬉しそうに笑った。



ライブ当日、待ち焦がれていたその日が遂にやってきた。空が暗くなり始めた頃に家を出るのはなんだか悪いことをしているようで、初めて味わうその感覚に胸が高鳴った。ライブハウスという場所は、狭くて暗かった。開演直前、ただでさえ暗い会場の照明が消えて、ついに真っ暗になった。
「FULL MOONです!よろしく!!」爆音で鳴らされる楽器の中、ボーカルの声が響いた。ステージはいくつものライトで照らされて、視界は一気に明るくなった。イントロですぐに分かった。1曲目は、僕を変えたあの曲だった。息を大きく吸う音まで僕の耳に届いた。緊張感と高揚感のピークに達した瞬間、ボーカルが歌い始めたその瞬間に、見たことのない景色が目の前に広がった。何が起こったのか分からなかった。全部の思考回路が止まった気がした。見えた、色が見えた。僕を変えたその曲が、僕の耳だけじゃなくて、目にも入ってきた。無数の色が、ライブハウスを包んだ。力強く燃えるような赤色の中に、全てを包み込んでくれる広い海のような青色もあって、見たこともない綺麗な色たちがその周りで輝いている。ボーカルの口から出てくる色は、次々と変わって新しい景色を絶え間なく見せてくれた。夏の太陽のようなオレンジ。甘くてほろ苦いピンク。ミントの香りがしそうな爽やかな緑。蛍光ペンみたいに鮮やかな黄色。それは僕の言葉で表すのは勿体ないくらいに綺麗な色たちだった。
頬を次々と生ぬるいものが流れて、僕は自分が泣いていることに気付いた。嗚咽をもらしてしまったけど、ライブハウスの暗闇とFULL MOONの鳴らす爆音は僕の涙も、泣き声も隠してくれた。
「見たくないものがどうしたって見えてしまうから、目を逸らしたくなるような色に出会うこともあると思う。だけど、ここに来たら僕たちがあなたたちの目を、耳を、幸せな色と音で満たすことを約束します。いつだって逃げ場になるし、いつだって居場所になります。今日はありがとうございました、また会えますように!」
そんなボーカルの言葉でライブは終わった。生きていてよかった、大袈裟じゃなくて心からそう思った。

余韻と耳鳴りに包まれたまま夢の中にいるかのような気分で歩いて、家についたのは23時過ぎだった。長時間立ちっぱなしの体は確実に疲労を僕に訴えてくるのに、興奮やら感動やらで頭は今までになく冴えわたっていた。寝る準備を整えても眠気は襲ってこなかった。言葉が見えるようになったことがどうしても信じられなくて、寝たら元に戻ってしまう気がして、FULL MOONの動画を何度も何度も見た。何度見てもFULL MOONの曲は言葉にできないくらい綺麗な色をしていた。


目が覚めると僕は毛布にくるまって机に突っ伏していた。どうやらFULL MOONの動画を見ながら寝落ちしてしまったようだった。昨日のことは夢だったんじゃないかと不安になって、急いでスマホで動画を見ようと思ったのに、寝落ちしたせいでスマホの充電は切れていた。どうすることもできなくて、見えることを確かめるために僕はリビングに向かった。

「母さん、おはよう」
椅子に座りながらそう言った。母の言葉を待つ数秒間が怖かった。
「彩人、おはよう。昨日は先に寝ちゃっててごめんね、楽しかった?」
「・・・っ、母さん、見える、僕、見えるよ・・・!」
「えっ?」
母の動揺はその声と色から伝わってきた。
「彩人どういうこと?見えるって・・・もしかして、言葉が見えるようになったの・・・?!」
母の声は震えていたし、母の目からは涙が溢れていた。母が心の底から喜んでいるのは目に入ってくる色からすぐに分かった。
「母さん、僕もう大丈夫だよ!」
「よかった・・・よかった・・・!」
耐えきれなくなって、僕の目からも涙が流れた。母の前で泣くのは恥ずかしくて、誤魔化すように急いで卵焼きを口に入れた。卵焼きは甘くて、どこかしょっぱかった。

その日僕は、青空のように澄んだ母からの「いってらっしゃい」に見送られていつもより10分早く家を出た。いつもは重い足取りが今日は嘘みたいに軽い。はやる気持ちを抑えきれず、僕は小走りで学校へ向かった。
「優也!おはよう」
「え?彩人?!おはよう」
学校についてすぐ、優也のもとへ向かった。優也が驚いているのはこんなにも明るい僕を初めて見たからだろうか。それとも、僕がこんなにも早く学校に来たのが初めてだからだろうか。どちらにせよ優也はもっと驚くことになるだろう。
「優也!僕ね、僕、言葉が見えるようになったんだ!」
「えっ・・・嘘だろ・・・・・・。おめでとう、よかったな・・・!」
優也は満面の笑みでそう言った。驚いたのは僕の方だった。僕の目には、見たこともないような汚くて醜い色が飛び込んできた。


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