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〜もう傷つきたくない!!〜

この世界から抜け出そう

人の心は傷つくことを怖れる回避思考によって、本来傷ついている心があるものの、喜びに満ちて元気に振る舞おうとする姿勢があります。

それは本来、傷ついているのを隠して、笑って見せているので問題が発生します。


動画は社会的に活動し、上手く行っている反面、こじれる問題について解説しています。

ここでは、もう少し具体的にパートナーや家族におけるトラブルに焦点を当てて、リーディング心理学となる、カウンセリングがこういうものにも有効だと知っていただくものです。

①大切な人を守りたい!!/世の為人の為に尽くしたい!!

パートナーや家族において、誰しも「守ってあげたい」と思うものです。しかし、実態は小さいことで喧嘩することになり、トラブルが絶えないものです。
「個人の自由でしょ!」と口出ししたことが仇となり、口を聴いてくれなくなります。ただ「守ってあげたくて、思いやりのつもりで言ったのに・・・」と、落ち込みます。

家族なら、パートナーなら「味方を守る」などは当たり前のことですが、味方を守るには、敵を生み出して攻め込まれないと「守れない」ものです。そう、守る体験を果たすには、傷つけられる体験を引き寄せなければならない事実を見落としてはなりません。

「悪いことはしていない」と、パートナーや子どもは訴えることがあるにしても、それが相手に伝わらない問題もあるのです。自分なりに守ろうとしており、尽くそうとしていても、そのやり方が受け入れられなければ「悪いこと」にしか見えないことがあり、弁解をしようとしても理解されないものなのです。

「敵じゃないのに・・・」と訴えるには、敵と思われている事実を見誤ってはなりません。既に家族の中で「敵対心」が生まれているから「敵じゃない」と証明しないといけないような言葉のやり取りが出てくるのです。信頼がないのは何が問題なのでしょうか? 雄弁に語る理想的な正義感が、実は相対する悪党を必要となり、多くは「父親」が責めの的となり、肩身の狭い扱いを受けたりします。本当にそれ、家族やパートナーがやる仕打ちでしょうか?

②世界から争いをなくしたい!!/行動と結果が全てだ!!

こちらも社会的によいスローガンになりますし、モチベーションとしては上場のものです。故に「仲良くしよう」とか「笑いかけよう」と、呼びかける姿勢が見えるものですが、その呼びかけの背景には「仲良くしていない状態」や「笑っていない姿」がある為、何かしらのアクションを起こさなければならなくなります。
今、家族が「寂しくしている」のに、会社など外で「仲良くしよう」と呼びかけていることがあるのが見えているでしょうか?
内なる心と、外に見せる心の相対性がわからないと、改善する試みが空回りすることになります。

「祈っても変わらない」といった価値観を持つ人は多いと思います。
精神世界や心理学、スピリチュアルといった分野は妻の方が割合が多く、そのパートナーである夫は、毛嫌いしていることがあり、関心を向けません。
祈りのなんたるかを誤解しているか、「祈り」そのものにトラウマやカルマなど業を背負っている場合なども嫌悪したり、近寄らなかったりします。
人が一生懸命に取り組んでいるものに対して、軽視する姿勢を持っている人が、会社などでは「争いをなくしたい」と言うのです。妻と冷戦しながら。

「動こう」と、呼びかけても「動けていない結果」を見つめられている人は少ないです。特に家族やパートナーに関してのみ、同じアプローチを繰り返すばかりで、取り組み方の全てを変えるような姿勢は示しにくいものです。それは自分自身そのものの性格や価値観を根底から覆すようなものだからです。
簡単に言えば「傷ついている」だけなので、その心を治せば、関係性は改善します。

③他者との違いを認めよう!!/差別をなくそう!!

社会的には「違いを認めよう!」と呼びかけつつ、家庭内では妻や夫の性格を変えようとして、「違いを認めろよ」と訴えていることがあるのです。違いを認めるなら、干渉してくる相手のその関わり方をそのまま受容すれば済むものの、より良くしようと提案したり、効率的な手立てを教えようとしなくていいとわかれば、済むのです。それが社会には示せても、家族には示せない問題が山積しているのです。

「内は内、余所は余所」といった問題も、より良い情報を外から仕入れて、内の中もより良く出来ればと仲間意識で告げても、効果が出ないことがたくさん起きます。なぜか、主導権が親や夫にあるだけになっていて、妻や子どもに主導権があるという価値観を妻や子どもから提案されても却下することしかしない多様性の無さという事実を見落としている夫は多いものです。

「特別扱いがいい」と、VIP待遇は喜ばれるものの、それは差別のたまものである事実には目をつぶるものです。心地よい差別はよく、心地悪い差別はよくないという解釈であるなら、相対値で出る心地よさは、同時に心地悪さも生んでいる為、差があることそのものが問題を生み出していることとなり、それは指摘しようがルール化しようが、どうにもならない問題だと気づくしかない当たり前の話でしかないと周知すればいい問題です。

「差別を無くそう!」という表現さえ、「差別意識」でしかないという事実は中々見出せないものです。自分の心の中にある「差別」とは何か? それをまず見つけて無くせるかを問うところから考えてみてほしいものです。

④ワクワクするものに従おう!!/嫌なことをやめてしまおう!!

ワクワクはとてもいいものですが、その裏には「恐いものには近づくな」といった思いが隠れていることがあります。
パートナーとの間では、いい気分になることや喜びが溢れることをしたがるものです。その喜びを増幅させるには、どこかで抑圧する意識があるとより効果的になることを知っておくことです。恐怖を回避する意識が強いほど、逃げる方向にある好奇心は「ワクワクする」ものなのです。
自分の中に恐怖を飼い続けることで、得られる喜びは、本当の喜びかを考えてみることです。

「優しい人に騙されないで」といった言葉も、辛い体験があり、痛々しい思い出がある為、その心の傷が癒えないから注意喚起を続けてしまうのです。大切なことは「優しい人は騙さない」と見抜ける事実があることです。「騙す人は優しいとは言わない」と気づくことです。

「知らぬが仏」とパートナーや家族との間で使いたい言葉ではないはずです。
知らないからワクワクできるの? 知らなければ好きだと言い続けられるということ? 本質を隠されることで得られる幸せというものは、本当に幸せなことなのでしょうか? 傷つきたくない、傷つけたくないが故に隠蔽してしまう問題は、正しく心を開き、癒やし、改めていくだけです。

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