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どこなに#2 築地市場

どこかにいってなにかを書く。岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』方式の作文、2回目の試み。

3月某日、築地市場に行った。

元々は、家人がその近辺で用を済ますのについていった形で、特に文章を書くつもりはなかった。せっかくだから浜離宮恩賜庭園に行ってみようと思っていただけだった。
しかし築地市場駅から庭園に向かって歩くうちに、なんだか不思議な場所だと感じて、写真を撮った。

右側前方、向かって行く先には巨大ビル群があり、左側後方にはぱかんと開けた埋立地がある。左右でまるで異なるその景観が、現実感を失わさせる。

3月にしては気温が高い、暑いといってもいい日で、日差しは強く、濃い影をつくっていた。大きなビルの窓ガラスが空とまったく同じ青に染まっていて、あるはずの境目が失われている。

歩くうちに、不意に足元が水でえぐられて、気づいたら公園入り口にむかってかかる大手門橋のたもとだった。築地川を渡って、園内に入る。

浜離宮恩賜庭園は四方を水に囲まれた水上庭園だ。入ってすぐは松や梅の低木が柵で区切られた先にある道が続き、人工的でつまらないなと思ったら、奥に行くにつれ景観がどんどん変わっていった。全体としてみたら、随分面白いところだった。

一面、菜の花の咲く空間があった。その名も「お花畑」と称されていて、春は菜の花、秋はコスモスが楽しめるという。ちょうど花盛りで多くの人で賑わっていた。

菜の花は不思議な花だと思う。鮮やかすぎるほどの花弁の黄と、茎の黄緑のコントラストが気分を高揚させる。見ているといつも井上陽水の「東へ西へ」を思い出す。”君はうれしさあまって気がふれる”。

香りも強く、あでやかといってもいい。なのに、まるで素朴な花のように扱われている。食べられるからだろうか。
女性だったら、厄介なタイプじゃないだろうか。鮮やかな色があって良く香り、にもかかわらず身近な存在で、食べたら美味しい。少しだけ苦い。


中ほどにある休憩所で一休み。園内には自動販売機がなく、よって景観が安定している。

しばらく歩くと背の高い樹木が影を作る道に入ることができて、暑さが凌げてほっとした。ざんばら髪をふり乱したみたいなフォルムの大きな木がある。高く育った椿がある。たまたま花が落ちる瞬間を見た。葉を震わせて小さな音を立てて落ちた。

潮入の池を抜けて、東京湾を臨むベンチに座る。暑くてすぐ退散した。

潮入の池とは海水を引き入れ、潮の満ち引きによって景観が変わる趣向を楽しむというもので、都内に現存する公園ではここだけだという。内側に形を変えるものを持っているというのは何か惹かれるものがあるなとぼんやり眺める。

夕方、家人と合流して、近くでご飯を食べて帰ろうということになった。
特に当てもなく歩き、巨大企業の地下にあるレストラン街で美味しいカレーを食べた。

それはいいのだが、何故だか二人ともそこはかとなく具合が悪くなった。カレーに罪はない。しかし何か、地場が悪いというのか、はたまた単に地下で圧迫感があったからなのか、空調の問題か気のせいかわからないが、そこからの帰路、ぐったりと弱ってしまった。

あの巨大企業は悪名高いから、なんか”おんねん”が溜まっているのかもね、などと二人で埒もないことを言い合って家に帰り、風呂に入って寝た。