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どこなに#3 銀座

冬の銀座に、歌舞伎を観に行った。

二月大歌舞伎の初日、演目は『三人吉三巴白波』。節分の夜を舞台に幕が開ける演目を、ちょうど節分の時期に観ることができた。
意図してそのように取ったという訳でなく、「一度、歌舞伎観てみようかな」と不意に思って予約したチケットだったが、結果として良い籤をひいたような気分になる。

歌舞伎座は確か数年前だかに改築したんだよな、という知識だけはあって、とはいえ前の姿を知っている訳でもないので特に感慨もなく、土産物屋の並ぶ1階部分を一回りする。
エスカレーターで座席のある3階へと向かい、面倒なことにそのエスカレーターでは行けないという屋上庭園にもあとで行ってみようと思いつつ、そのまま忘れた。

3階、花道の後方は見えないが、広く舞台を見渡せる席だった。幕が開く。
『三人吉三巴白波』は同じ「吉三」の名を持つ三悪党の物語で、悪漢の魅力を描くピカレスク・ロマンというのがそもそも、現代では中々見ないよなあ、と思いながら鑑賞する。

とても良かった。

舞台の上の江戸の冬は、現代よりもずっと寒そうだった。火鉢を囲んでも消えない冷気。舞い散るにせものの雪。情緒纏綿、絢爛豪華。雪の白と、女形のまとう緋赤と、夜の闇の黒が印象に残った。

あー面白かった、とほくほくした気持ちで歌舞伎座を出て、銀座三越に向かう。銀座に来たなら、ラデュレのサロン・ド・テに行きたいと思っていた。(この歌舞伎→ラデュレのサロン・ド・テというルートは菊地成孔の推奨ルートに倣ったもの)

平日だからか、予約なしでも1時間ばかり待てば入れた。
店内は仄暗く、ラデュレのメインカラーであるパステルカラーは、影ができるような空間で見なければ意味がないのだと思った。萎れていくチューリップみたいに、灰色の影に沈むピンクの美しさよ。その中でクープの金属の器が鈍く光る。窓際の席には可愛いカップルが身を寄せ合って写真を撮っていて、窓の向こうは3Dみたいな銀座のビルと、明るい冬の曇天があった。

お嬢吉三:生き存えていろという何故その口で道連れに、一緒に死ぬと言ってくれねえ。
お坊吉三:なるほど言やあそんなもの。そう心が据わったらくどくは言わねえ、そんならここで手前もおれと一緒に死ね。

パステルの色彩の中で思い返す歌舞伎の情景は、夢みたいだ。同じ名前の3人がたまたま出会ってこれも縁だと義兄弟の契りを交わす。その後3人を結ぶ別の血なまぐさい縁が浮かび上がり、身動きが取れなくなっていって死に向かう。リアルに考えたら、全く意味のわからないストーリーである。だからリアルに考えたらいけないのである。

リアルなのは感情だけ。シチュエーションはガチガチにシュールでその演技は完全なる様式美で、だからこそ感情だけが真に迫って心に残る。多分そういうものなのだと思いながらクープを食べて紅茶を飲む。

そして寒い冬空の下に戻って、クープ(アイスである)は滅茶苦茶美味しかったが腹が冷えた!と当然の結果を抱えつつ、もう1箇所銀座に来たなら行きたかった、喫茶ウエストへ。

歌舞伎座→ラデュレの流れは異世界→異世界という感じだったが、喫茶ウエストは現実だった。古式ゆかしい喫茶室。真っ白なテーブルクロスと給仕のエプロン。各テーブルに生花を飾る喫茶店よ、永遠なれ。
おそらくはハッカの、清涼な香りが店内に満ちていたのが印象的だった。おしぼりに含ませているのだろうか?(ちゃんとタオル地のおしぼりが出てくる喫茶店も、大好きだ)

その香気の中でミルクティーを二杯のんで、夢から醒めたような気分で家路についた。