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知らない街に里帰り

岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』を読んで、似たようなことがしてみたくなった。すなわち、知らない街を訪れて、何かしらかの文章を書くということ。
それで、宇都宮に行くことにした。都内からほど近く、千葉雅也『エレクトリック』の舞台となっている。作品内に地名がたくさん出てくるので、実際に見てみようと思った。折角なので、極私的・宇都宮ガイドも参考として行く店を選ぶ。

東京から宇都宮に行くには大宮で宇都宮線に乗り換える。そこから快速で、約1時間30分。
ところで、私は群馬は高崎の出身である。今回、都内から宇都宮まで電車で行くその工程は、高崎に行くのと全く同じ感覚だと、改めて実感した。大宮から高崎線に乗り換えて、快速で約1時間30分行くと高崎なのである。車体も同じ、オレンジに緑のライン。

栃木に足を踏み入れたことはない。栃木はずっと、近くて遠い隣人だった。要するに、似すぎているからあえて旅行で訪れる意味がないのだ。

JR宇都宮駅に着く。電車を降りると、空気が東京より一段と冷えているのが分かる。晴天の冬、口の中に吸い込むからりとした冷気は高崎と同じものだった。
日本海側では、冬の冷気は晴れていても湿度を含んでいる。冷たい繭に閉じ込められているように感じる寒さだ。対して、北関東では眩しい光の中、どこまでも寒さが拡散して行く。

駅東を歩いて山泉楼へ。大変美味しい本格中華を堪能する。
荘厳な店構えに、テーブルも調度品も重厚で、4人掛けのソファのクッションがふかふかでびっくりした。都内では1000円のランチでこの待遇はない。

広々した駐車場を眺めながら、そういえば群馬にいた頃、レストランというのは車で訪れる場所だったなと思う。

『エレクトリック』を読んでいると、同時代に北関東で育った人間として共感するポイントが随所にある。今回実際に宇都宮に来て、改めてそれを実感した。
家族で外食するというと、車に乗ってこういう大きなレストランに来る。私の育った家では家族で行くのは専らステーキ宮だった。(だから私はステーキ宮は群馬の店なのだと思っていた)
小説内で、宇都宮は雷が多く、雷都(らいと)と地元で称されていると書かれているが、私は高崎で、雷が多いのは群馬の風物詩だと思って育った。(群馬県人の基礎知識上毛かるたに「雷(らい)と空っ風義理人情」とあるし、群馬のお米は”ゴロピカリ”だ)

山泉楼を出て駅まで歩く。私は普段東京では、徒歩と電車で移動する。徒歩10~15分くらいの距離なら、基本歩く。今回その感覚で宇都宮を歩き、東京との違いを実感した。街が車仕様に作られている。道幅が広く、道ゆく人が少ない。ちょっと入って休めるカフェが、チェーン店含めほぼない。高崎と同じだ。

歩くうち、JR高崎線の東口を目指して歩いているような気分になってきた。
つり具上州屋の大きな看板がある。車窓からでも目に入る大きさ、その仕様。予備校の垂れ幕「宇高15名・宇女18名入学の実績!!」は、「高高(たかたか)」「高女(たかじょ)」(群馬の県内TOPの進学校)を思わせる。
駅は新幹線の大きな線路を含むベージュの建屋が横に広く長い。その感じ。そしてだだっ広い道路。

車がないとどこにも行けない街に来て徒歩で途方に暮れている自分は、この土地出身の帰省した人間みたいだ。
擬似的な里帰り。いつか何らかの不和により故郷が足を踏み入れることがかなわない場所になったら、宇都宮に”帰れば”いいのかもしれない。