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趣味の学習記録#5

第5講、無意識について。
フロイトの”無意識の発見”について考えるとき、必ず思い出すこと。
中学か高校の頃、橋本治の長大な本『二十世紀』で見かけた記述。以下、記憶に基づいての概要。

”一時期自分は占星術について調べていた。それで、二十世紀のある時、冥王星が発見されて、以降、ホロスコープを作るにあたり、その存在を勘定に入れて考える必要が出てきた。そうなると、一番遠くにあるその星の影響範囲は大変広く、実質全てがその影響下に入ってしまう。………これは何かに似ている。あっ、そうだ、フロイトの「無意識の発見」により、あまねく人類が無意識を持って生きるはめになったことと相似だ”

こんな内容だったと思う。「ほんとその通りだな!」と読んだ当時思ったか定かではないが、そのアナロジーは強烈で、無意識の発見の功績を考える際、必ず思い返す。

そんなわけで今回は、近代臨床心理学のキーコンセプトである無意識について、フロイトの定義とその変遷を学んだ。

自我とか超自我とかエスとか、精神分析関連の本をちょっと読むと出てくるもので、昔は全然意味が分からなかった。それぞれの言葉の定義を聞いても「だからなんだ?」としか感じられなかった。

今回藤山直樹を片手に読み解きつつ思うのは、”こころをある種の空間モデルとして考え、そこに複数のセグメントがあり、それらが絶えず交流・対話していると考える。その動きに着目する。”のが重要だということ。とにかく動き、動き、動き。

そうやって考えてみると、昔はさっぱりピンとこなかったこの局所論のモデルも、何か「なるほどな」と思えてくる。


最近読んでいた河合隼雄『生きたことば、動くこころ――河合隼雄語録』にも、臨床場面でのクライアントの心の動きの読み解きとして、こうしたモデルが出てきた。そのような、実際の現場で活用されている事例でもって眺めると、ますますその有用性を感じる。