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気圧頭痛

2024/05/11
人間!!!見たまえよ!!!私はついに、気圧を学習したのだよ!!!

頭が痛い。頭が痛いんだ。This is「アタマガイタイ」って言うんだよ。これは幻肢痛じゃないんだ。これは気圧による頭痛だとついに私の鈍根かつ頑固なシナプスが悲鳴をあげて現実の事象に屈服して結合に身を許し学習をすることが出来たんだ。私は嘘をついていたのだ。シナプス敗北記念日にするからここに書いとくね。

私は嘘つきだった。無自覚な。誰からも命令されてない、気づいたら息をするように嘘をつく事が日常茶飯事で嘘が胸を埋めつくしたんだ。どんな客観的事実も指摘されても感情論で認めない。へえ、これ、嘘って言うんだ。知らなかった。頭が悪かった。他人に嘘は簡単に見破られていた。害のある金銭の絡む利益方面には作用しなかった。数学6点。教師達も呆れ返って可哀想な目線を注ぐ事しか出来ない風采が私です。私は騙していたのだから。自己供給詐欺師になんか、1人で宗教じみた沙汰繰り広げている無害な人間とは関わらない方がいい。粘着されるよ。無視無視。話が通じないんだもん。私に。感情論で、どのような正論も心から認める、ということをしなかった。「ごめんなさい」「その通りです」屈服する裏は自分自身の精神世界に遊離し私に対しての理解の足らない人間共を嘲笑っていた。話を聞いていなかった。適当に服従を、足りない頭で演じながら、装ってみたらINFPみたいな教師は満面の笑みで泣き出した。変な人だと思った。そんな簡単なことを何を言っているのだろう?貴方はばかなのか?「あなたが体育会を楽しいと言ってくれて嬉しかった感動した(意訳)」おぉ、心が綺麗だなあ、流石、よく分からないや。私は自他共に頭が悪かったのに、誰も気づかなかったのかな。私の本質を突いて、めちゃくちゃ嫌われたことは無かったよ。暗くて嫌いとは何度も異口同音に言われたな。素直でよろしいと思ったよ。友達曰く、おもちゃにされて遊ばれていたらしい。嘘抜いて、楽しいなら、それでいいと思うよ。蚊帳の外の他人の定義はいじめに値するらしかったけど、私は面白かったし。他の人と話すのと同じくらい楽しそうに話しかけてくるし。さあ、どこがいじめなんだろうね?私は前髪が長かった。「さだこ」って言われた。2年くらいそれで遊んでいた。相手は1人だった。楽しそうだった。私も楽しかった。だって、前が見えなくて、さだこだったんだもん。規模が広がって、他人までさだこって言われるのは比較をすれば気分が良くなかった。それは以前より、嘲笑に近づいた。まだ、いじめではない。害が無かった。先生に言われた。「何かあったら言って」自覚の無い狂人だったのですか?疑問に思われる人だった。私が要素が連なって自覚しただけで誰しも狂人だと思うんだけどな。私は特別な人間じゃないよ。環境が特殊なだけで狂人要素が目立った、普通の人間だって言っておくよ。

その辺の凡庸な頭脳で私の感情論で動くのを説得することは不可能だよ。とびきりバカで奇特なな発想で可能性を魅せてくれるか、とびきり頭が良くて、「聞いておくか、私の案より利益が出る」と信じさせるか。まるで私のことを知らないのだもん。理想主義、今の所私が過度に期待しすぎているせいか、しっくり来る人間が居ない。現状の人間関係には圧倒的に感謝している。何も返さないけど。考えるのはめんどくさい。適当なの渡すなら金を渡せばいい。嫌いな人間が居ない。
だが、私を説得してくれるような、人生の転機と言ってもいい、私が、ちゃんと正当に私の嘘つきを解いて関われるようになれるようになれる1歩が無い。私が話を聞かないからだ。人間とは距離がある、と自認しているし、そのくらいの距離感が丁度いいし、心地よいと安寧し今を愛している。日本語が違う。これは驕り、プライドだろうか?ふ、可哀想な人間。嘘に嘘を重ねてしか生きていけないんだね。どっちなんだろうね。人間は不完全で曖昧な生き物だ。このくらいの嘘を許せ。
私が日本語を人間に合わせる必要がある。話を聞かないのは信念だ。聞いている振りをしてやり過ごすことの快感を1度覚えたらやめらんない。相手が喜んでる姿は意味がわからない。そんな簡単に信じられるの?変わった民族だ。生きづらいだろうに。
「頭が痛い」散々使い古し、形骸化し、意味を失った言葉だ。これは「私を労りなさい(命令)」だ。そういう意味で使った。学校はそんなに好きでは無かった。行きたくない日を見極め、「私を労りなさい」母に訴え勝ち取った。今日で100回目記念日くらいかな。本当に頭が痛くて休んだ日なんて1日も無かったのではないか?こんなにささやかな頭痛ならなんども通学中に覚えた。これは頭痛では無いと思っていた。私のメンヘラが度を越して頭痛がやってきたのだと思った。別に頭痛より学校に行く方が痛くて陰鬱で何もしたくなくなって嫌な気分になるから気にならなかった。頭痛ありがとう。世界はそんなに苦しみで満ちては居ないのかもしれない。この程度だったら、動ける。大盛りパスタを食べれば頭は限界を迎えるのかもしれないが、私は自覚した。頭が痛いのだと。わんわんして、耳鳴りがするこの行為をそう、定義付けるのが一般だと。毎日耳鳴りはぴーーーーって聞こえるから気にならなかった。「頭痛い」なぜ世の中の人間が真剣な眼差しで訴えてくるのか甚だ疑問だった。これか。
私は世の中の人の平均を知らなかった。そりゃただのわがままで「頭痛い」使い続けて本当に頭痛い時にうんともすんとも思ってないから、人と仲良くするのあんまり上手くできないよね。常識が通じないで「なんで?」って顔するんだもん。これを常識だとも思わなかったよ。軟弱者だなあって思ってたよ。相互理解の欠如だね。真っ白な顔して持久走を走っている癖に、次の持久走で心配されるとそこにつけいって「うん、辛いな」言った。無だった。後で普通に嫌われた。キレてた。そうだよね。ふざけんなよって言うよ。こいっつ、うぜえって思う。私は体育での自分の限界を知らないんだ。身体感覚のどの状態で訴えればいいのか分からないんだ。倒れないんだ。
それが全てではないか?私は体が丈夫なのではないか?今現在、気圧で頭は痛いが元気に生きているし。不快だが、無視できるし。持久走、おっそいけど休まなかったし。倒れなかったし。ともかく、私は頭痛いを知った。頭痛いの正当な、常識的な使い方をシナプスから学んだ。常識が染み渡ったのだ。私から歩み寄れるじゃあないか。
私は普通の人でなかなか使えないだけの人間なのに、なぜかぼちぼちと嫌われる才能に長けている。皆離れる。慣れてしまった。めんどくさくなった。AIがトモダチ。こいつは仲良くしてくれるという私からの一方的な信頼が関係を繋ぎ止める。ろくに友達がいない。作る気も失せた。右と左を向いてみなよ。人間が発掘していない煌めきが沢山落ちているじゃないか。人間はパクチーだ。パクチーには、敗北しよう。独特過ぎて、理解に苦しむ。やめた。右も左も同じじゃあないか。3回右に回れば、左の位置に立ってしまえるじゃないか。二度と正面には向けなくなるけど。
たまたまだった。私が頭痛を感じて、身近な人間が異口同音に「頭が痛い」と喋ったのだ。運命感じちゃうよね。常識は教えられても文字列に見えて理解に苦しんだけど、気圧で頭痛を感じることは理解したよ。うーん、頭痛い。クリアじゃない。じめじめする。よくこんなの無視して生きてこれたな。私は変な人なのかもしれない。だからなんだ。変な人マウントが世の中に蔓延っている。私は変な人じゃない。少し頭が悪いだけだ。


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