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Journey to myself -私に戻るまで- 05. 感情のメカニズム

月1での、うーさん(鵜川さん)とのセッションは、すでに3か月続いていた。

うーさんとの「良質な対話」によって、自分の内面を掘り下げ腹に落とすということを繰り返しながら、本当に少しづつ、私は自分がどんな人間で、何をしているときに心からの喜びを感じるのか、ピンと来はじめていた。

この頃から私が、うーさんとのセッションでの対話を「良質な対話」と呼ぶようになっていったのには、ある種の驚嘆と感動のニュアンスが含まれていると思う。

つまり、私はこれまでの人生で、うーさんがしてくれるような「話を聴く」というコトを誰かにしてもらったことが、ほとんど無かったからだった。

私は昔から比較的、誰かと話すときは聴き役にまわることが多くて、自分の話を誰かにじっくり聴いてもらうというコト自体少なかったし、自分の身の上話などは特にとてもセンシティブだと捉えていて、もし誰かに話したとしても「あ、もう私の話に興味を失っているな」とか「否定なんかされようものなら、立ち直れない」とか思ってしまって、滅多やたらに人に話すことはなかった。

でも、うーさんの話の聴き方は、それまで経験したどの人とも違い、はじめから「この人は私が何を話してもきっと受け止めてくれるに違いない」という絶対的な安心感があって、なおかつ、うーさんは私の話を傾聴してくれるだけではなくて、要所で「良質な問い」をいくつも投げかけては、私の視点を変えたり、深めたりして、より腹落ち感を高めてくれた。

これが人が本当の意味で、自分の内側に向き合い、感情をようく観察し、その奥にある「自分が真に求めているコト」に手を伸ばし知るために必要な「良質な対話」なのだと、私は初めて知った。

あともう一つ、うーさんとのセッションがスタートした初期に、私の中で大きな変化だったのは、うーさんが私に、色々な「感情とニーズのメカニズム」を教えてくれたことだった。

「れあちゃんに、はじめに伝えておきたい、悲しいお知らせと、嬉しいお知らせが一つづつあるのね。笑」

セッションの一番初めに、うーさんはこんな話をした。

「悲しいお知らせは、れあちゃんが今抱えている、いろんな辛い感情は、これから先もなくならない、ということ。でも、嬉しいお知らせは、それが気にならなくなるということ。」

それまでの私は、自分の中に様々なイライラやモヤモヤといった「負の感情」が現れたときに、その感情をどう扱ったらよいかまるで分らなくて、感じること自体が苦しすぎるから、その感情を自分の中で無かったことにしようとしたり、そんな負の感情を感じるなんて、自分はなんて人間的に未熟なんだろう…と自分を責めたりしていた。

でも、人が味わうひとつひとつの感情には必ず役割があって、不要な感情などないということ。そして、感情のメカニズムとそれらとの付き合い方を、うーさんは心理学などに裏打ちされた理論で、且つ私にも受け取りやすい難易度に調節したり、図解したりしながら、分かりやすく教えてくれた。

ありとあらゆる人間関係の中で生まれてくる様々な感情の取り扱い方については、私はその都度うーさんに相談しては、自分で自分の心にどんな問いを投げかけながら「その感情が自分に何を気づかせようとしているのか?」を深ぼればよいのかを学んだ。

例えばあるときは、こんな相談をした。(以下は実際にうーさんにおくったメッセージ↓)

「どう頑張っても、ある人に対して優しくなれない時があって、自分でも驚いているんですが、こうゆうとき、どうやり過ごせば良いのでしょう。。?

おそらく、その人の何かが、わたしには相容れない価値観で、いやだなぁと感じちゃうんです。そして優しくなれなかったわたしに、その人が当然、仕返しめいたコトをしてきたときに、本当に自分て性格悪いなぁ…なんで心を広く持てなかったのかなぁ〜ってとっても落ち込んでしまいます。。

相手の方が、どうしてそうゆう反応に出るのか、手に取るようにわかる気がします。その方の心理も、何となく理解はできるんです。でもそれを、とても温かな心で受け止めてあげるなんてできない自分がいて。。それがなんだか苦しいです😢
優しくなれない自分てダメだなぁ…まったくもー。って感じちゃう感じと、苦々しく思うこと自体が消耗してるって感じで。。😢
どうやって気持ちを切り替えたら良いのでしょうか…?」

これに対しての、うーさんの返信↓
「れあちゃん、こんばんは😊
そうなんだね。苦しい感じなんだね。
その人を温かな心で受け止められないことや、心を広く持てなかったり、優しくなれないことで、苦しい感じがしているということなのかな?
そう思ってしまう自分が嫌だという感覚?

その時に出てくる感情や感覚をダメ出しせずに、
じっくり観察してみたことはある?

どんな感情や感覚が出てくるのか?
しばらく味わっているといろんなのが出てくると思う。

その感情や感覚の奥に、自分が本当は大切にしたいことがあるもんなんだよね。それはなんなのか考えてみてほしいんだ。

こういう時って、相手は実は関係ないんだよね。
その相手はテレビ画面みたいなもので、自分の中にあるものを映し出してるだけだったりするんだ。だから、その相手に対して自分がとってる対応や感覚や感情にダメ出しすることは一切必要ないよ。
自分に向き合わせてくれているだけだから。

その人は、今れあちゃんに何かを気づかせる役目があってそこにいるので、れあちゃんが自分にダメ出しして向き合うのをやめちゃうと、いつまでも役目を終えられないので、ずっとその感じになっちゃう。

だから一度自分の感情や感覚、何(言動、行動、態度)に対してどんな感情が沸き起こるのか?
なぜ相手のそれ(言動、行動、態度)にそういう感情や感覚が沸き起こるのか?
本当は自分は何を求めているのか?を内省してみてほしいんだ。

感情は自分の中から、もっと聞いてよ〜、受け止めてよ〜って声でもあるからね。」

こんな風に、私はうーさんと「良質な対話」を何度も何度も繰り返し、
感情の扱い方を徐々に学んでいった。

これは今でも驚きなのだけど、それからというものの、今までの葛藤が嘘のようにものすごいスピードで、過去の色々な出来事と、それに纏わる自分の感情の動きが符号していって、なぜ私がこれまで「曇り空のようなモヤモヤとした苦しさ」を感じながら生きてきたのかが、感覚的に掴めるようになっていった。

それはまさしく、心の霧がいっきに晴れていくような感覚で、そのこと自体が、ひたすら清々しい「解放」の体験になっていく、そんな予感に直結していた。

(つづく)

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