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平成、カート・コバーン、エドワード・ヤン、日比谷

 最近エンタの神様と爆笑レッドカーペットを見るのにハマっている。2000年代後半を代表する二大お笑い番組である。これが大変くだらない。アクセルホッパーだの狩野英孝だのを見てゲラゲラ笑っている。
 平成特有の、何の知性も感じない笑いを見ていると、幸せな時代だったのかも知れないと思う。みんなバカだった。みんな消えていった。
 エイプも中国の会社に売られた。モー娘。もルーズソックスもいなくなった。元号が変わるとうの昔に平成は終わっていた。俺の心に出来たデキモノの芯は、今でも失われた時間たちの中に取り残されている。
 ゴーギャンは『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』と題したが、結局のところ、俺たちはどこへも行かない、それか行けないのかも知れない。どこへ行ってもお里は知れてしまうものだ。少なくとも今の俺はそう感じる。
 そんなことより早くマティス展に行かないと。

 最近ハマっているものの話を続けると、ニルヴァーナも最近よく聴いている。ジャガーが欲しくなったので参考に聴いているのだが、やはり良い。初めて聴いたのは中学2年の頃だった。あの頃は今にも増してバカだった。
 思えば、カート・コバーンという人は最後のロックスターだったのかも知れない。俺の言うロックスターとはギターをかき鳴らし、ドラッグとセックスに明け暮れ、輝いた挙句自滅していった人たちのことだ。それはロックがメインストリームのクールな音楽だった時代の話だ。
 カート・コバーンが亡くなったのが94年。エルヴィスが現れて40余年、白人が黒人から音楽を盗んでから40余年。ヒップホップが音楽的な進化、深化を遂げ台頭し始めたこの時代、ロックに残された道が自ら命を断つことだけだったいうのは必然だったのかも知れない。
 ニルヴァーナのSpotifyの月間リスナーは2773万人もいるけど、みんなカートが好きなんだなあ。かっこいいもんね。
 健康的なロックスターなんか俺は見たくない。そんなものはクソ食らえだ。破天荒に生きろ。

 朝10時半から『牯嶺街少年殺人事件』を観てきた。エドワード・ヤンの名作だが、これがスクリーンで拝める機会もそうそう無い。ありがたい事だ。俺にとって彼は、もはや信仰の対象である。当然、最前列で観た。それはもう、素晴らしかった。
 情け無いが、この作品を満足に語るための言葉を、俺はまだ持ち合わせていない。語ろうとすればするほどに、言葉が薄っぺらい張りぼてのようになる気がする。今の俺に出来るのは、ただこの作品を観て学ぶことだけだ。
 上映時間が4時間に及ぶので、流石に2時間過ぎた頃に休憩があるかと思ったが、無かった。トイレに行こう行こうと思ってはいたが、画面がどれも良いので、席を立つタイミングをエンドロールまで完全に失ってしまった。
 万全の体調で臨めなかったのが心残りだ。もう一度行くのもアリだな。あでもユスターシュとジャックロジェがあるからダメだ。南無。

 映画を観終わったら、ラーメンを食べて、日比谷公園を散歩して、帝国ホテルの地下でタバコを吸った。
 ラーメンアベニューという店だったのだけど、立川のラーメンスクエアの様に店が立ち並んでいるものと思っていたら、一つの店であった。博多豚骨を食した。味は普通。
 日比谷公園でチルして野音の方へ歩いた。野音を初めて見たのだが、なんともいけ好かない建造物である。野音は客席がすり鉢状になっていて、公園の沿道からステージが見えないのだ。これは民主的とは言えない。貧乏人に見せるステージは無えッ!とでもいうのだろうか。
 帝国ホテルも帝国ホテルである。今の時代流石にその名称はまずいんじゃないかと思う。俺の考え過ぎか。豪勢な建物が余計にその思いを強くさせる。そんな事を言いながらも地下の喫煙所を使わせてもらった身なので、文句は言えない。喫煙所は広めでチルスポットなのでおすすめだ。

 後輩にギターを買わせたいので、御茶ノ水へ行った。専ら俺が試奏していただけだが。ディスクユニオンでカセットを買おうと思ったが、思いの外高値だったので何も買わなかった。
 早稲田へ行き、珈琲10に先に来ていた友人たちと茶をしばいた。タバコも吸えるし、ここは良い店だ。話にも花が咲く。
 文春のコラムの1ページ分が1600字弱なので、今回はその文字数を目指してみた。いつか雑誌に書ける日が来るだろうか。やれやれ。

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